20 Sept 2021

雅楽の古譜を読む:納序

 ”のんじょ”と読む。

右方楽(高麗楽)とは中華帝国の周辺の異国の音楽を集めたもので、教訓抄によると周礼にすでに記されているらしい。


高麗楽の大曲である新鳥蘇の冒頭に演奏される。どうやって演奏されたのか詳細がわからない。譜は笛と篳篥がある。


曲名に”序”と付くからには他の曲の序に近いものがあると想像していた。しかし太鼓を打つ場所を示す百の文字が書かれていない。


昨日乱声という曲を読んだ。

  • 新楽乱声
  • 古楽乱声(林邑乱声)
  • 高麗乱声
  • 小乱声

と4曲あった。どれも百の文字がない。これが納序に近いのではないだろうか。

羅陵王という曲では冒頭に乱序というのが演奏される。これも太鼓の位置が書かれていない。

これと乱声は構造が似ている。


乱声の旋律は笛だけで演奏される。打楽器が付く。乱序もそう。他にも譜に百の文字が書かれていない曲には調子や音取がある。これらも打楽器を伴う。現代の雅楽では極少なく叩いているし、一定のテンポが無かったりする。譜には確かに一定の拍子(四拍子とか)を示すものは書かれていない。しかし打楽器の鞨鼓の譜面には四拍子のパターンが書かれている。

歴史的音楽書には鞨鼓が曲の最後まで叩かれるとは書いていないが、テンポが分からなくならないように叩かせることにして作った音源が以前の調子の音源。これによって調子が対位法的手法で作られていることがわかった。美しいハーモニーがある。

乱声には退吹という手法が用いられる。これは複数の奏者が同じ旋律を演奏するのだけれど、演奏を始めるところを前の奏者より1拍ずつズラして吹く。これによってフーガのような旋律の追いかけっ子が聞こえるわけ。

この旋律の追いかけっ子は後から入る旋律が丁度良い箇所から始めると聞き取り易い。その箇所を探して作ったのが乱声の音源。

その経験を元にして納序にも手を出してみた。そうしてできたのがこれ。


乱声では笛が同じ旋律を退吹していたが、納序では調子のように各々の楽器に用意された旋律を組み合わせて演奏するらしい。篳篥の譜は笛よりかなり短い。笛の譜を1回演奏する間に篳篥の譜を3回演奏することができる。調子では笛より先に篳篥が演奏を始めるのだが、高麗曲の音取の譜を読んでみたところ、高麗楽ではそのルールを適用しない方が良い結果がでることがわかった。つまり江戸時代に書かれた楽家録や鎌倉時代に書かれた教訓抄の方がおかしいことがある。

今回の音源では笛を先に演奏させて、それに合う箇所から篳篥をつけた。篳篥の譜には返附の箇所があったので、そこから一定のテンポを打つように打楽器をつけた。対位法的手法には一定のテンポが必要なのだ。なかなかおもしろい結果がでたと思う。

雅楽もかなりハーモニーを楽しんでいたらしい。正倉院には古代尺八が複数残っていて、それらは各々が異なる調の移調楽器であるらしい。その中から同じ指使いの音で長三和音が鳴らせる組み合わせが選択できるらしい。
これはおもしろい発見と思う。
笙の古譜掲載されている曲には笙特有の和音を示す記号が書かれていない。一方音取や調子にはたっぷり書かれている。つまり笙で和音を用いる時は、記号によって示されているわけ。しかしながら現代の雅楽では曲においてもほとんど和音を用いている。古譜にはそう書いてないのに。
僕の音源では笙の古譜に書かれている旋律に5度上の音を足している。これは現代の中国の田舎の村民による演奏でも見られる手法で、Mozartの手紙の中でも終始5度で奏する合唱も悪くないと述べられたりする。
この手法を古代尺八でも使えるわけだ。しかも3度も足せる。

現代の雅楽は一般人向けにレベルを下げるように編曲されたものを国家の権威を高めるため荘厳に聞こえるようにゆっくり演奏されている。結果、元々あったハーモニーや、一定のテンポの中で演奏する作法、軽快なテンポによる味わい豊かな旋律、楽想は失われてしまっている。前世紀に英国の音楽学者Dr. Laurence Pickenによって日本の雅楽の古譜に唐の宴会用の曲の旋律が残っていることが示された。40曲程が分析され本になっている。日本のアマゾンでは検索しても出てこないが。

日本の雅楽界は信仰心あり過ぎなので真実には面と向かわない。科学的教育が行われているにも関わらず、刷り込み教育しかしていない教育機関と同じで、仏作っても魂入れないのだ。