27 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:伎楽

 ”ぎがく”

雅楽以前の仏教系無言仮面音楽劇。この中に天狗の元になる治道や獅子舞が入っていた。

伎楽の譜面は複数残っていて、それぞれに旋律が異なっていたりする。おもしろいのでそれぞれ音源にしている。

以前に2つ読んで音源にしていた。今回は内閣文庫にある伎楽龍笛譜を読んだ。伎楽には複数の曲がある。中でもこの伎楽譜の迦楼羅はとても長く、即興的な旋律が書かれていて完成度が今一つだったりする。

雅楽以前の音楽もかなり聞きやすい。旋律には工夫がなされていておもしろい。

以前に読んだ他の伎楽譜も改めて読み直して音源化した。

関西大学デジタルアーカイブにある仁智要録12巻に収録されている伎楽。伎楽は笛と鼓、銅拍子のみによって演奏されるのだが、この譜は箏のための譜で打楽器については何も書かれていない。


曲によって主音が異なるが、調律は壱越調の調弦のみで演奏されるものと考えられる。この方が調弦を変更しなくて良いので、次の演目へスムーズに入れる。この譜では冥土とされている曲がある。これは江戸時代に宮廷の雅楽復興の折に書かれた楽家録にある伎楽の説明に書かれている。この譜面には一定の拍子が記されていない。それ故音取や調子という曲の譜の読み方で読んだのだが、この手法で読むと全ての音価が基本的に一定となる。以前読んだ折にもこの問題に直面してつまらない旋律が現れてうんざりしていた。菅掻きによる音を常に一拍としてカウントして単音は菅掻きの音価に含ませることによってかなりおもしろい旋律になったが、トータルの小節数が音楽的におかしくなっていた。

宮内庁書陵部に天感楽外伎楽譜という曲集がある。これは林健三氏によって伎楽の論文が書かれている。遠隔コピーを頼むとかなり高額。すでに誰かが以来して専門業者によって写真が撮られているおり、宮内庁書陵部がその版権を持っているであろうと思われるが、未だにネットで画像が公開されていない。


これは琵琶のために書かれた譜面。譜面は漢字の様な記号で書かれている。その隣りに笛の譜が書かれている。それも一緒に読んで音源化した。この譜では先の”冥土”は”呉公”となっている。この譜では個々の曲によって調弦が異なるケースがあり、曲の間で調弦を変更する必要がある。

これらの伎楽の譜には一定の拍子を示す記号は全く書かれていない。しかしながらほとんど全ての曲が2/4拍子で書かれている。
現代に民間で伝承されている獅子舞曲と似ている例があるのだろうか?三重県北勢部に伝承される獅子舞の曲とは全く似ていない。しかし2/4拍子で書かれているという点は共通する。

天理大学が伎楽を復興しているが、その音楽は新に作られたものとのこと。作曲者は伎楽譜を読んではみたらしいが。

東大史料編纂所DBで三五秘抄の画像が見られる。その中に伎楽の説明があり、その内容がこの天感楽外妓楽譜の譜の説明と同じである。

これと仁智要録のものとの大きな違いはどういうわけなのか?

伎楽は雅楽以前の音楽だが、譜面に拍子が書かれていなくても、そこに書かれている音楽には拍子が存在している。現代の雅楽は一定のテンポにも拍子にも疎い。これは大きな誤りと思う。
彼らは本来の伝統を継承していないのだ。いかにも伝統を継承しているかの様に言ったり、見せたりしているが。。左翼は嘘付きだが、右翼も相当嘘つきである。

雅楽の古譜を読む:犬

 ”いぬ”

狛犬のこと。日本の雅楽は左方楽と右方楽にわけて整理された。この左右に分けるというアイデアは政治家のポストにも用いられており、左大臣と右大臣がある。このアイデアは日本のオリジナルではなく百済で行っていたものらしい。日本は百済の影響をずいぶん受けたようだ。

宮中の雅楽では伎楽から獅子だけを取り出し独立した曲として演奏していた。といっても獅子は仏教の御願供養の際に演奏されるもので11世紀以降から頻繁に演奏された記録がある。

