25 Jun 2023

Puppy linuxでDVDが見れない。

 友人がDVDプレイヤーで複製してくれたDVDがPuppy linuxで見れない。

ディスクをドライブに入れると読み込もうとしているようだが、ドライブがガチャガチャ言ったり、読み込んだりと動作がおかしい。

調べてみるとPuppy linuxはudfをオートマウントしないらしい。

udfは動画のDVDの一般的規格らしい。

Pburnを起動してデータディスクのコピーを選択し、ディスクを入れて読み込みを開始するととりあえずDDで吸出しを行っている。これはPburn.isoとしてメインドライブに一時的に保存される。吸出しが終わってからマウントしてコピーしたらほとんどのファイルはinput/output errorで読み出せなかった。

操作の続きを行う。空のディスクに差し替えて焼く。焼き付けに失敗して何回かトライすると上手く行った。先のisoをメインドライブにコピーしておくとPburnを終了しても残っているので、そのisoを焼き付ける。

isoを焼こうとしても数回蹴られるがなんとか上級オプションでコマンドを修正するウィンドウにカーソルを置いたら焼けた。

こうして複製したディスクは自動で読み込まれるようにはなったが、すべてのファイルをこぴーできなかった。

24 Jun 2023

桓檀古記

朝鮮の民族史ということになっている。内容が神話になっている。

三神五帝本紀
蘇塗の立つは、皆戒有り。忠、孝、信、勇、仁の五常の道なり。蘇塗の側に必ずけい堂を立て、未婚の子弟をして事物を講習せしむ。蓋し読書、習射、馳馬、礼節、歌楽、挙摶(金刃術の類なり)の六芸の類なるべし。






三韓管境本紀
「〜乃ち大日王、天を祭るの所なり。」
中略
熊女の君、天王の信ずる所と為り、世襲して斐西岬の王倹と為る。

桓雄天王、日本では天皇としたか。
辰韓は天王(王検)自ら為めた。

高句麗
夫餘王に世継ぎがいないので、朱蒙が養子になって高句麗が始った。

高句麗国本紀 第6
〜任那はもと対馬島の西北界に在り。北は海を阻てて治むるところ有り。国尾城と曰ラ。東西に各々墟落有りて、或いは責し、或いは叛く。後、対馬の二島、遂に任那の制する所と為る。故にこれより任那は乃ち対馬の全称となる。
古くより、仇州と対馬は乃ち三韓分治の地にして、もと倭人世居せる地に非ず。
任那又分かれて三加羅と為る。謂う所の加羅とは首邑の称なり。これより三汗相争い、歳久しく解けず。佐護加羅は新羅に属し、仁位加羅は高句麗に属し、鶏知加羅は百済に属すはこれなり。
永楽10年、三加羅尽く我に帰す。これより海陸の諸倭、悉く任那に統ず。



大震国本紀
668 唐が高句麗を滅す。669王の子が渤海に逃れ、大震国を建国。聖武帝に遣使。

「〜依羅、衆数千を率い、海を越え、遂に倭人を定めて王と為る」と。
日本旧くは伊国に有り。亦伊勢と曰い、倭と同隣す。伊都国は筑紫に在りて亦即ち日向国なり。これより以東、倭に属す。その南東は安羅に属す。安羅はもと忽本(北扶余)の人なり。
北に阿蘇山有り。安羅、後に任那に入る。高句麗と早己親を定む。
末盧国の南を大隅国と曰う。始羅郡有り。もと南沃沮人の聚る所なり。
中略
時に倭人、分かれて山島に拠り、各々百有余国有り。その中狗邪韓国最大にして、もと狗邪本国人の治むる所なり。
中略
始め一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。方400余里なるべし。又一海を渡り、千余里にして一岐国に至る。方300里なるべし。もと斯爾岐国なり。子多の諸島、皆貢ず。又一海を渡る。千余里にして末盧国に至る。もと把婁人の聚まる所なり。東南に陸行すること500里にして伊都国に至る。乃ち盤余彦の古邑なり。

