5 Jan 2024

阿毎多利思此古は孝安天皇の兄

Youtubeの動画で、隋書に出てくる阿毎多利思此古と同じ名前の皇族を見つけたというのがあった。それが第6代の孝安天皇の兄:天足彦国押人命


wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%B6%B3%E5%BD%A6%E5%9B%BD%E6%8A%BC%E4%BA%BA%E5%91%BD

孝安天皇
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E5%AE%89%E5%A4%A9%E7%9A%87

孝安天皇の和名は、日本足彦国押人天皇(紀)、大倭帯日子国押人命(記)。

隋書で兄弟統治をしていたのは、この兄弟なのか。ということは、推古より前の天皇の系図はかなり改竄されたということか。それは天武天皇の頃までは、まだ知られていたのか。

天足彦を祭る神社は岡山と滋賀、山梨と東京のみ。天理市和爾下神社にも以前は祭られていたが、今は祭っていない。

九州年号というのがあって、その中に兄弟という年号がある。これが倭の年号で、600の遣隋使の年代頃か。
倭王の子、和漢通は子の彦姥津命。
押媛は、孝安帝の嫁になった。

DNAで渡来系は北九州から四国に多く居ることが分かっていて、淡路島の近くには神武の初めての国らしい地形の中島がある。出雲神族口伝では天孫族は、互いに争って王位に就く者が居なくなったので、出雲系の越から継体天皇が皇位に就いた。数代を経て、天孫族に戻ったのだろうか?