仏教の供養ではかつては伎楽という音楽付きの仮面演劇をやっていた。これを元に儀式は拡張され雅楽の曲に差し替えられたり、付け加えられたりした。獅子は元々伎楽にあり、そのまま残され、狛犬が加わったらしい。

その狛犬の譜面が残っていた。これまでは乱声の譜を読むことができなかったのだが、読み方がわかったので読んでみた。ついでにより精密に譜面を読んでみて音源動画をアップグレードした。




雅楽の古譜を読む:獅子

 ”しし”

獅子は獅子舞の獅子。元は612年伝来とされる伎楽の一部だった。伎楽は朝鮮半島の国家だった百済から伝来するが、中華帝国の南朝で伝習したものとある。

伎楽は大乗仏教布教のための音楽劇だった。聖徳太子が詔で”諸仏の供養は楽を以って行うべし”とした”楽”は伎楽だったと考えられる。

この伎楽は奈良県の桜井市を拠点にして子供を集めて伝習され、各地の寺院で行われるようになった。150年間位は相当人気があったらしい。古事記や日本書紀が書かれたのはこの期間で天孫降臨が伎楽の行道をモチーフにして脚色して書かれている。猿田彦は天狗の風貌で描かれているが、これは伎楽の行道を先導する強力な神通力を持つインド人仏教僧の治道(ちどう)である。この猿田彦が天孫族を先導するという風に記紀では描かれている。仏教誕生が2500年程前で大乗仏教は2000年前位からだから、皇紀2600年よりもさらにずっと以前の天孫降臨は成り立たない。

伎楽が飽きられてきたころ、雅楽が入ってきていた。雅楽の曲には伎楽の個々の曲と同じモチーフで作られているものがあり、伎楽の曲はそれらに置き換えられ、供養の儀式は発展した。

獅子は儀式で舞台を払い清める役目を担っていた。その役目は供養の儀式に雅楽が導入されていっても残された。狛犬が追加されていた。

伎楽の譜面は幾つか現存している。しかしながらそれらの内容が異なっている。伝習された寺で工夫がなされ、独自に発展したのかもしれない。獅子の曲もやはりそれぞれ異なっている。

現在の四天王じで行われている獅子は最も古いものと考えられるが、それでさえもかつて宮中の雅楽にあった獅子とは異なると考えられる。平安時代には既に異なったものがあった。

今回読んだ獅子は宝暦三年(1753)と書かれている曲集、六調子並高麗曲譜 伏872 宮内庁書陵部の最後の方に書かれているもの。

この譜の獅子は音取と破から成っている。この破は打楽器を撃つ位置を示す記号がついているのだが、それを考慮して読むととんでもなく込み入った複雑で速い曲になってしまう。これは秘曲を容易に読ませないようにする工夫と思われる。

読み方に見当がついたので読んでみた結果。

まぁ、聞ける。現代の獅子舞には曲の構造は伝わっているが、旋律は伝わっていないようだ。


22 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:抜頭

 ”ばとう”と読む。

雅楽にはインド由来の仏教系の楽曲が幾つもある。それらについて言及している論文がある。

東洋音樂史講座第一講日本を中心をしたる東洋音樂の系統 (中) 田邊 尚雄

1938年に発行されている。

この論文に高楠博士によると抜頭という曲は抜頭王の名馬が蛇を退治した話を元にしている。

この曲は猛獣に両親を殺された子供が怒り狂い復讐のためにその猛獣を探しに山野へ分け入っていくと中華の音楽書では解説されていて、日本の音楽書もそれを引用している。

現代の雅楽のこの曲は非常に遅いテンポで短調系の先方で演奏されている。

しかし古譜を読んでみると旋法は最も明るいLydianであることがわかる。この旋律が生き生きと奏でられるテンポを見つけ出して演奏すると軽快な曲であることがわかる。

平安時代末期にはすでにこの曲、または乞食調は長調系の明るい旋法であることが忘れ去られていたのだろうか?


