19 Jun 2023

邪馬台国の一大率

参考図書:
「倭国伝」中国正史に描かれた日本 講談社

三国志 夫余
長城の北方にある。北に弱水(アムール川(黑龍江)又は松花江)。平坦な地方で五穀(稲黍稷麦菽:いね、きび、あわ、むぎ、豆)に適する。身体はごつく性格は勇猛だが、温厚で略奪強盗をしない。官吏の役職に六畜の名をつける。馬加、牛加、豬加、狗加、大使、大使者、使者など。
飲食に高坏を用いる。
天を祭る。殉葬あり。
王仇台が公孫度から嫁をもらう。

三国志 高句麗
扶余の南、山谷深く、畑が少ない。食物を倹約し、建物を作る。鬼神を祭る。せっかちで荒っぽく略奪を好む。言語は扶余に似る。
五種の部族がある。貴族は耕作しない。1万人程いる。きれい好きで酒を作る。10月に天を祭る。

三国志 把婁
扶余の東北にあり、北端は不明。言語は扶余と異なる。深い穴を堀って暮らす。養豚、豚を食べ、皮を衣服にする。船で隣国を略奪する。漢以来扶余の臣下。

三国志 
朝鮮半島の辰韓と高句麗の間。殷の貴族の箕子が建国し、八条の教えを作り民を教化した。盗みなし。
きまじめで禁欲的、恥を知り物乞いをしない。言語は高句麗に似る。山川の神を大事にし、あちこちに聖域を設けて立ち入りを禁じている。同姓の結婚はしない。養蚕し、絹を作る。夜明けの星をみてその年の収穫を占う。10月に天を祭る。虎を神とする。

三国志 韓
南は倭と接す。
馬韓の民は土着民で養蚕し、絹を作る。綿布も作る。50余国ある。大きなものは1万余戸、小さいものは数千戸。
辰王は月支国を統治している。
196~220 公孫康が帯方郡を新設し、韓と倭はここに属した。
屋根を草で葺いた土の家、中国の冢のよう。珠玉を財宝とする。性格は強く勇敢。
5月に鬼神を祭る。鐸舞のような舞をする。
都毎に1人天神を祭る司祭を立て、天君と呼んでいる。
国每に蘇塗という特別な村があり、大木を立て、鈴と鼓を懸けて、鬼神に仕えている。逃亡者をかくまっている。
国を邦、弓を弧、賊を寇と呼ぶ。

辰韓:秦の代に労役を避けて逃げた人達に馬韓が半島の東を与えた。これが成立。始め6国、後に12国に別れた。弁辰も12国ある。大国は戸数4、5千。小国は6、700。総4、5万戸。
辰韓12国は辰王に服属。辰王は常に馬韓の人を当てており世襲。辰王が馬韓から独立できない。

弁辰では五穀、稲を作り、養蚕をする。
鉄を産出し、韓、濊、倭がこの鉄を取っている。この鉄を銅銭のように使う。
竈を家の西側に作る。鬼神を祭るが祭り方は異なる。背が高く、髪を長く伸ばしている。

三国志 倭人
帯方郡の東南の島に国がある。古くは100以上の国があり、今は30国と使節が往来している。
飲食に高坏を用いる。
卑弥呼が死んだ時、奴隷を100人余殉葬した。
一大率が諸国を監督している。

隋書 高句麗
夫余の王が河の神の娘を捕らえて部屋に閉じ込めておいたら、部屋に日光が差し、娘を照らし、妊娠した。卵を生み、卵から男子が誕生した。この朱蒙は逃げた。
大河を渡れずにいると、河中の亀や魚が積み重なり橋を作った。彼はこれを渡り、迫手を逃れた。高句麗を建国し、夫余を併合した。


