22 Aug 2021

魏志韓伝

「魏志韓伝」解説

古代朝鮮と倭の歴史を年表を作ってみたら噛み合わない。そこで中華史書に年代のはっきりした情報がないかあたっている。三国志(180-280)。

このリンク先でおもしろいのは馬韓の国が載っているところ。

  • 桑外(サウグワイ)国
  • 月支(ゲツシ)国
  • 伯済(ハクセイ)国
  • 駟盧(シロ)国
  • 不彌(フウビ)国
  • 卑彌(ヒビ)国
  • 狗盧(コウロ)国
  • 一難(イツダン)国

カタカナは漢音。桑外(サウグヮイ)国はソガ国かもしれないというような違いまで含めて良いでしょう。とある。

月支国は辰韓12ヶ国を統治していた王族を輩出していた国。この国自体は馬韓国に属していた。辰韓が秦から逃げてきた人々の国で月支国の王は秦の始皇帝の子孫。弓月君が120県人々を率いて帰化している。

嶋津氏系図によると弓月君である融通王の次に竺達王([208]-)がある。これって筑紫王?土地名+王っていうのが中華の名付け方らしい。

隋書に筑紫国の東に秦王国がある。これって月支国の弓月君がつれてきた120県の人達の国か。華夏と同じというのは当時の漢民族と同じという意味で隋の使者はそれに驚いていた。

弓月君の一団は筑紫と隣の豊日別に住んだのか。そして弓月君の子供が筑紫の王族になったか。

伯済国が後に勢力を増して4世紀に馬韓を統一して百済となす。

不彌国って、魏志倭人伝にある不弥国と同じ漢字。
(不彌國)は、奴国(または伊都国)から東へ百里の位置にあり、長官は多模、副官は卑奴母離と呼ばれ、1000余の家がある。
北九州辺りにあると思われる。

桑外の読みがソガかもしれないと著者によって言及されている。これを読むまで気づかなかった。蘇我氏の国か。蘇我氏は半島の技術者や仏教者と通じていて、日本に仏教ベースの新風を吹き込んでいた人なので、半島出身者でもおかしくない。また多利思比弧と思われる聖徳太子が実は弓月君の子孫で秦の始皇帝の子孫で、蘇我氏に担がれて筑紫と隣の秦王国の国勢を担っていてもおかしくない。これが奈良や飛鳥の田舎なら新風吹き込むのは不可能と思うが、北九州なら少々の反対があってもできそう。

中大兄皇子は秦の始皇帝の子孫にあたる山背大兄皇子の一家を自殺に追い込んだ恨みを晴らすため、蘇我氏を討ったのでは?九州で斉明を連れて朝倉宮に入れて政権を運営するし、蘇我氏の傍流を手下にしている。やりすぎた入鹿を討伐して巫女の下に王がついて政権を担当するというやり方に戻したのか。

卑彌国の読みは卑弥呼に共通しそうだけど。
卑彌国に続いて狗盧国ってあるけどこれって狗奴国?
こいつらペアで北九州へ移ったのか?

一難国って倭奴国じゃない?

馬韓伝
五月に種まきが終わると鬼神を祭る。群衆は歌って舞い、酒を飲み、昼夜休まない。その舞いは、数十人がいっしょに立ち、円形に一列になって地を踏む。手を下げたり上げたりし、足もそれに合わせてうごく。節回しは(中国、漢の)鐸舞に似たところがある。十月に収穫が終わるとまたこのようなことを繰り返す。

現代の日本でも収穫後にはお祭りやってる地域ある。田植え前にもやっているので1年に2回。これって古代の日本の2倍年歴ってやつでは。鐸舞っていうのが銅鐸の使い方か。


鬼神を信じ、主邑では、それぞれ一人を立てて天神の祭りをつかさどらせる。これを天君と名づけている。また、諸国にはそれぞれ特別な集落があり、これを名づけて蘇塗(ソト)とする。大木を立て、鈴や鼓を懸けて鬼神に仕える。さまざまな理由で隠れたり逃げたりしてその中に至ったものは皆これを引き渡さず、好んで賊を作っている。

統治者の村邑では一人を立てて天神の祭りをつかさどらせるって。天君と呼ぶって。これって日本の天皇。。町の神社か。主邑って月支国じゃないか。

諸国の特別な集落ってやくざ?鬼?なまはげ?小角の使役した鬼?

辰韓伝にも国があげられている。
弁辰狗邪國
斯盧國

斯盧國は後の新羅。弁辰狗邪國は狗邪韓国で倭へ渡る際の港。

首都は月支国。ここに辰韓12ヶ国を収める王がいた。伯済国が勢力を伸ばして百済となる。


(朝鮮)侯の(箕)淮は勝手に王を称していたが、燕からの亡命人、衛満が攻撃して奪うところとなり、その左右の宮廷人を率いて海に逃がれ、韓の地に居住して自ら韓王と号した。その後裔は絶滅したが、今でも韓人でその祭祀を奉る者がいる。漢の時は楽浪郡に属し、季節毎に朝謁した。

箕氏は殷の王族。太陽信仰や占いで政治やってた。



弁辰伝
弁辰は辰韓と雑居する。城郭がある。衣服や住居は辰韓と同じで、言語や法俗も似ている。鬼神を祭ることに違いがあり、かまどは家の西側に作る。

これって竈祭りにつながるか?
弁辰には各国に王がいて、辰韓国には馬韓の月支国の一族が王となっている。

246
魏の楽浪、帯方二郡が馬韓の箕氏を滅ぼした。韓、那奚等の数十国がそれぞれ種族を率いて落ち降った。(魏志)

那奚は馬韓の古爰國か狗奚國?

「魏志韓伝」解説の弁韓伝の後に、倭人が呉の太伯の子孫を名乗った件について触れている。越に破れた呉の人々は北方へ追いやられ、朝鮮半島へ逃げた。
殷から逃れてきた人々も住んでた。とても行儀良かった。

57 倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす(『後漢書』東夷伝)
107年 倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う

この2つは朝鮮半島の呉の末裔が住む倭のことではないか?一難国か?この国が朝鮮半島の南にあったとか。