27 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:獅子

 ”しし”

獅子は獅子舞の獅子。元は612年伝来とされる伎楽の一部だった。伎楽は朝鮮半島の国家だった百済から伝来するが、中華帝国の南朝で伝習したものとある。

伎楽は大乗仏教布教のための音楽劇だった。聖徳太子が詔で”諸仏の供養は楽を以って行うべし”とした”楽”は伎楽だったと考えられる。

この伎楽は奈良県の桜井市を拠点にして子供を集めて伝習され、各地の寺院で行われるようになった。150年間位は相当人気があったらしい。古事記や日本書紀が書かれたのはこの期間で天孫降臨が伎楽の行道をモチーフにして脚色して書かれている。猿田彦は天狗の風貌で描かれているが、これは伎楽の行道を先導する強力な神通力を持つインド人仏教僧の治道(ちどう)である。この猿田彦が天孫族を先導するという風に記紀では描かれている。仏教誕生が2500年程前で大乗仏教は2000年前位からだから、皇紀2600年よりもさらにずっと以前の天孫降臨は成り立たない。

伎楽が飽きられてきたころ、雅楽が入ってきていた。雅楽の曲には伎楽の個々の曲と同じモチーフで作られているものがあり、伎楽の曲はそれらに置き換えられ、供養の儀式は発展した。

獅子は儀式で舞台を払い清める役目を担っていた。その役目は供養の儀式に雅楽が導入されていっても残された。狛犬が追加されていた。

伎楽の譜面は幾つか現存している。しかしながらそれらの内容が異なっている。伝習された寺で工夫がなされ、独自に発展したのかもしれない。獅子の曲もやはりそれぞれ異なっている。

現在の四天王じで行われている獅子は最も古いものと考えられるが、それでさえもかつて宮中の雅楽にあった獅子とは異なると考えられる。平安時代には既に異なったものがあった。

今回読んだ獅子は宝暦三年(1753)と書かれている曲集、六調子並高麗曲譜 伏872 宮内庁書陵部の最後の方に書かれているもの。

この譜の獅子は音取と破から成っている。この破は打楽器を撃つ位置を示す記号がついているのだが、それを考慮して読むととんでもなく込み入った複雑で速い曲になってしまう。これは秘曲を容易に読ませないようにする工夫と思われる。

読み方に見当がついたので読んでみた結果。

まぁ、聞ける。現代の獅子舞には曲の構造は伝わっているが、旋律は伝わっていないようだ。