その時代にすでに旋法の個性を蔑ろにした演奏がなされていたのであれば、現代の雅楽が頭おかしい演奏をしていても仕方ないのかもしれない。
これまでの歴史の中でおかしいと思う者が居ても直して来なかったのだろう。
これは先人に従うという悪い面から生じているのではないだろうか。
科学的態度が身についていない年寄は尊敬に値しない。さっさと引退して欲しいものだ。


20 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:乱声

 ”らんじょう”と読む。

幾つかある。

  • 新楽乱声
  • 古楽乱声
  • 高麗乱声
  • 小乱声
これらは旋律は笛だけで演奏される。しかもその手法はフーガの用に旋律が追いかけっこする。
現代の雅楽ではそれらの旋律の間に作られるハーモニーの遷移が台無しにされているのだが、古譜に基づいて対位法的手法に注意を払えば、かなりおもしろい結果がでることがわかった。


昔の人たちも結構和音を味わっていたらしい。
この事は琵琶の曲をカノンで演奏してみても分かる。


こっちはインドの仏教国由来の乱声。当然向こうでもハーモニーを楽しんでいたのだろう。

高麗曲にも乱声がある。こちらもやはりハーモニーがある。


しかし小乱声という小規模な乱声は笛一本だけで旋律を演奏すると音楽書にある。
その場合はオクターブを上げ下げして退屈しないように旋律を工夫して演奏しないと楽しめない。
この乱声も試しに対位法的手法にしてみたら、結構イケた。



現代の雅楽のダメっぷりがよくわかる。

雅楽の古譜を読む:納序

 ”のんじょ”と読む。

右方楽(高麗楽)とは中華帝国の周辺の異国の音楽を集めたもので、教訓抄によると周礼にすでに記されているらしい。


高麗楽の大曲である新鳥蘇の冒頭に演奏される。どうやって演奏されたのか詳細がわからない。譜は笛と篳篥がある。


曲名に”序”と付くからには他の曲の序に近いものがあると想像していた。しかし太鼓を打つ場所を示す百の文字が書かれていない。


昨日乱声という曲を読んだ。

  • 新楽乱声
  • 古楽乱声(林邑乱声)
  • 高麗乱声
  • 小乱声

と4曲あった。どれも百の文字がない。これが納序に近いのではないだろうか。

羅陵王という曲では冒頭に乱序というのが演奏される。これも太鼓の位置が書かれていない。

これと乱声は構造が似ている。


乱声の旋律は笛だけで演奏される。打楽器が付く。乱序もそう。他にも譜に百の文字が書かれていない曲には調子や音取がある。これらも打楽器を伴う。現代の雅楽では極少なく叩いているし、一定のテンポが無かったりする。譜には確かに一定の拍子(四拍子とか)を示すものは書かれていない。しかし打楽器の鞨鼓の譜面には四拍子のパターンが書かれている。

歴史的音楽書には鞨鼓が曲の最後まで叩かれるとは書いていないが、テンポが分からなくならないように叩かせることにして作った音源が以前の調子の音源。これによって調子が対位法的手法で作られていることがわかった。美しいハーモニーがある。

乱声には退吹という手法が用いられる。これは複数の奏者が同じ旋律を演奏するのだけれど、演奏を始めるところを前の奏者より1拍ずつズラして吹く。これによってフーガのような旋律の追いかけっ子が聞こえるわけ。

この旋律の追いかけっ子は後から入る旋律が丁度良い箇所から始めると聞き取り易い。その箇所を探して作ったのが乱声の音源。

その経験を元にして納序にも手を出してみた。そうしてできたのがこれ。


乱声では笛が同じ旋律を退吹していたが、納序では調子のように各々の楽器に用意された旋律を組み合わせて演奏するらしい。篳篥の譜は笛よりかなり短い。笛の譜を1回演奏する間に篳篥の譜を3回演奏することができる。調子では笛より先に篳篥が演奏を始めるのだが、高麗曲の音取の譜を読んでみたところ、高麗楽ではそのルールを適用しない方が良い結果がでることがわかった。つまり江戸時代に書かれた楽家録や鎌倉時代に書かれた教訓抄の方がおかしいことがある。

