22 Sept 2019

キリスト教と精神科、精神障害者支援

とある精神科医師が診察の度に僕からピアノ演奏のコツについて尋ねていたことがある。彼の練習不足を指摘するととても怒り出した。普段の温和な態度がひょう変した。実は彼の病院はキリスト教系の影響が強く、隣県の愛和県芸の影響が強かった。彼は上逹できずストレスがたまっていて、爆発したわけだが、彼の練習態度は先生の指導を全てと思い込む初心者状態で圧倒的に練習時間が足りず、身体、指の訓練ができていなかった。しかしながら年数は経ており、自分のレベルを基礎はできてると僕に申告した。実はスケールも弾けない。スケールとアルペジオを基礎と認識できないレベルだった。彼の先生にとってはやっかいな先徒だったろう。知性は優秀で医師。しかしながら知的に優れているが故に指をトレーニングする超地道なことに科学的喜びを見出せないまま生きてきて、自分の不具合を直視して対策し、根気よく練習するということがなされてこなかったのだ。
机上の学問とは異なり、楽器演奏はある意味アスリートであり、かなりの肉体的トレーニングを積み、そこに科学的メスを入れ上達を計る必要があり、出版されている技術書は全て読んで、基本的に自習してレッスンでは自習での疑問を問うたり自習の方向性を確認したり、現状の問題点を指摘してもらうといスタンスで挑まないと上逹など到底望めない。教えて君では上達できないのである。
この手の勘違い(教えて君)生徒を育てた親、先生にも問題があると思う。こういうかたよった優秀さを持つ人がエリートになってしまうのは大きな社会的問題と思う。しかしこの手のエリートは自分の問題を隠すのも上手い。
僕は悪質なら公評すべきと考えている。

以前この病院のデイケアに通っていた時、担当看護士に目の敵にされ、他看者を卷き込んで僕を悪く主治医に報告し、謝罪させようとしていた。僕は若い頃からこの手の権威主義的女性に敵視されることがあり、無実の罪をでっち上げて謝罪を要求される。この時は医師はその看護士にのせられて僕をきゅう断したが、僕の説明とたまたまデイケアにきていた芸大学生の証言によって危機を脱することができた。
彼らは真当ではないという自分達の弱点を隠してエリートとして演じて働いているが、その弱点を宗教によってつけこまれ、マインドコントロールされているように見える。上例の看護士の手法は僕の両親も用いる手法で彼らによって僕は世間に悪い風評を流されている。
医師や三重県発達障害者自立支援センターの職員は僕の両親の嘘を信じて10年近く僕に圧力をかけていた。僕は彼らは社会的悪と思う。彼らを法で裁く意味はないだろう。こうして社会は仮面付のエリート達によって增々悪くなっていく。

社会的に善く振るまえない女性は隔離すべきと思う。子供を産めなくなったら生かしておく意味もない。こうして人口コントロールを行えば良いのではないか。

19 Sept 2019

三重県発達障害者自立支援センターの問題

各県に1ヶ所づつ設定されている機関である。ここで知能検査を受けて以来、年数回行われる当事者会に通っているが、ここの職員達は頭がおかしいように見える。

まず発達障害当事者である僕の音楽に関する能力、演奏は評価されない。当初母親の意向が職員に一方的に取り入れられ僕は数年におよび音楽に狂った引きこもり扱いであった。その音楽的能力は嘘言癖の人による嘘のようであった。

前回伊賀のHaoという支援団体のグループと合同で当事者会を行った。そのメンバーの一人が描いた水彩画の写真をスマホで見たが、それは元の風景画と見分けられない出来映えだった。その絵は引起しによってなくなったという。大きさはA4サイズ程度で半年かかったと。Facebookで中国で行われている水彩画展の優秀作品や他の水彩画作品を見るとそのサイズは50x60cm程度あり、A4よりはるかに大きい。かなりの腕利きによる精密な絵は結講大きく描かれる。又学校でも大きく描くように習う。
しかしながら上記発逹障害者による作品は小さ過ぎて精密過ぎる。

そこでこれは嘘なのではないかと仮定すると精神科の主治医が僕が行くべき所ではないと言い、理由を決して言わない理由が納得できる。つまり発達障害者支援センターは嘘言癖のある人に対応している。それ故真に実力のある僕には理不尽に感じられるのだ。又職員に芸術を見る能力がないことも見破れる。能無しによって否定されるわけだから非常に問題がある。根本的に論理性が壊われているからだ。

