16 Oct 2021

雅楽の古譜を読む:蓆田

 ”むしろだ”

竹馬の友という内容か。男性の合唱が合うかも。

この曲は現代の雅楽で演奏されている。

博雅会の演奏。
試しに2倍速で聞いてみたが、これが現代の日本の純邦楽につながっているとは考えにくい。

僕の読譜によるもの。
歌の音程は箏と琵琶の楽譜から取った。
日本の民謡にこんな歌唱法がある。これは現代の歌手もやってる。1000年前から既にやってたらしい。

博雅会だけではなく雅楽演奏団体はほとんど明治選定譜で演奏していると思う。読譜も4-12倍遅い現代雅楽の伝統的なやり方で。

この手法で原曲を素晴らしくアレンジしているのなら何も言うことはないのだが、原曲の良さを破壊してしまっているのは大問題と思う。個人の作品なら愚か者がいるな位の問題だが、国家規模でやっているのは病みが大き過ぎる。現代雅楽を支持している人達は一般国民を洗脳しようとしていると思う。古代中華帝国の宴会の音楽だったり、コミカルな仏教音楽劇だったり、大陸の国家の舞踏の曲だったり、大道芸のBGMだったり、原曲はどれも耳に馴染みやすい旋律を持っていると考えられる。

実際雅楽については平安末期に成立した古譜の写本、仁智要録と三五要録を全曲読んでみたが、そこには生き生きとした音楽が書かれていた。

それを知って現代雅楽を聞くとうんざりする。あまりにも愚か過ぎる。基本的に支配者は古代の音楽などどうでも良いのだろう。自分たちの立場や権益を守るために一般国民を洗脳する道具程度にしか考えていないのだろう。