今回の音源では笛を先に演奏させて、それに合う箇所から篳篥をつけた。篳篥の譜には返附の箇所があったので、そこから一定のテンポを打つように打楽器をつけた。対位法的手法には一定のテンポが必要なのだ。なかなかおもしろい結果がでたと思う。

雅楽もかなりハーモニーを楽しんでいたらしい。正倉院には古代尺八が複数残っていて、それらは各々が異なる調の移調楽器であるらしい。その中から同じ指使いの音で長三和音が鳴らせる組み合わせが選択できるらしい。
これはおもしろい発見と思う。
笙の古譜掲載されている曲には笙特有の和音を示す記号が書かれていない。一方音取や調子にはたっぷり書かれている。つまり笙で和音を用いる時は、記号によって示されているわけ。しかしながら現代の雅楽では曲においてもほとんど和音を用いている。古譜にはそう書いてないのに。
僕の音源では笙の古譜に書かれている旋律に5度上の音を足している。これは現代の中国の田舎の村民による演奏でも見られる手法で、Mozartの手紙の中でも終始5度で奏する合唱も悪くないと述べられたりする。
この手法を古代尺八でも使えるわけだ。しかも3度も足せる。

現代の雅楽は一般人向けにレベルを下げるように編曲されたものを国家の権威を高めるため荘厳に聞こえるようにゆっくり演奏されている。結果、元々あったハーモニーや、一定のテンポの中で演奏する作法、軽快なテンポによる味わい豊かな旋律、楽想は失われてしまっている。前世紀に英国の音楽学者Dr. Laurence Pickenによって日本の雅楽の古譜に唐の宴会用の曲の旋律が残っていることが示された。40曲程が分析され本になっている。日本のアマゾンでは検索しても出てこないが。

日本の雅楽界は信仰心あり過ぎなので真実には面と向かわない。科学的教育が行われているにも関わらず、刷り込み教育しかしていない教育機関と同じで、仏作っても魂入れないのだ。





18 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:琵琶の秘曲

 琵琶の秘曲が琵琶の古譜に残されている。3曲ある。

これらは調子の旋律が掲載されている箇所に書かれている。ついでに読んでみたところ調子の演奏手法で演奏するとおもしろい結果が得られた。

石上流泉と石原石上流泉は同じ曲。旋律の一部がオクターブ上がっていたりする。

これらをカノン(かえるの歌などの輪唱)のようにずらして演奏してみると結構おもしろい。特に1拍ずつずらして4声にすると響きが終始充実していて、古楽を聞いている感じがしない。


大常博士揚真操は旋律に工夫が凝らされていて飽きにくくなっている。しかし琵琶のソロとして聞いていても秘曲と言うほどのこともない。

どこが秘曲なのか?それはやはり対位法的に演奏しておもしろいからではないのだろうか?やってみたところかなりおもしろい。

こうして秘曲の内2曲が対位法的に演奏した方がずっと楽しめる作品であることがわかった。この対位法的手法は雅楽の調子の演奏手法なので、時代的に問題はない。

残りの曲であるキツツキは、キツツキのノックする音が聞こえるのを描写した曲だろう。かなり速い一定のテンポがあるが、一定の拍子はない。休符は演奏者の音楽的感性でその長さを決定するらしい。ボディを叩いてキツツキのノックする音を表現する箇所があるが、ノックする音は楽曲全体に渡ってある。おそらく目の前でキツツキがノックしている様子を描写しており、雑音が混ざっているのを表現しているのだろう。

最後に主音のシンコペーションがあるのがおもしろい。


Youtubeで見られる啄木の動画では一定のテンポが無いように聞こえるものがある。それはおそらく間違いと思う。調子の音源を作った時に鞨鼓を鳴らしておいて一定のテンポを維持し、各パートは一定の拍子はなくても一定のテンポ上で旋律を奏するようにした。この結果がなかなか上手くいったので、琵琶の小品についても同様のことが言えるのではないかと考えた。


一定の拍子が無いということは一定のテンポがないということではない。

雅楽の古譜を読む:調子 黄鐘調 水調

 笙の黄鐘調の調子の譜はほぼA Ionianで書かれている。

これは合竹という和音の構成音があらかじめ指定されていて、その中にG#やC#が入っているのでA Ionianとなってしまうのである。

黄鐘調はA DorianなのでA Ionianと共通するのはF#のみ。その他のC#とG#はNatural CとGに変更できないのだろうか?

