11 Aug 2020

倭人の歴史4 奈良

倭人は沖縄に逃げた。亡命政権があったのか。遣唐使が東シナ海を渡ってしばしば事故ってたのは沖縄経由の倭人の航路が使えず、新羅とも対立してたので半島に治って安全に航海することもできなかったからか。

奈良朝は逃げた倭人勢力を探して降伏させたのか。結局逃げ側の王どうなったのか?

革命政権は中央集権を目指して隼人を従えようとし隼人は抵抗していたのか。古事記も日本書紀も倭人について少しも書いてないのは朝延に都合の良い歴史をでっち上げ、過去の実史を消し去る手法だ。
明治以降天皇(朝廷)が担ぎ出されているが、こいつらが国民の敵で社会に嘘をはびこらせる源なのではないのか?

関東系とか難波系とか倭国王の宮家はYーDNAを共通して持っていたのだろうか?

藤原氏は中央集権下の多数派の農民をまとめていたから地位が高かったのか。

禁書狩りやってる。

都の造営は仕事にあぶれた人達への対策だったのか。
古墳は移民事業の諸けを分配するためだった。公共事業の使い方はよく分かっていた様子。

仏教は神社勢力と化した倭の勢力を衰えさせるために導入されたのか。これだけが理由とは思えない。

倭人時代の倫理感が高く、民衆に根ざしているのは興味深い。現在はWGIPによってそれも壊されているように見える。皇族貴族の腐敗傾向は相変わらずある様子。

720隼人反乱。九州はまだ収められていなかったか。奈良時代には平定が済んでいたわけではないのか。
この頃の天皇は政治に取りくんでいた。

漢字を習得したのは殷、周の時かららしい。BC1046より前に稲作民から習った。AD6とは全然違う。

政権は唐のような国にしようとしていた。呉音~唐音に変えようとした。失敗した。江戸時代まで呉音だったのか。漢音は明治から。なんということか。

大和朝廷が武力によって生まれたらしい。平和の内にできあがったわけではないのか。
政情不安だと女性の天皇になるのおもしろい。

奈良、平安は中央集権、江戸時代は地方分権、明治は中央集権。