12 Jan 2019

口取

口取
中国の民間の獅子舞の原型では、獅子使いは羅漢1の面を被っていた。[アジア演劇人類学の世界]羅漢は仏教僧を意味する。
伎楽の鼻高面飛鳥時代に日本に伝来した伎楽は師子を含んでいた。伎楽とは仮面を着けて行なう演劇でその内容は仏教の教えに沿うものだったと考えられる。その行道の先頭、師子の前を歩くのは治道である。多数の伎楽面が現存しており、それらの内治道と婆羅門の役柄用の面が良く似ている。
婆羅門の方は頭頂部分が欠損している様に見える。婆羅門はバラモン教の僧だろう。治道は剃髪した仏教僧で、両者とも鼻が長いのはインド人(アーリア人)の特徴ではないか?両方とも現在の鼻高面よりも鼻が下向いている。
御霊会の鼻高面
年中行事絵巻 国会図書館デジタルライブラリー
平安時代に始まった祇園御霊会では行道の先頭は鼻高面を着けた舞い人が散手破陣楽という舞を舞っている。この鼻高面の舞人は行道の間に御輿を置く場所を祓って清めることも行っている。
図1の右下で右手に剣印を結び、左手に鉾を持った鼻高面が見える。剣印は道教や密教において用いられる。稲荷の御霊会では鼻高面を腹部の前につけて馬に乗り、顔を蔵面のような白い布で隠している者が行道を先導している。その鼻高面は雅楽の舞の貴徳の面と説明されている。[日本絵巻大成] 平安時代に整理された雅楽では、唐由来の舞楽を左方に、朝鮮由来の舞楽を右方に配置した。散手と貴徳はそれぞれの方に属する番舞である。左に赤、右に緑が配色され、舞人の衣装もこれらの色を基調とされた。両方とも鉾を持ち、剣印を結んで舞う。散手は竜甲を被り、貴徳は鳳凰甲を被る。但し貴徳の面は白っぽい肌色である。両方とも仏教に由来せず、一国の王をモチーフにしている。武勇に優れた王による天下太平の舞である。江戸時代に成立した[楽家録]の舞い面図では散手の鼻は高くない。貴徳はやや高いが伎楽の治道には全く及ばない。両方とも髭がついている。他の面では菩薩も鼻高ではない。地久と胡徳楽、陵王はやや鼻高に描かれている。陵王の頭に龍がついており、散手の面に竜甲を被った様に似ている。陵王も印を結んで舞う舞いである。
信西古楽図の鼻高面
覆刻日本古典全集 信西古楽図 政宗敦夫 現代思潮新社 1980
唐代の宴饗用の舞楽を描いた[信西古楽図]にも鼻高面が描かれている。これも剣印を結んで、鉾を使って舞う。この鼻高面には髭が生えており、太刀や鉾を持つことから散手や貴徳の様に武人の舞いに見える。この図では鳥甲を被っているが、散手では竜甲、貴徳では鳳凰甲を被り、よりシンプルな形の鉾を使う等細かな違いがある。
古代中国の俗楽に「安公子2」という曲があるが、安弓子と同一の曲かどうかはわからない。王令言という楽人は音律を熟知していた。その息子が隋の皇帝煬帝が江都へ行幸する折にその供をすることになっていた。息子が戸外で琵琶「安公子」を弾いたのをを聞いた令言はその曲の主音の反射音が無かったことに気づき、主音は皇帝を象徴するものだが、それが返ってこない。帝は戻ってこれない程危険なことになるから供を辞めるように言った。[随書][隋唐宮廷音楽史試探(1)]この記述は煬帝の音楽への知識が薄弱なことを批判する狙いもあったと考えられる。
安弓子の名を持つ曲が平安時代末1177以降に成立した楽譜集[仁智要録][三五要録]に収録されている。それぞれ箏、琵琶のための楽譜である。
安弓子は性調に分類されている。性調には4曲だけが収録されており、その内千金女児、長命女児は新楽で産屋で奏されたらしい。安弓子もこれらに似た曲調である。[平安朝の雅楽 古楽譜による唐楽曲の楽理的研究]によるとこれら3曲は雅楽の平調の曲と同様の装飾音の傾向がある。
結局のところ安弓子がどういった内容のものだったかは全くわからない。信西古楽図の安弓子は名称を付け間違えたのかもしれない。
音が似た呪術がある。
インドで密教が成立する以前、アングリマーラ経を唱えることで安産を願うなど、仏陀によって説かれた経典を唱えることによって祝福するという習慣が存在した。
難波宮へ遷宮する際に安宅地鎮のため真言密教の尼僧によって飛鳥時代に伝来した安宅神呪経が読み上げられた。
まとめ
伎楽の面が現存最古の鼻高面で、治道はインドの仏教僧と考えられる。婆羅門の面も高い鼻を持つので、それはアーリア人の特徴と思われる。
平安時代の御霊会では雅楽の武舞いの散手と貴徳が行道を先導した。これらは武に秀でた国王をモデルにしている。
北勢地区の獅子舞の口取は鼻高面を着けて舞う。その源流は伎楽の鼻高でインド人の仏教僧であったが、平安時代には武舞の散手と貴徳に鼻高面を付けたものに置き換わった。それらが直接のモデルになり、鶏甲を被って鼻高面をつけた口取になったのではないか。
口取の赤い衣装は雅楽の散手にちなんだものと考えられる。地区によっては緑や青を使っているところもある。江戸時代には士農工商の階級制度があった。ある界曹の人々は藍染しか着ることが認められなかった。それと関係があるのか?