23 Aug 2021

つのがあるひと

 倭人が来た道 第9章 確かな足あと

Wikipediaで殷について読んでいたところ、山海経や淮南子という中国の神話などが書かれた書物があることを知った。

それらには天地開闢の話や足の3本ある烏の話、太陽神の話など載っている。これがかなり古くからあったらしく淮南子の方は前世紀に成立している。また日本には古くから入っていたらしい。

つまり古事記や日本書紀の元ネタになっている可能性がある。

上のブログにはミャオ族の信仰、頭が人体が蛇の神さまの話とか、タイのアカ族の鳥居の話とか三角が連続する模様とかしめ縄とかあるのだが、驚いたのは女性が角みたいに飾りをつけている。これは劉邦が軍に採用したらしい。

都怒我阿羅斯等ってこの部族の人か漢以後の人だろうか?”つのがあるひと”に漢字を当てただけなのがおもしろい。

この人は大加羅(金官国)から来たと考えられているらしい。この国は三韓時代にはどこにも存在しない。弁韓時代の弁辰狗邪国

半島南の倭のあたりが3世紀から6世紀中頃に伽耶になってその中に存在する。

その辺りでは5世紀後半から6世紀中葉に前方後円墳が作られる。日本産の翡翠が大量出土している。

日本では3世紀中頃から7世紀と半島よりちょっと長い。

3世紀半ばから奈良を中心に作られたらしい。

前期 3世紀中頃から4世紀中頃、数は東国に圧倒的に多い。

中期 4世紀後葉~ 5 世紀末葉 は規模が大きい。奈良近辺よりも西と東に数が多い。

後期 6世紀後半、西と奈良近辺では作られなくなるが、東で大型が作られる。


半島南部の倭と呼ばれた地域と弁韓は一体化したのか?そして日本列島と同時期に同じ形状の大規模墳墓が作られる。しかも日本では関東地方に圧倒的に多い。

日本に渡来した王族に国を分け与えたのだが、九州と近畿では間に合わなかったので関東を分けたか?それにしても王に比肩するレベルの大きさのものが多数あるのは、半島諸国の中枢がそのままやってきたのか?