隋書 倭国伝の五弦について

隋書に書かれている倭国についての記事の中に次の文がある。
「楽に五弦、琴、笛あり。」
五弦とは琵琶のことと思う。

23 Jun 2023

VOBをmp4に変換

 VHSからVOBに変換した動画を再生すると早送りが正確に行われない。

Shotcutで変換しても10数秒分しか変換されない。

VLCで変換したが、動画が途中から止まる。音声だけは再生できる。

ffmpegで変換。これは上手くいった。

参考サイト


19 Jun 2023

邪馬台国の一大率

参考図書:
「倭国伝」中国正史に描かれた日本 講談社

三国志 夫余
長城の北方にある。北に弱水(アムール川(黑龍江)又は松花江)。平坦な地方で五穀(稲黍稷麦菽:いね、きび、あわ、むぎ、豆)に適する。身体はごつく性格は勇猛だが、温厚で略奪強盗をしない。官吏の役職に六畜の名をつける。馬加、牛加、豬加、狗加、大使、大使者、使者など。
飲食に高坏を用いる。
天を祭る。殉葬あり。
王仇台が公孫度から嫁をもらう。

三国志 高句麗
扶余の南、山谷深く、畑が少ない。食物を倹約し、建物を作る。鬼神を祭る。せっかちで荒っぽく略奪を好む。言語は扶余に似る。
五種の部族がある。貴族は耕作しない。1万人程いる。きれい好きで酒を作る。10月に天を祭る。

三国志 把婁
扶余の東北にあり、北端は不明。言語は扶余と異なる。深い穴を堀って暮らす。養豚、豚を食べ、皮を衣服にする。船で隣国を略奪する。漢以来扶余の臣下。

三国志 
朝鮮半島の辰韓と高句麗の間。殷の貴族の箕子が建国し、八条の教えを作り民を教化した。盗みなし。
きまじめで禁欲的、恥を知り物乞いをしない。言語は高句麗に似る。山川の神を大事にし、あちこちに聖域を設けて立ち入りを禁じている。同姓の結婚はしない。養蚕し、絹を作る。夜明けの星をみてその年の収穫を占う。10月に天を祭る。虎を神とする。

三国志 韓
南は倭と接す。
馬韓の民は土着民で養蚕し、絹を作る。綿布も作る。50余国ある。大きなものは1万余戸、小さいものは数千戸。
辰王は月支国を統治している。
196~220 公孫康が帯方郡を新設し、韓と倭はここに属した。
屋根を草で葺いた土の家、中国の冢のよう。珠玉を財宝とする。性格は強く勇敢。
5月に鬼神を祭る。鐸舞のような舞をする。
都毎に1人天神を祭る司祭を立て、天君と呼んでいる。
国每に蘇塗という特別な村があり、大木を立て、鈴と鼓を懸けて、鬼神に仕えている。逃亡者をかくまっている。
国を邦、弓を弧、賊を寇と呼ぶ。

辰韓:秦の代に労役を避けて逃げた人達に馬韓が半島の東を与えた。これが成立。始め6国、後に12国に別れた。弁辰も12国ある。大国は戸数4、5千。小国は6、700。総4、5万戸。
辰韓12国は辰王に服属。辰王は常に馬韓の人を当てており世襲。辰王が馬韓から独立できない。

弁辰では五穀、稲を作り、養蚕をする。
鉄を産出し、韓、濊、倭がこの鉄を取っている。この鉄を銅銭のように使う。
竈を家の西側に作る。鬼神を祭るが祭り方は異なる。背が高く、髪を長く伸ばしている。

三国志 倭人
帯方郡の東南の島に国がある。古くは100以上の国があり、今は30国と使節が往来している。
飲食に高坏を用いる。
卑弥呼が死んだ時、奴隷を100人余殉葬した。
一大率が諸国を監督している。

隋書 高句麗
夫余の王が河の神の娘を捕らえて部屋に閉じ込めておいたら、部屋に日光が差し、娘を照らし、妊娠した。卵を生み、卵から男子が誕生した。この朱蒙は逃げた。
大河を渡れずにいると、河中の亀や魚が積み重なり橋を作った。彼はこれを渡り、迫手を逃れた。高句麗を建国し、夫余を併合した。