水調はA MixolydianでA Ionianと異なるのは第7音のみ。笙にはG#の半音下にNatural Gが残されているので交換可能であることに気づいた。試しにやってみたところ充分によく響く。

これで水調用の調子は黄鐘調の譜のG#をGにすればとりあえず間に合うことがわかった。


では次に黄鐘調に適合させることはできるのか試してみた。
この場合水調との違いは第3音のみでC#をCにする必要がある。笙の低音域にはC#しかない。中音域にはC#とNatural Cがあるのでこれは交換可能。

ここで双調の主音Gの合竹のルールを思い出した。Gの合竹は双調で用いる時は最低音のF#を省く。これは双調の第7音でIonianを示すF#を省略してMixolydianっぽく聞かせるのである。というよりもIonianとMixolydianの共通音による6音スケールにして適合させているというところだろう。
笙にはCを基音とするコードは容易されていないので、C#を基音とするコードのC#を省略して用いるしか手段がない。
やってみたところ、これもなかなかよく響く。C#のコードはG#も入っているがこれはNatural Gに交換した。


冒頭に3度が出てこないので明るい調かと思ってしまう。
これが夏に合うだろうか?


14 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:調子 太食調

太食調(たいしきちょう)の調子。

調子とは曲を演奏する前にチューニング(調律)をするために演奏したり、

舞人が舞台に上がるまでの入場曲として演奏したり、

舞人が舞台から楽屋へ帰るまでの退場曲として演奏したりする。

Youtubeで動画を幾つかみたが、楽家録に書いてあるように演奏されている例が少ない。特に鞨鼓のリズムパターンが異なる。


この動画は調子がまとまって演奏されている。しかしながらどれも調律のための構成になっている。

調律のためには音取という極短い曲が用意されている。篳篥の譜には音取につづいて旋律がかかれているものが品玄調子として書かれていたりする。

楽家録によると調子は調律のためにも用いていたらしい。それ用に略式バージョンのやり方の説明が書かれている。音取はそれよりもさらに短い。


僕が古譜から作ったもの。各楽器は笙、篳篥、笛、鞨鼓、琵琶、箏の順で演奏される。これは楽家録に説明がある。

僕はその説明をある程度守っているが、守っていないところもある。鞨鼓は演奏を始めたら叩きっぱなしだし。笙の一句が終わってから篳篥が吹き出すということなのだが、それより前から始めたりしている。これはなるべく合って聞こえるように配慮するとそうなってしまう。

この調子という曲はそれぞれの楽器の譜の長さが異なる。つまりユニゾンで演奏されるわけではない。またそれぞれの楽器に多数の曲が用意されていたりする。つまり様々な組み合わせを試せる。

おそらく自由対位法という手法で一定のテンポの元に決まった調性の旋法で演奏するというルールで作られていると思われる。それ故、それぞれの楽器が演奏を始める箇所がずれていてもそれなりに聞こえてしまう。

曲には楽譜があるのでそういうわけにはいかない。曲と入場、退場などの使いまわされる小曲の違いを明確に出すには自由対位法を用いたのは効果的と思われる。これといって決まった旋律があるわけでなく、それぞれがそれぞれに演奏して偶発的なハーモニーを味わう。聴き方が曲とは異なるのだ。これはリフレッシュになる。

