21 May 2019

読書感想文 ねずさんの日本の心で読み解く百人一首 小名木善行

最近CGSをよく見ている。学校の歴史はおもしろくなかったが、CGSの歴史はおもしろい。表さんの回は山伏が神楽を伝えたところは興味あったが科学的裏付のない話は自分の判断の糧とはなり得ない。
小名木さんの歴史はおもしろい。神話を科学的歴史につなげるのはおかしいと思う。百人一首は子供時代にほぼ親しむことはなかった。古典も好きではなかったのでたいして興味なかった。小名木さんの百人一首の解説もおもしろい。

大化の改新で公地公民となったわけだが、公地って共産では。税をとるための理由として設定されたのではないのか?

それ以前には人口の5%位奴隷がいて、それが廃止されたと説明している。魏志倭人伝だったか卑弥呼が(生ロ)奴隷を魏に朝貢しているので、日本に奴隷はいなかったというのはおかしいと思っていた。ヨーロッパでは19世紀以降に人が隸属することがなくなり、中国、北朝鮮では未だに続いている。日本のこの先進性はとんでもなくスゴい。

小野小町の歌の解説おもしろい。古典文法の解説はほんの少しだが、それでも充分理解る。
参議篁、僧正遍昭の歌を遣唐使の廃止を求めた歌と説明しているのが興味深い。直接的に述べず、歌にして暗に主張するところがカッコいい。こういう解説があったら学生時代に意欲的に学んだだろうに。この解説は素晴らしい。

"ちはやふる''に意味があったのは知らなかった。朝鮮の文化レベルはどれ位低ったのか?染料はなかったと述べているが。
日本の雅楽の右方楽は朝鮮由来の楽舞がまとめられている。新羅から70or80人の楽人が天皇(どの天皇か忘れた)の葬儀に際して送られている。渡来の楽人は住む場所を決められ、奴隷扱いだったらしい。明治まで雅楽は民へ流出させないようにしていた。
古譜の1つ仁智要録を読んでみると右方楽は短いものが多いが、中国由来の曲よりも変化があっておもしろい。
伎楽は百済から伝わったが、隋唐の資料にそれに相当するものがない。ある能楽者の書籍ではアジアに点在した楽舞をまとめたものだとある。それらの楽舞に相当するものが現存しているらしい。

中国でも雅楽は周以来王朝交代があっても引き続れてきたはずだが。

文屋康秀の歌は少し憶えている。仏教勢力による強訴のことを歌っていたのか! 直接的に言っていないのはおもしろい。このレベルが当時の言ってはいけないレベルなのか。

引用
"「公のために尽くす」ということが最大の美徳だからです。"

僕はがっつり個人主義だが、儒教の諱は明らかに持っていない。会社に忠誠を尽くす気など全くない。公と個人の行動をきっちり分けるタイプ。つまり公の時はしっかり公正な能度、個人の生活はそれとは切り離すという具合。社会的立ち場を個人の生活まで持ち込まれては気の休まる時がない。そんなママゴトなどやってられない。集団化した人間は誠実になっていない。そんな奴らの片棒などかつぎたくない。かつて上司にそんな奴らがいたのでやめた。社会も内在する悪を露見させ対策しようとはしていない。それ故僕は社会に対して非協力的な態度(ストライキ)をとり続ける。

聖武天皇から新規に開墾された田の私有が認められたのか。これが武士の発生に繁がったとある。大仏開眼供養の時には伝来の楽舞がたくさん演じられ、用いられた楽器等が正倉院に残っている。その内横笛のデータを音程に計算したら、ひどい調律だということが分かった。又尺八が存在していたのは興味深い。聖徳太子が尺八愛好してたとか。音楽も重要な要素と思うが、歴史にはほぼ出てこない。

天皇は権威として存在し、施政者に政治権力を授けるが、政治に口を出すことをしないし、できないルールだそうだ。上皇は天皇の下位に位置する。
これによって天皇は政治責任を回避している。卑弥呼は鬼道に徹して、弟が政治を行った。天皇は卑弥呼の役割か?この天皇という仕組みで民が隷属させられることはなくなったそうだが、現実には行き過ぎた忠義を求められることがある。天皇の役割が充分に機能しているとは思えないのは、左の洗脳政策によるものか?

シラスとウシハクの違いは興味深い。シラスに賛成。

古代〜明治初頭 一夫多妻制。無事成長するのが難しかった時代は一夫多妻の方が確実に生命を繁げただろう。しかし、一族が嘘つきだったり、誠実でない場合は子供を家族から引きはがさなければいけないと思う。現代ではまだ子供が健全に育つ環境を充分に用意できていない。刷り込み教育で育った社会人の悪い見本が多過ぎる。教育システムは変える必要が多いにあると思う。洗脳は排除しなくてはいけない。

清少納言の歌おもしろい。和歌もなかなかおもしろそう。枕草子が枕元の寝物語だったとは知らなかった。高尚な平安文学と思ってた。古語を使えば言語と感情の間に距離をおけると思う。試してみたい。
男女の対立は共産主義が生み出したと書かれている。


有秀なものをとり立てていたのに驚いた。政治の中枢は貴族達だけで独占していたのではなかったのか?
臣には、どこまでも民のために尽くす人物だと認められてはじめて権力が与えられる。そうだったのか。心根を見るためその人物の評価は歌で行われることもあった。