隋書 百済
官階について書かれている。
左平、大率、恩率、徳率、杆率、奈率、将德
ここまで紫帯

施德、黒帯

固徳、赤帯
李徳、青帯
対徳、以下黄帯
文督、武督、佐軍、振武、剋虞、みな白帯

冠は皆同じ。奈率以上は銀花を飾る。

高句麗王の侍女の子が王
公孫度から嫁をもらって増々栄えた。
新羅、高句麗、倭人、中国人が混ざって住んでいる。
騎馬戦が得意。博打双六がある


隋書 新羅
高句麗が作った国。中国、高句麗、百済人が混ざっている
新羅王の祖は百済人。高句麗兵が集団で新羅へ移住し、だんだんと強国になった。元は百済の属国だったが、今は百済の属国、迦羅諸国を襲っている。

官位
伊罰干(宰相)、伊尺干、迎干、破弥干、大阿尺干、阿尺干、己吉干、沙咄干、及伏干、大奈摩干、奈摩、大舎、小舎、吉士、大烏、小烏、造位

隋書 靺鞨
地面に竪穴を掘って住む。囗齒みの酒をつくる。尿で手や顔を洗う。弓矢の矢じりは石。

隋書 琉球(現在の台湾)
隋に服属しなかったので滅ぼされた。倭国の使者は琉球の麻の鎧を見て、夷邪久国人のモノと言った。

隋書 倭国
30余国あり、それぞれの首長が皆王を名乗っていた。
卑弥呼は鬼道を用いていた。
600 阿毎 多利思比孤が使者を送ってきた。兄弟統治(天を兄、太陽を弟)を改めさせられた。兄弟という年号がある。
冠位12階。
魏志の時は髪をみずらにして両耳の前に垂らしていた。隋代から冠の制度を定めた。弓矢の矢じりは骨。
倭国王が朝廷に臣下を集める時は倭の音楽を奏でた。戸数は10万。奴隷制有り。五弦の琵琶、琴、笛がある。巫子の神おろしがあった。
食物を柏の葉に盛った。
阿蘇山があった。

607 多利思比孤が使者を送った。

608 裴世清が倭国へ遣わされる。竹斯国の東の秦王国に着く。中華人と同じ風俗。10余国を経て海岸に着く。竹斯から東は皆倭に属する。
この後使者往来が途絶えた。

旧唐書 倭
古えの倭奴国。王の姓は阿毎氏、一大率が諸国を検察する。冠位12階。庶民は仏教を信仰している。衣服は新羅に似る。

631 唐に遣使。使者を供い帰国するも王子とモメて国書を読まず、帰ってしまう。
648 新羅から来た使者に唐への親書を託す。

旧唐書 日本
倭国の別種。
703 粟田朝臣真人が来朝。
713~741 使者が来朝。白亀元年の税として納められた布を玄黙に納める。唐からもらった物を全て売って書籍を買って帰った。朝臣仲満は唐朝に50年仕えた。
753 使者が来朝。
760-762 仲満(朝衡)出世。
804 橘逸勢と空海滞在。
806 先の学生が帰国。
839 使者が来朝。

新唐書 百済
扶余の一種。風俗は高句麗と同じ。

新唐書 新羅
弁韓の子孫。事を行う場合は必ず衆議し、一人でも合意できなければとりやめる。奴隷あり。海中の山で牧畜する。
王は金氏、貴族は朴氏。一般人に姓はない。元日に日月の神を拝む。
馬が多いが走る能力は劣る。市場では女性が商いする。
841~846以後朝貢なし。

新唐書 日本
古の倭の奴国。屋根は草ぶき。本率一人を置き諸地方を監督させている。仏教を信奉している。冠位12階。国王の姓は阿毎氏。
32代までは筑紫城に住み、神武から天皇と呼び、都を大和州に遷した。
欽明11は552。用明が多利子比孤。
 650~656に孝徳が即位し、朝貢。
天豊財=斉明?天智と続く。
662 蝦姨人と供に入朝。
天武、総持と続く。
670 高句麗平定を祝う使者あり。その後国名を倭から日本へ改めた。
701 文武が粟田朝臣真人を使わせた。
文武、阿用=元明?、聖武。
天皇の継譜あり。

