13 Aug 2019

邪馬台国とか

古い音楽調べるの好きなので、ついでに歴史も学んでいる。

魏志倭人伝に書かれいる卑弥呼と邪馬台国は本筋ではなかったようだ。

https://youtu.be/xmaGVBBEjXU

家村和幸さんの説が興味深い。この人の神代の話は全くもってつまらないが、戦いがからんでくると途端に明僚になるので驚く。
邪馬台国=山門郡(九州)
卑弥呼=田油津姫
と説明されている。
田油津が''たぶらかす"に音が近い。
角のある甲をかぶった渡来人を都怒我阿羅斯等(ツヌガアルヒト)と呼んだり、真人の和名のつけ方等、当時のセンスがヒントになっているのでは。
日本書紀が日本史の正史として研究されていて神功皇后が卑弥呼を倒した。両者とも孫子兵法の熟読者かどうか。。。

九州の国々は日本の統治下の郡であった。邪馬台国の卑弥呼は中央政権に密して大陸と通じ、その影響力を駆使して周辺国を配下にし勢力を伸ばしていた。つまり大陸の日本侵略攻策が九州に広まっていた。
当時の中央の大王が妻を連れて遠征に出て九州を大陸の侵略から奪環しようとしたが、敵の戦略的攻撃によって戦死した。
連いてきた妻が旗頭となって卑弥呼を倒伐。邪馬台国の反逆、大陸の侵略から日本は守られた。

大陸の謀略による規暮の大きな内部反乱であった。他地域に反乱の気配を起させないよう書紀で小さく扱った。つまり大陸側に小事と思わせつつも釘を差したいので記述したというところか。

神功皇后=気長足姫(おきながたらしひめ)の功績なのか武内宿禰の忠心なのか。夫亡き後武内をたらしこんで子をはらんで味方にしたから侵略を防げたのか、日本は守られた。
中央は大王不在の間に政権がのっとられ、足姫とその子は邪馬(じゃま)になった。暗殺者からのがれつつ、子を産み育て中央へ返り咲くという筋か。
気長(きなが)に計画して生き延び、必要があれば男をたらしこんで味方にする。分かりやすい名前。つまりここで男系天皇が武内氏のDNA Y染色体に代わった。その後どうなったのか?男系にこだわってたら直系の誰かに後に戻ったのか?

宋書にある王年代紀にあるように九州は中央政権が誕生したところだった。その歴代の王の中に天照が居て、女神とは明記されていない。
卑弥呼は反逆者の首領(今でいえば左派のリーダー 〇んほうか)なので女性の天照のモデルにはしない。気長女姫はたらしだがよくやったと思う。やっぱ彼女か。

教科書には神功皇后の話はでてこない。代わりに卑弥呼。情報操作されてる。そして歴史は用語の記憶と年号の記憶で量られ、国防の歴史のストーリーは考えもしない。長年かけて洗脳しやすい人材を洗脳して育てる。素晴らしい手口だ。コミンテルン、GHQ、WIG、日本人派、赤い人達。命がけで戦わねばならぬっ!

大王の年齢が長過ぎるのは数代いたからか?すでに大家がたくさんあって持ち回りしてたのか?大陸側に記録がないところを延ばしたのか? 神っぽくみえるように?

家村さんによると魏志は偽書。魏が漢を継ぐ正統性を示すために漢書の記述を引き継いだ。明治にはあった説らしい。