12 May 2019

語学学習

これまで言語を学んだ経験を振り返ると、話せるようになるには、正確に発音できるようにロ訓らしの訓練を詰むことで、特に発音について考えなくても反射的にできる状態にしておくことが基礎にある様子。これによって意識を話の内容や状況、予測、推量に向けることができる。

学習初期には文法を学ぶのは簡易だが、1ヶ月もすると難しくなる。そのまま数ヶ月〜1年続けるとまたできるようになってくるのは何故か?

文を覚えてもその文法を理解して、自分でその例文をベースに展開できないと例文を憶える意味がない。語学講座のスキットを全て憶えてスラスラ言えるようになっても、文法を基に自分で文を作れないようでは話せない。ヒッポファミリークラブのひどい所はこれだと思う。悪い語学ビジネスと思う。

学習の進展によって初期の事項を思い出し、進んだところまでを整理して理解し道すことが必要。つまり1回の学習でそこまでを思い出し(振り返り)、新たに学習して、整理し、全体的に理解するという3段階で学び、極所的な学習を俯瞰的にとらえ直して整理するという方法が必要且つ有効らしい。とは言え、これは僕には当初厳しかった。
そこでひたすら極所的学習を続けて、理解が怪しくなってきた時点で復習し、俯瞰的に整理するという手を行った。先の方法に比べると学習が早く進むように見えるが、実は体系的理解が後に持ちこされるため、全体を理解するのは結局遅くなるし、理解の深さは浅くなった。

新しいことを学んだら、それまでの経験に照らして理解することを行う方が、より深く理解でき、憶え易く、長持ちする様子。

体系的理解を度々行う方が良いことに気づくまで中1〜3まで2年以上かかったが、今でも忘れて極所的になっていることがある。僕の場合、あきらめることなくしつこく学習を続けて体系的理解に拡張していくのだが、独学なので完成した見本がなく、ゴールを設定し難い。それでも続けて中級までの文法を把握し、短期間の会話経験でそこそこ修得する。