宋史 日本国
元は倭の奴国。
984 僧が弟子5、6人と来た。官庁制度表、王年代記を献上。
日本国は麦に適していない。売買に銅銭を用いる。音楽は中華と高麗の2部がある。国王の姓は王。
天皇の系譜あり。

応神の時、百済から文字が伝わる。
552 百済から仏教が伝わる。
用明の子が聖徳太子。600に隋に使者を出したのは彼。
白雉4=653

1026 太宰府から朝貢しにくるが政府の上表文を持っていないので、帰した。
1176 日本船が明州に着き、100人以上が飢えていた。保護して日本に帰した。
1183、1193、1200にも流れついた。


ピアノ練習:椅子の高さの決め方

エクササイズをこなし易い高さ。低過ぎると手首の小指側に痛みが出る。高過ぎると猫背になり頭が前に出て肩と背中が凝り易く長時間練習できない。

前腕が水平位から始める。スケールとアルペジオを弾き易い高さを見ける。6度離すと手首の位置を高くする必要がある。

ブラームスの50の練習曲はハノンよりも手首の高さを必要とする。そのため椅子を上げる。

13 Jun 2023

Shotcutで動画編集

2023/06/23

DVDが焼けない問題はドライブのトレイの閉じ方(押し込み方)によるものだった。以下の作業は全く必要ない。 


獅子舞の収録時の動画が2gbを超えていたのでDVDに焼けなかった。

問題はファイルサイズで、iso9600 level 3が対応している様だが、Puppy Linux bionicのpburnではlevel 2、braseroはダイアログでlevel 3で読み込むと表示されるが、実際にiso-imageになっているのは2gb未満のファイルだけだった。

仕方ないのでshotcutで動画を分割することにした。

参考サイト

mp4で書き出した。movで書き出す方とmp4で書き出すよりもサイズが大きくなってしまったので。

shotcutで書き出す時は右側にジョブのウィンドウが表示され、進捗率を見ることができる。


3 Jun 2023

日本古代史勉強3

記紀から離れてアウトラインを考えてみる。
DNAの研究を取り込む。

D系統はバイカル湖湖畔から南下し、漢民族に押されて融合し、ツングース系になり、日本海まで移動。
元々アイヌ系が日本の人口の90%だった。

O系統は長江下流域で南方からのマレー系と融合し、稲作を発展させた。漢民族に押し出された。半島と日本列島に逃げた。

bc4000 陸稲裁培

bc2200~2000 寒冷
ツング一ス系が南下し、日本列島に流入した。太陽信仰とシャーマニズムがあった。

ツングース系はモンゴル+中華系。日本の人口の30%に至った。

黒龍江(アム一ル川)から扶余系部族(シウカラ)が、南下し、半島を通って出雲まで進み、各地に分国を作った。出雲王国建国。トコヨミカド系クナ卜王。畑作、養蚕、穀物裁培を広めた。

半島付近はモンゴル+マレー系。
マレー系は稲作民族。
日本人の高身長化が進んだ。背の高い民族は扶余系。

bc1500~1200 寒冷
沿海地方から鉄の武器を得たオロチョン族が出雲へ進撃してきた。シウスサカの族長スサノオが返り撃ちにした。以後スサノオが支持された。
後に東魚是国として呉に朝貢し、交易していた。

bc1000 水稲裁培

bc400〜200年間、北九州、出雲、丹後から土笛が発堀される。長江下流域の河海渡文化の系統が渡ってきて、稲作が行われていた。

九州には南から進出してきた沖縄人や大陸南部、半島から逃れてきた部族たちが入り込み、住んでいた。

ad57 倭奴国が漢に使いを送った。倭奴国は高句麗系の国。

扶余の仇台が公孫度(150~200)から嫁をもらって同盟し、伯済を建てその王族になった。公孫氏は帯分郡を設置し、半島の倭人と韓人を従属させた。

九州の倭人達は、7、80年間争い合った。扶余と公孫氏をバックにしたヒミコ(在位:239~247)が共立されて争いが止んだ。魏に朝貢した。この公孫氏の系統が天孫族。兵法が確立していたので謀略が得意。
九州南部の狗奴国(扶余系役人)との戦に勝ち、トヨが即位。後に任那に移動し、鉄を確保した。