雅楽はかなり考えて作られていたらしい。


現代は感じ取りやすいテンポを明示するということを避けているように思う。僕の音源動画ではテンポを明示しているので、打楽器は曲の冒頭から入っている。

12 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:壱越調 調子

 調子は舞人が楽屋からでて舞台に上がるまで、舞終わってから楽屋に帰るまでに演奏される。

またそれぞれの声部の冒頭に音取を用いてチューニングすることもある。

壱越調の笛と篳篥には品玄という名で譜がある。これ以外に上調子と入調がある。

箏には幾つも譜があり、それぞれ長短があり、終わりの音が主音だったり属音だったりする。

琵琶には1つのパターンしかない。

これらの譜は冒頭を揃えて並べても心地よく響かない。それぞれが独立した旋律を持っているので合わなくて当然。これは自由対位法によるものらしい。

楽家録にある解説に沿って組み合わせても良く合う場合とおかしい場合がある。幾度が試して良い結果がえられるところを見つけた。



懐中譜の旋律は今一つ。伏808の六調子譜と同じ旋律が元になっていると思われるが、その旋律が活かされるような音価には思えない。

鞨鼓は叩き始めたら曲が終わるまで鳴らすことにした。楽家録には3度繰り返すことのないようにとあるのだが、一定のテンポで演奏した方がおもしろい。

5 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:高麗楽の音取

 ”ねとり”と読む。

昨日に続いて高麗楽の音取を読んでみた。高麗笛と篳篥に三鼓が入る。

まず現代の。しかし三鼓は入っていない。


古譜を読んで見たところ冒頭の笛は楽譜と合うが篳篥から合ってない。これも明治になってから作られたのか?

僕が作った音源動画では高麗双調は2:30から。


笛と篳篥の組み合わせは曲の末端(最後)が合うように合わせた。笛と篳篥では”火”の意味が若干異なる様子。

高麗壱越調はE Mixolydianなのだろうか?曲はE Ionianで書かれているように聞こえる。


琵琶を追加した。楽家録によると笛から始まり、篳篥が続き、琵琶と鼓は中華曲の音取と変わらないとある。実際のところ笛と篳篥は自分で音程を作りながら演奏しているので、始めから正確な音程で吹けない。中華曲の音取の場合は音程が決まっている笙を先に鳴らし、また常に鳴らしているので、笛達はそれに合わせることでチューニングできる。

高麗楽の場合笙を用いない。そうなると琵琶をあらかじめチューニングしておいて、笛達はそれに合わせることで正しく演奏できる。ということは琵琶は笙の様に始めから最後まで演奏し続ける必要がある。

と考えて琵琶を配置した。



4 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:音取

 ”ねとり”と読む。


楽曲の演奏前に音程を合わせるために演奏する。各管楽器の主席奏者のみが演奏する。

現代の雅楽の例がこちら。


これは平調の音取と思われる。横笛と篳篥合ってない。横笛が音程を合わせるのが難しいのは演奏技術が未熟なせいもあるが、現代用いられている龍笛はそもそも内径が太過ぎるので安定した演奏が難しいのではないか。高麗笛と神楽笛の間位の太さになるべきだと思うが。。。

今回古譜から読み出して作ったものがこちら。


楽家録には笙、篳篥、笛の順で演奏するとあるが、それぞれがソロとして演奏するとチューニングの意味が薄れるので、笙から演奏に入って笙が終わらないうちに、音を重ねるように篳篥が入り、そして龍笛が入るように組み合わせた。
鞨鼓のリズムパターンの説明があったので、それを付加した。

盤識調は他の調の音取に比べるとほとんどユニゾンで単純過ぎる。この方がチューニングは合うだろうが、おもしろくない。そこで笙と篳篥は合うように配置したが、龍笛は1拍遅らせた。

他にも演奏前には調子、上げ調子、乱声、品玄などある。これらが唐の宴楽にもあったのだろうか?


弦楽器を追加した。楽家録には笙、篳篥、笛、鞨鼓、琵琶、和琴、箏の順で演奏するとある。また揃って終わるようにする。

箏の爪調は長過ぎるし、琵琶の七撥は短すぎる。音価を倍、又は1/2しても上記の順番では終わりが揃わない。先に演奏を始めた楽器は終わりを延ばすことで調節するのだが、それでも結構延ばすことになる。

そこで当初考えた様に弦楽器においても末尾を揃えてみた。そうして演奏させたところなかなか良く響く。末尾は8分音符1拍程度の調節で済む。

楽家録によると音取はそもそも調子で行っていたらしい。その短いバージョンが今の音取ということか。調子には略式の短いバージョンの方法もあるが、それは音取よりはずっと長い。