和琴はパターンを繰り返している。
朝倉はそのパターンを倍の音価にしている。
其駒は通常の音価。しかし、前半と上拍子はテンポが倍位異なる。
曲目が庭燎から始まる。これは庭を照らす松明。
音取は雅楽の器楽曲の演奏方法からパクったものと思う。
人長(踊り手)が地面を踏む。この動作があることから譜にある”百”の字は足踏みを表しているのではないかと思う。
●は笏拍子。●の方”百”よりもが頻発するから、手で打つ楽器の方が向いている。
歌詞に”あられ”とあるので冬か。
久止拍子は柏手のように聞こえる。
段拍子は久止拍子によく似ている。無い方が久止拍子が引き立って良いと思う。
阿知女とは天之受女のこと。本来は巫女に天之受女を降ろして神がかりの状態にし、それに呼びかけ、巫女が”おおおお”と応える様子を唱っているのではないか。
三度拍子も柏手か。
榊は多数の神職を唱っている。
韓神はスサノオの孫大年神の御子。新羅の王に倭人がいたが、彼がスサノオではないか?この歌はスサノオの子孫の御子のものまね芸をすると言っている。
神楽歌とは天の岩戸前で踊った天之受女の芸を披露するという設定か。
各地を謳った歌が続く。
千歳は長寿を願う歌。
早歌は1コーラスが8〜10文字程度の短い歌。その代わり代替して用いる詩がたくさんよういされている。
吉々利々は仏教の経文を唱っている。
弓立は湯立てのこと。これは里神楽に残っている。里神楽では鼻高面を付けた神通力を持つ仏教僧がとり行っている。実神楽では阿知女(巫女)か。阿知女は天皇の妻か。
室町時代か江戸時代に書かれた譜面は、それ以前の本来の神楽歌を下敷きにしてテンポを落として、間延びする箇所に和琴の新しい奏法をちりばめたものか。
和琴の第4弦はCと思われる。D-Cが常に響く。これはD7の特徴を示す音程。現代のブルースは7thコードだけで構成されている。古代の神楽は7thコードに共通する音程を土台にして構成されていたのではないか。
それにしても民謡の歌の旋律を正確に採譜してあるのはすごい。それをそのまま下敷きにしてアレンジする手法もおもしろい。これが現在の雅楽曲にそのまま用いられているのか?
参考文献
- 謠物評釈 : 神楽歌評釈 千秋季隆 早稲田大学卅七年度文学教育科第一学年講義録 明治38