筑紫の東側に弓月君の一郡が定住し、秦王国ができた。弓月君は馬韓の月支国の王子で辰韓を統治する王家だった。新羅から技術者が抜けるので新羅は抵抗した。筑紫から援軍を出して来朝させた。

筑紫と秦王国(豊国)は友好国で、各々年号を用いていた。

天孫族は出雲へホヒ(二ギハヤヒ)を送り込み、終婚させ、天孫軍を引き込み、戦った。出雲は敗戦し、事代主は入水自殺。大国主は洞窟へ閉じ込められ、飢死。ミナカタノトミノは越まで後退し、信濃で第2出雲王朝を建国。後の蝦夷となる。
大神殿を建設して、天孫系の信仰に改宗した。

ホヒは奈良の出雲の分国にも攻め入った。
前方後円墳が作られ、全国へ広がった。

新羅の王子ヒボコが出雲へ来襲。撃退され、但馬へ逃げた。そこで結婚し、若狭、近江、奈良へ入り、倭漢氏(葛城氏)に加わった。
鉄を求め、吉備へ侵攻。淡路、愛媛(伊予)の百済人部族が加勢し、吉備敗退。鉄と陶器を作る。

ヒボコと天孫族が組んで出雲に侵攻し、島根の熊野大社から勾玉を奪った。
三種の神器は3大王族の宝。
出雲:勾玉、天孫:鏡、越:鉄剣

祭祀が中断され、各地で反乱が起き、天孫族間も争い合った。
ホヒ族が祭祀を代行するも治まらず。

ヒボコ族から天孫族へ王后が出た。オキナガタラシヒメ。

数百年後、天孫族間の争いで、王と皇子が全て死亡した。天孫族のY遺伝子はここで絶滅。
朝鮮系の豪族達は出雲族に王を出すよう頼み、出雲の分国の越のオホト王が皇位に就き、以後3代が出雲オホト系。

600 隋(581-618)へ筑紫から遣使。仏教導入し、冠位12階、17条憲法を制定。蘇我氏は築紫系。

663 唐と新羅が白村江で百済に戦勝。百済が滅ぶ。築紫系の船団が壊滅。
豊国系中大兄(天智)が近江へ遷都し、九州に水城建設。中大兄は蘇我を討つので対立勢力に属する。
筑紫系大海(天武)が兵を集め、天智を討ち、兄弟統治:政祭分離統治を終らせ、王朝を一本化し、中華帝国風中央集権国家を作っていった。鬼道が整備され、神道となった。王権纂奪が起きないように万世ー系とする記紀が作られ、歴史が改竄された。

数代後、王位は豊国系に戻ったが、表向きには万世ー系。現在まで続く。

九州、四国は渡来系豪族の根城だった。
日本の支配層は朝鮮と大陸からの渡来系。
大陸のように民族交代するような虐殺はあまりなかった。
記紀の改竄はひど過ぎる。神話は話にならない。
皇室は天孫=公孫氏の系譜。同族間の争いでY遺伝子は絶滅した。なので傍系によって現在までつながっており、遺伝子は普通の日本人と思われる。

公孫氏は漢民族なのか?

藤原氏は公孫氏の配下の役人で史書制作担当。筑紫系を裏切って中大兄に協力したが、筑紫系大海が壬申の乱で勝ったので干され、一役人から再スタートした。

2 Jun 2023

日本古代史勉強2

出雲の王スサノオの後、大国主になってから天孫族のホヒが九州から出雲にやってきて結婚。天孫族を引き入れ、戦となる。

大国主は敗け、ほろ穴に入れられ殺された。
ミナカタは信濃まで逃げて分国を作った。

ホヒは奈良も占領。

しばらく平和だった。

九州伊都国の神武を長門で迎え討つ。だまし討が得意だった。渡来人を味方につけていた。
ヒミコより後か。動物を味方にいいたので、扶余系か。
ヤマトをおさめていたナガスネヒコは敗退。

