12 Jan 2019

雅楽の獅子舞

雅楽の駒形舞
雅楽には師子のように2人立ちで舞う駒形舞が幾つかあった。

蘇芳菲


[教訓抄]の説明によると頭上に1本の角がある駒形舞いで、子を連れている。次の図は信西古楽図にある蘇芳菲。見た目は師子で頭には角がない。同図の巻末に藤原通憲(1106-1159)が数点描き足している。その中に教訓抄の記述に合致する図がある
拍子9。この曲は五月の節会で、御輿1の前で舞う。弘仁(810-824)より競馬の行幸にこれを奏し始めた。右方の狛龍(子馬形乗り)が番舞い。蘇芳菲の体は師子の姿で、頭は犬の頭のようである。口が細くて面長。中実装束(中に入る人の装束)は左方の騎手装束である。木帽子(木製の獅子頭)、踏懸(脚絆のようなもの)、糸鞋(舞人の履く靴)である。子が2頭いる。装束は犬(狛犬?)の様である。面帽子あり、履物なし。この舞人は楽所の末席の者である。子はそれぞれ従い出る。乗り尻(騎乗)の前に参じ、向い、この曲を奏する。御車に向い、御幸に付く。舞いの体は、まず身を振って、左を運び、右を運び、次に2度拝む。膝を屈めて這う。御車に先立つ。御車が御所に寄り終わった後、また先のように運んで、還烈の時3度拍子を加える。
旧記によるとこの舞いは弘仁より始まって、競馬行幸に奏す。この舞体は師子の様である。頭は金色で1本角があり、身体は(記載無し)色。詠子2人。面の形は色が白く出る様で、紺帽子、犬蚊の様だ。
また、船楽にも奏す。それ故に古楽と記した。古楽に用いる時、口伝がある。拍子を加える時に、初めの拍子を除いて、第2の拍子より古楽揚拍子を打つ。極秘である。仁安(1166-1168)の日吉の競馬の御幸の舞いと建仁3年(1201-1203)の7社の競馬御幸「蘇芳菲」の作法がかなり異なる。古いものを正説とすべき。[教訓抄]
新羅狛


信西古楽図にある新羅狛は教訓抄にある右方の駒形舞の犬なのかはっきりわからない。
狛犬
破、拍子11又は12。急、拍子14。一説によるとこれらが序破。相撲の節会に用いる。舞い出る時に先ず高麗乱声を吹く。打球(ホッケーのような球技)では勝負の舞いとされ、球を取る毎に奏される。舞人は2人。口取2人(右近将曹以下府生以上)を用いる。舞い入る時に松明を含ませながら入る。楽に破急がある。乱声、狛犬出て、乱声、伏し、破が吹かれる時、舞い始める。急を吹き、火を食い舞い入る。以上多資忠日記より。古譜によると乱声を吹き、出曲とする。犬が出て、伏せる時、序を吹く。次に大真人(身分の高い人)が出る。犬が大真人を追い、噛みつくとき、乱声を吹く。次に破を吹き入るべし等。この案では序は破か?破は急である。第4巻に注す。
還城楽の番舞いの一つが狛犬。他に桔桿、納蘇利など。高麗笛の秘曲。この曲様の乱声がある。序破を舞う。[教訓抄]
狛龍
「高礼竜」とも書く。破、拍子12。急、拍子12又は8。五月の節会(競馬行幸)の輿出入の間御前で奏された。子馬形に乗って2人で舞う。模様の入った衣を着て、冠を被る。右方の舞人が舞う。旧記ではこの舞は御輿に向かい筋替えを打って舞う。この間急を吹く。早物唐拍子を打つ。破を吹かない。競馬行幸、御幸の時、蘇芳菲に対して急を奏する。高麗楽の随一の秘曲。この舞いの体は旧記と異なる。([教訓抄]
相撲や打球で吹くか、競馬で吹くかが狛犬と狛龍の用途の違いの様子。駒形と子馬形は異なるのかもしれない。
其駒
唐招提寺の其の駒4月8日倍臚の答え舞である。子馬舞と名づけられている。アヤイ笠、赤い衣に水干を着る。一般的な其駒には全く似ていない。常相楽を定めている。破 拍子4末に3拍子加える。唐拍子物を兼ねる。高麗笛又は倍臚の笛にて平調で吹く。(教訓抄)
其駒については詳しくわからない。御神楽に神楽歌として其駒がある。平安時代を通して改革された雅楽では舞楽を左右にわけて、同種の舞いを番舞いとした。装束から想像するに稲荷御霊会の先導をする貴徳の体ではないか?
寺社での供養、法会での師子の番舞いは菩薩2である。
まとめ
競馬:蘇芳菲、狛龍
相撲、打球:師子、狛犬
蘇芳菲の舞いの体:舞いの体は、まず身を振って、左を運び、右を運び、次に2度拝む。膝を屈めて這う。この舞体は師子の様である。
狛犬の舞いの体:2人立ちの1頭の狛犬に付き口取2人。舞い入る時に松明に火をつける。曲に破急がある。乱声、狛犬出る、乱声、伏す。次いで破が奏される時、舞い始める。急が奏される時、火を食い舞い入る。
古譜によると乱声、狛犬出て、伏す時序を吹く。次に大真人(身分の高い人)が出る。犬が大真人を追い、噛みつくとき乱声を吹く。次に破を吹始める。