職員の1人は主治医から僕の実力について聞き、わびたことがあったが僕は根本的な理由については分っていなかった。それまでの職員の態度から表面的な行動に過ぎないと考えていたこともあるが、この機関の職員の低い論理性の問題はそれとは別にあると見受けられたからだ。
つまり彼らは不充分な情報によって一方的立場にたって、本来助けるべき対象を攻撃してしまうのである。これは主治医も含めてそうなのだが、僕の人生においては家族も社会もこういった僕の敵なのである。

職員の態度はやや改善されたが、僕が実演しても怪しくしか見えないのは変わらない。

学生時代イジメを受けた当事者が高校のデザイン科出身で、職員達は彼を才ある芸術家のように無理矢理盛り上げ続けている。僕が芸術についての定義を説明してから''折り紙名人"という売り文句に変っている。僕が芸術とは誰もなしえていない何か新しいことをなすことであり、彼のやもりの絵は未だ芸術の域に達していないことに言及してから変った。彼は折り紙に転向したが未だオリジナル作品を生むに至っていない。慢画を学んだ当事者が彼のデザイン力を説明して、彼に後天的実力があることがわかった。又その慢画を学んだ彼の絵も基本技術を作って描かれており、後天的学習の結果が見てとれる。彼らは両者とも好きな分野の学習をマジメにやって修得している。ただ誰もした事がない何か新しいことをするのはとてもレベルが高いので、彼らは未だそこまで至っていないのである。

一方、名刺サイズの風景画を描いている当事者もいる。学習しているようだが、やはり新しいことはいない。

この支援センターは当事者が職場で不当に罵倒されたと訴えても何も助けない。当事者の嘘と考えて相手にしないように見える。過去における職員の調査能力の浅さと判断の誤りから彼らの仕事には信を置けないのである。

Walking finger method

田島孝一氏による重量奏法を修得するための練習方法。
Ciniで論文が読める。

ピアノといってもクラヴィコードなのだが、CPEバッハの奏法が良いのか、重量奏法が良いののか見極めつつ上達しようと考えている。

現代のピアノニストで言えばバレンボイムとホロヴィッツが椅子の高さが両極端で手のフォームもかなり異なる。

バレンボイムの弾き方もかなり弾けるようになるし、モーツァルト弾きやすい。しかし速く弾けるようになるので、テンポを決めて弾かないと手が先走って暴走状態になる。
その暴走状態に行きついたとこ、ろでホロヴィッツのスタイルを試すと全然弾けなくなる。指を伸ばし鍵盤に触れさせておくのも難しい。これができれば目をとじて奏するのもできそう。

自分に合う奏法はどうやって身に付けられるか?その奏法は上記の2つの間にあるであろう。どちらかというとバレンボイムに近いと思われる。しかしクラヴィコードに最適だろうか?


どちらもYoutubeで演奏が見れるので 有難い。全調のスケールとアルペジョは一応弾けるのでどんな奏法が自分に合うか見当をつけられると思う。

フジ子のモーツァルトのトルコ行進曲は左手の連打全て親指。他にもこの例が散見する。

12 Sept 2019

キリスト教徒と女。

かつて日本から占め出したキリスト教。
宣教師によって洗脳された日本人信者は他の日本人を捕えて奴隷として海外に輪出していた。
また同じく洗脳された大名は武器の供給を受けて反乱を起こした。これは国家を分断して内部分裂を起して弱体化させてから本隊を送り込んで国を乗っとるというお决まりの作戦だった。

そんなキリスト教は排除されて当前と思う。

明治以降世界と外交せずに生き抜けなくなり、侵略されないよう一等国になるべく仕方なく宗教の自由を認めた。

現在、日本でのヨーロッパ音楽は相変わらずキリスト教の経済圏にあり、クラシック学んでいるとキリスト教徒と思われるのが当然。
当のキリスト教は子供のしつけが行き届いておらず、稚拙な性格から抜けて成長できなかったり、親による支配を受け過ぎて自立的に思考できなくなったり、学校での学習効果が打ち消され、人格、科学的思考の成長、精神の安定に問題がある例が見られる。