新羅からヒボコが朝鮮から侵攻。撃退した。但波へ逃げた。 若狭、近江を経てヤマト(奈良)へ入る。倭漢氏(葛城)(後漢霊帝の子孫)と結ぶ。
鉄を求めて吉備(岡山~広島)へ侵攻。出雲は抵抗するが、愛媛、淡路の百済人がヒボコに味方したため敗戦。
久米川から鉄を採り、陶器も焼いた。

天孫とヒボコが組んで、出雲を攻撃し、熊野大社から勾玉を奪った。
祭祀を停止した。各地で反乱。天孫族はヒボコを動かし、祭祀を行うよう賴んできたが応じなかった。ホヒが代行したが、内乱激化。天孫族の間でも争いが生じた。

ヒボコ族から王妃が出た。オキナガタラシヒメ。ヒボコは天の姓に加えられた。

数百年後、天孫族の間で争いがあり全滅した。朝鮮系の有力者は出雲に天皇になるよう賴んだ。古志のオホトが継体帝(507-531)となった。安閑(子)、宣化(子)までは出雲系。

日本古代史の勉強

 Youtubeに興味深いチャンネルがある。

現在偽書とされている古史古伝を紹介しているチャンネル

動画の内容がnoteに書かれている。

九州王朝説を提唱している福永晋三さんのチャンネル


福永さんは著作もある。
ここに福永さんの長年の研究による説がまとめられている。主に日本国内事情なので、渡来人達に対する説はない。


えりえなの出雲神族口伝や邪馬壱国の動画には偽書とされている古史古伝に書かれた日本の古代の姿や朝鮮半島の古代史が紹介されている。

これらの情報が嘘としても読んでおいた方がおもしろいだろうと思って読んでみた。

出雲口伝では出雲族は4000年前にクナト王を中心として南西して出雲に到り、鉄の採集方法や布の生産、農耕を伝えたとある。蛇を信仰している。

ロシアの沿海地方はb.c. 1000頃に鉄器製造が起こっていた地域。アジアでは早い。近くにアムール川があり、中国語で黒竜江。沿海地方のすぐ下に黒竜江省がある。おそらくこの辺りに住んでいた鉄器を使っていた集団が出雲族ではないか。

b.c. 1000より後、出雲族がサハリン経由で日本列島を南下し、出雲で定住。各地に分国をつくる。
スサノオが馬を連れて、砂鉄を求めてやって来た。越のツングース系のオロチョン族の攻撃に対抗した。その後民から支持され、クナト族の娘と結婚。これがスサノオをヤマタノオロチ退治の話と思う。

スサノオは牛をトーテムとするので扶余の役人か。

鉄器製造はb.c. 1400のヒッタイト。黒海と地中海に挟まれた地域でメソポタミア文明の地域。b.c. 1190の海の民の攻撃以後、鉄の製造技術が伝搬した。ここから沿海地方までの伝搬についてはわからない。

日本の鉄器製造は3世紀中頃から7世紀頃に確立された。それまでは鉄器を輸入していたと考えられている。

出雲神族が日本列島に入る前に先住していたのは、古史古伝から濊族と思われる。それはこの民族の性格が大人しく、窃盗略奪がなく、夜でも門戸に鍵をかけないから。

出雲は本州各地に分国を作った。東魚是国として九州王朝とは別に中華帝国南朝に朝貢していた。

この濊族と共通言語を持っていた古代の国が扶余。この祖先は殷の王族の箕子朝鮮らしい。
扶余から高句麗ができた。
扶余は農耕や養蚕が得意で略奪しない。高句麗は農耕では充分に食料がまかなえず、略奪を行っていた。

漢の時代に公孫子が遼東半島で独立し、公孫氏と扶余は婚姻関係を以って同盟した。
  • 扶余は伯済を建国(後の百済。王族は扶余)
  • 公孫氏は帯方郡を建てた。

こうして半島に住む倭人を支配。九州に移住して建国する。伊都国はイワレヒコ(神武)の領地。卑弥呼は公孫氏と扶余の同盟のために嫁いだ公孫氏の宗女。

以後朝鮮系の武闘派によって、出雲が攻められ、奈良も奪られた。出雲の王族と皇子は全て殺され、祭祀が行われなくなったので、農業が止まった。おそらく反抗の意志を示したのでは。

食料が確保できないと話にならないので、祭祀を再開するために継体天皇を擁した。