12 Jan 2019

後書き


後書き

三重県北勢地区の獅子舞は地域の子供の減少による後継者不足で表演が続けられなくなっているケースがある。一方で地域の子供なら誰でも参加できるように改め、活性を取り戻している地域もある。三重県北勢地区では獅子舞は郷土芸能と呼ばれているのだが、地域によっては未だに宗教色が強く、仏教や神道の一部のグループによって世襲で独占された状態が続いており、自身の住む地域に獅子舞があっても参加できないケースが未だに見られる。

旧来の獅子舞の演者達は独占して利益を上げられる獅子舞の回壇の仕組みを手放し、公共性のある芸能として郷土に無償で提供することはなかなかできないようだ。獅子舞をしたい地域に獅子舞セットを買い取ってもらって利益を手にしたいらしい。楠町本郷の獅子舞楽曲の楽譜化は獅子舞の価値を釣り上げるための手段として求められたものであろう。
地域の獅子舞は限られた家の者だけで独占して継承されてきた。明治時代の神道国教化政策において述べられた”神道は宗教ではない、地域に生まれたら皆氏子”という理屈をかがげ、盲信的な地域を回壇し、得た収入を獅子舞関係者だけでせしめる神道者のビジネスが背景にある。これは他地区でも未だに見られる。地域住民から不満がでて獅子舞が続けられなくなったのは地域住民の正しい判断だと思う。
そんな地域住民から著者の獅子舞研究を辞めるよう要請が入ることが度々あった。獅子舞曲の価値を釣り上げる材料になってしまうからだ。氏子側からは非番の警察官に拙宅を訪問させ、獅子舞研究から手を引くよう恐喝があった。こういう時は警察官に手帳を見せるよう頼み、その場で所轄警察署へ電話し、事情を話すと良い。すぐに責任者に取り次がれ、電話を訪問中の警察官に代われば事実が現行犯である。この手の警察官を使った強迫、恐喝は創価学会からも受けたことがある。また名古屋大学の古楽研究会は創価学会員の巣窟になっており、新入部員を罠に嵌めて入信させることが相次いでいた。ある時はその部長が愛知県警察庁長官の娘であった。この時も強迫されたが屈しなかった。楠町本郷の湯の花神事では2018年の秋には民主党の中川正春を神事に呼び、威力を見せつけるという手段が新自治会長によって取られていた。同年の2回の神事では神官から巫女を餌に神道へ引き入れようと声をかけられた。この手の手法は天理教四日市教会からも数度受けたことがある。この地域では謀略を巡らして追い込んで抱き込むとか威力を使うなど子供から老人まで普通に行っている。彼らにはそれが違法行為だと考えていないように見える。この地域の元民生委員も氏子総代に至ってもそんな現状なのである。楠町本郷は神道と自治体が一体化しており、政教分離の原則が見られない。田舎の悪質な体制がいまだに蔓延っているのである。現自治会長からは獅子舞を高く評価する内容の研究を所望されたが、科学的研究においてそんな手心は一切銜えられないと拒否した。著者はそれら威力妨害や科学の信頼性を破壊する要請に屈することなく、研究を遂行した。科学者としては当然である。最も御用学者には無理な箏であろうが。楠町南五味塚で楠っ子流星なる太鼓グループを主催している地元運送会社の社長は近隣の浜田、長太の獅子舞に楠の獅子舞の関係者の素振りで接触していた。それら近隣の獅子舞の関係者はその社長を楠の獅子舞の関係者だと思っており、著者が獅子舞の練習を見学した際にそれが発覚した。彼は獅子舞を再興したいと言っているが、その実獅子舞を南五味塚の物にしたいのである。彼は地元南五味塚の祭礼の雅楽の龍笛を吹くが演奏の腕前の実力があって認められたわけではなく、経済的援助をすることでその座を得ていた。なんとも腐った地域である。それら蛮行は先例があるため悪事という認識がされていないのである。
楠町本郷の楠村神社の祭礼ではかつては笛太鼓が演奏されていたが、獅子舞が止まり、やがて祭礼の音楽もCDに置き換わった。神社に奉納された4本の笛以外に地元に練習用の笛が一本としてなかったのは20年程前に人づてに獅子舞の曲の楽譜化の話を聞いた折に、著者が仕組んでおいたいたずらのためかと思われる。
氏子方に神社の祭礼で用いるCDを資料として提供して頂き、祭礼の笛の曲の五線譜化することができた。当初は再現性がなかったがそれも解決できた。結果、楠町本郷に伝承された箕田流獅子舞の全曲と祭礼用曲全てを五線譜にすることができた。また笛の研究も進み、調律された笛を開発することができている。
著者はいかなる宗教も支持しないし、どんな勢力に対しても都合の良いお抱え学者にはならないよう努めている。獅子舞の研究は自分の専門である古い音楽の研究を進めるために行った。
神道は元は一部族の先祖を祭ったものだったのだろう。その部族の中で運良く日本を統治するまでに至った者の信仰であり、支配された庶民側の氏神ではない。支配される以前はそれぞれ固有の氏神を祭っていたらしい。現在の地域の氏神は江戸時代の村の区画分けによって再設定されたものである。その後の地域の経済的利益のため神道内部の勢力争いに巻き込まれ、朝廷の神々を祭った奇妙な地方神社ができてしまった。氏神の名前すらわからないままに。
最も古い獅子舞についての記述は動物ものまね芸で大道芸の類だったと考えられる。雅楽の舞楽の羅陵王、越天楽、崇徳は古代中国では大道芸や饗宴の演目であった。獅子舞もこれに数えられていた。古代日本が古代中国から取り入れた音楽は饗宴用の音楽のみだった。それにも関わらず飛鳥時代には寺社の祭礼にそれら音楽や大道芸が神事の一種として用いられ、貴族は浄土信仰、御霊信仰に狂信し、陰陽師がそれを支え、仏教は信仰を用いて彼らに取り入り、神道は仏教に従属した。戦国時代には戦国大名と一大武闘派勢力となった仏教が戦いを繰り広げ、殉死者をだした。江戸時代には仏教、陰陽師は幕府によって徹底的に統制された。仏教系行事は神社に移り、神道は覇権争いを繰り広げた。明治には神道国教化政策に沿って地方住民の洗脳手段として獅子舞が地域に提供されたのではないだろうか?戦後神道は一宗教になり、政教分離が進み、地域行政にももはや神道など宗教は不要なものとなった。
元々仏教は宗教ではなく、盲心的なカルト宗教から脱却し、科学的思考を取り戻す方法を提供するものだったが、釈迦の死後、衰退し滅亡しかけた。バラモン教など呪術を取り入れ、大乗仏教となって再生するが、坊主だけは民主的に話し合い、檀家は教義で盲信させて従わせるという宗教であった。日本に入った仏教は全てこの大乗仏教の系統である。
旧来の獅子舞の伝承方法は刷り込み教育であり、科学的思考の成長を妨げるものと考えられる。学校で教育を受けても地域の郷土芸能で壊されては教育の効果は上がらないだろう。学校で教育を受けても家庭や地域で目上の者に儒教的精神を要求されて科学的成長が阻害されているのも問題である。獅子舞の伝承方法の改善はもちろん、威力を以って強迫したり、科学者の合法的研究を政治的に妨害する社会人が後世に悪影響を与えないようする必要があるだろう。