キリスト教徒は、女子を使い男子をキリスト教に誘い込む手段をとってくる。非常に危険な手法だ。高校時代にこれにかけられたことがある。美人によって攻妙にたぶらかす手法を用いて入信させるのは信教の自由にふれていると思う。
神道、天理教、創価にもこの手法をかけられた経験がある。宗教は一切禁止すべきと思う。
我が家系の女性は宗教、まじない、占いに弱い。祖母、叔母、母、妹とそろって科学的思考、社会的誠実さに問題がある。
祖母は交通安全のまじないを信じ込み、定期的に行い、終に一家に交通事故が起らない自分のまじないのおかげと言い始めた。そこで僕がそれを禁じてやめさせた。後に自分はもっと尊敬され、扱われるように要求しだし、認知症が始ったかに見えたが、厳しく反論したらおさまった。実際、彼女は下級労働者に過ぎず、向学心もない知的に粗末であった。
叔母は美人を鼻にかける性格で、頭はたいして良くなかった。論理的思考に問題があり、僕が不登校になったら仏教の祈祷に母親を連れ出した。創価の芸術家と結婚したことがある。
母親はさらにバカで基本的に嘘付き。僕が幼少の頃父親が職場と家庭を放棄して逃げたり、自営の鍼灸師として愛人と仕事を始め、父親の悪行を子供に隠して懐かせようとしていた。僕が神経症で治療に家族の協力が必要ということになって協力したのは母親だけだったが、彼女は表面的にそう見える行動をとっただけで、心の中では子供の心の病を否定しつづけていた。
都合よく事実を示し、周囲に僕を悪者に仕立て上げるのは父母とも用いる手法であり、僕は両親によって社会的評価を落されていたのだった。
妹は僕に彼女や婚約者をそれと言及せずに仕立てて断わらせない。又僕の実力を彼女が理解できないという理由で不当に評価し、僕が実力を示して得た評価を基本的にインチキと思っている。にも関わらず虎の威を借る孤振りはすさまじく、それが僕の社会的評価を下げていた。配偶者は勤務先の会社からお金を盗んで首になった人だが、それを言っても意に介さなかった。その後も僕に対する防害はあり、それは配偶者の意図をくんでいたように見える。3人子供がいるが1と3は実力が乏しく誠実でない。特に末娘が手がつけられない。2は学習障害だが自転車競技で極ささやかながら活躍し実力をうかがわせたことがある。

愛知県芸出身のピアノ奏者と結婚しようとしたことがあるが、病気で早死にするとか嘘をついていた事に気づいて解消した。民法の"かし"というものにあたると思うが女性はこういう不誠実な行いをするものなのか。
不誠実は一切許せない。このピアニストには厳しく言ったら姿を消した。

不誠実な宗教者と女性は僕の生涯の敵である。その不誠実を見つけたら全力で追求しオープンにし、さらし続ける。

高校時代、キリスト教の同級生が勝手にスケートのプロコーチを呼んで、僕は勧誘で断ったら、後日現金を要求された。そもそもそういう売買契約はなかったので支払う義務はないと思ったので、払わなかったら父親に請求した。父親は僕に事実確認したが結局払ったらしい。売買契約が交わされていない以上払う必要はないと思うが彼はそれを知らないらしかった。
キリスト教はこの手法でもお金を巻き上げる。

僕を入信させようとしたキリスト教女は、入信しないので別れることになったら現金を求めてきた。何も失っているものはないし、男女の恋愛で別れる時、一方的に現金を要求するのおかしいと思うが、これがキリスト教の商法なのだろう。
カルトに限らず宗教女には気をつけるべきである。

9 Sept 2019

発達障害者当時者会参加

三重県の発達障害支援センターは年に3回当時者会を主催している。当時者だけで行うのは上手くいかなかった。

今回は県内の他地域のグループと合同で行われた。これは初めてのこと。スムーズにいってなごやかに終った。多数の人がいるところが苦手な人でも新たな当事者の出会いを楽しんだ人もいた。

僕はいつも通り2時間程で疲れた。帰ってから2時間ぐったりして、クラヴィコード弾いて10時には眠ったが、翌日は目覚めが悪く7時まで寝てた。その後もだるい。気分すぐれない。
僕にとっては、やはり誰とも接せず日々1人で勉学研究にいそしんでいるのが健康的だ。無駄に疲労することも少ないし、勉学に費す時間も多くとれる。

人は社会を運営するために必要不可欠である。僕はその社会の中で生きるのに慣れているし、便利。その中で健康に生きるには人と接するのをなるべく避けて、住み家に引きこもっているのが基本。これが基本的に健やかなのだ。
健康な状態が人とズレているのだ。根本的にあまり社会的ではないのである。社会を観察し、その矛盾を見つけたりするのおもしろい。

追記。一昨日の当時者会の日昨日はやや暑かった。今日は朝食後ひどい下痢で腸が空になったのでは!?という程だったが全く辛くない。むしろ元気になった。いつもと違うことするとストレスになる。今回のはそれと思う。行動できなくなるわけじゃないから大きな問題ではないが、ストレスかかってるということだ。