20 Dec 2021

雅楽の古譜を読む:求女子でパロディ

 江戸時代には百人一首を引用して、歌を作る遊びとか百人一首をおもしろく解釈する講釈本とか流行っていた。

東遊歌の求女子(もとめご)には各神社用の歌詞が多数用意されていて、もともと諸神社用に旋律を変更して歌う歌だったことが分かる。

ではその歌詞を変更して遊べないか?というのが今回の試み。


求女子という曲には岩清水八幡宮用と思われる歌詞が元々ついている。その初めの歌詞は”君が代に”。同じ歌詞で始まる有名な歌に日本国国歌の”君が世”がある。この詩を当てはめるために、求女子の前半部分を繰り返した。

”君”の意味は幾つかある。主君だったり、妻だったり。江戸時代には結婚式によく歌われたらしい。また古代には大君は王でその妻は君だったと考えられる。魏志倭人伝だったか。ここでは嫁としている。

神楽歌の古譜を読むと現代の演奏とは全く違っていることがわかる。古譜には技巧的な民謡調の歌が書かれている。現代の演奏は先人から受け継いでいると言ってはいるが、古譜とは全然違う演奏がなされている。これは明治時代に神道によって国民の心をまとめようとした明治政府の国家的マインドコントロールの影響もあるだろう。古譜は江戸時代の写で、すでに遅いテンポで演奏するためと思われる各種奏法が盛り込まれて書かれている。それらを排除して元々の曲を復元すると民謡調になるわけだ。よく技巧的な民謡を譜に書き取ったものだ。それを破壊せずに下敷きにしてゆっくりなテンポの曲にアレンジするというのは現代の雅楽曲にも見られる。この手法は室町時代に盛んに行われたらしい。その頃に成立した笛譜がおそろしく込み入って書かれているので、テンポを落とさなくては演奏できない。こういうアレンジになったのは、朝廷に統治能力がなくなり、戦乱の世になって地下楽家を雇えなくなり、地下楽家は自分たちの才覚で稼がなくてはいけなくなった。そこで彼らは雅楽を権威づけるため音楽書を書いた。さらに雅楽の演奏が荘厳に聞こえるようにテンポを落として演奏に装飾を盛り込んで、ハッタリを効かせた。その影響が今も残っていて雅楽は原曲の曲想がわからない位ゆっくり演奏されている。政府からは荘厳に聞こえるようテンポを落とすよう要請があったらしい。

元々宗教など科学や経済が充分に発達していなかった時代に民をまとめ、集団としての力を発揮するためのハッタリ手法に過ぎない。神道は中華帝国の道教の日本版に過ぎず、男系継承も五斗米道など古代道教から導入されたものだろう。建物を建てる時に土を盛ってお祓いするのは中華の土公だし、邪を払うという行事などは方相氏や鬼神からくるものだろう。祭礼で宮司が神を呼び出す時に”おおおおー”と言うのも道教にある。これは神楽歌にも表れていた、阿知女の作法では、芸能の神である天之受女を降ろした巫女に呼びかける声として用いられている。

平安時代末期から江戸時代の終わりまで天皇は政治の中心である江戸から離れた京都に取り残されていた。統治能力は無くしているくせに権威だけでも保ちたいのでウザかったから遠ざけられたのだろう。明治からは江戸幕府を打倒するために担ぎ上げられた天皇であるが、実際のところは神輿であって統治者として手腕を振るえるような実力は無かったのではなかろうか?今の天皇はまさにそれで権威の元で育まれ、厳しく躾けられてこなかったので君主っぽい振りができるだけで、中身は腑抜けで根性なしで旧皇族の子供で嫌いな奴は数十年にも渡っていじめ抜くような頭のおかしい奴に育ってしまっている。それを右派のバカどもは担ぎ続けようとするのだから、日本の知的層もクズだとしか思えない状態である。

皇族は国文学の研究の分野にも影響力を及ぼし、憲法で保証されている学問の自由を蔑ろにして、自由な研究を阻んでいる。僕の雅楽の古譜を読む研究にも圧力がかかっており、三重県四日市市楠町本郷の楠村神社に伝承されていて、伝承が途絶えた笛太鼓による神楽曲を復活させた功績があるにも関わらず、その神社での演奏ができない状態に追い込まれている。自治会長は圧力に負けて僕に演奏させないのである。天皇もバカだが、その理不尽に従う国民もバカに過ぎない。こんなクズどもの国の力になろうという賢人など国外へ出て行ってしまっているだろう。前例通りに即位した天皇だが、愚か者を天皇にしたために今後も独立できない日本国のまま時間が経過していくのである。

ほんと今の日本人は愚か者。