28 Aug 2021

味摩之

Wikipedia:  味摩之

『日本書紀』によれば、612年(推古天皇20年)に帰化したと言われており、呉(中国南部)で学んで、伎楽の舞を修得したという。『令集解』の『職員令』の項目によると、伎楽と腰鼓などは呉楽であるとされており、その舞は滑稽卑俗なものであったと言われている。


桜井(豊浦寺のあったところ)に住居を与えられ、少年を集めて伎楽の舞を教えたとされる。真野首弟子・新漢済文がその舞を習い、伝承している。


新羅本紀

402 新羅が倭国と通好し、新羅は奈勿尼師(356-402)今の子、未斯欣を人質として倭に送った(新羅本紀)

未斯欣(みしきん)が味摩之(みまし)に音が近いなと思った。紀では百済から帰化したとあるが、百済の人っぽい名前じゃない。未斯欣の方がまだ近い。