隋書 百済
官階について書かれている。
左平、大率、恩率、徳率、杆率、奈率、将德
ここまで紫帯

施德、黒帯

固徳、赤帯
李徳、青帯
対徳、以下黄帯
文督、武督、佐軍、振武、剋虞、みな白帯

冠は皆同じ。奈率以上は銀花を飾る。

高句麗王の侍女の子が王
公孫度から嫁をもらって増々栄えた。
新羅、高句麗、倭人、中国人が混ざって住んでいる。
騎馬戦が得意。博打双六がある


隋書 新羅
高句麗が作った国。中国、高句麗、百済人が混ざっている
新羅王の祖は百済人。高句麗兵が集団で新羅へ移住し、だんだんと強国になった。元は百済の属国だったが、今は百済の属国、迦羅諸国を襲っている。

官位
伊罰干(宰相)、伊尺干、迎干、破弥干、大阿尺干、阿尺干、己吉干、沙咄干、及伏干、大奈摩干、奈摩、大舎、小舎、吉士、大烏、小烏、造位

隋書 靺鞨
地面に竪穴を掘って住む。囗齒みの酒をつくる。尿で手や顔を洗う。弓矢の矢じりは石。

隋書 琉球(現在の台湾)
隋に服属しなかったので滅ぼされた。倭国の使者は琉球の麻の鎧を見て、夷邪久国人のモノと言った。

隋書 倭国
30余国あり、それぞれの首長が皆王を名乗っていた。
卑弥呼は鬼道を用いていた。
600 阿毎 多利思比孤が使者を送ってきた。兄弟統治(天を兄、太陽を弟)を改めさせられた。兄弟という年号がある。
冠位12階。
魏志の時は髪をみずらにして両耳の前に垂らしていた。隋代から冠の制度を定めた。弓矢の矢じりは骨。
倭国王が朝廷に臣下を集める時は倭の音楽を奏でた。戸数は10万。奴隷制有り。五弦の琵琶、琴、笛がある。巫子の神おろしがあった。
食物を柏の葉に盛った。
阿蘇山があった。

607 多利思比孤が使者を送った。

608 裴世清が倭国へ遣わされる。竹斯国の東の秦王国に着く。中華人と同じ風俗。10余国を経て海岸に着く。竹斯から東は皆倭に属する。
この後使者往来が途絶えた。

旧唐書 倭
古えの倭奴国。王の姓は阿毎氏、一大率が諸国を検察する。冠位12階。庶民は仏教を信仰している。衣服は新羅に似る。

631 唐に遣使。使者を供い帰国するも王子とモメて国書を読まず、帰ってしまう。
648 新羅から来た使者に唐への親書を託す。

旧唐書 日本
倭国の別種。
703 粟田朝臣真人が来朝。
713~741 使者が来朝。白亀元年の税として納められた布を玄黙に納める。唐からもらった物を全て売って書籍を買って帰った。朝臣仲満は唐朝に50年仕えた。
753 使者が来朝。
760-762 仲満(朝衡)出世。
804 橘逸勢と空海滞在。
806 先の学生が帰国。
839 使者が来朝。

新唐書 百済
扶余の一種。風俗は高句麗と同じ。

新唐書 新羅
弁韓の子孫。事を行う場合は必ず衆議し、一人でも合意できなければとりやめる。奴隷あり。海中の山で牧畜する。
王は金氏、貴族は朴氏。一般人に姓はない。元日に日月の神を拝む。
馬が多いが走る能力は劣る。市場では女性が商いする。
841~846以後朝貢なし。

新唐書 日本
古の倭の奴国。屋根は草ぶき。本率一人を置き諸地方を監督させている。仏教を信奉している。冠位12階。国王の姓は阿毎氏。
32代までは筑紫城に住み、神武から天皇と呼び、都を大和州に遷した。
欽明11は552。用明が多利子比孤。
 650~656に孝徳が即位し、朝貢。
天豊財=斉明?天智と続く。
662 蝦姨人と供に入朝。
天武、総持と続く。
670 高句麗平定を祝う使者あり。その後国名を倭から日本へ改めた。
701 文武が粟田朝臣真人を使わせた。
文武、阿用=元明?、聖武。
天皇の継譜あり。

宋史 日本国
元は倭の奴国。
984 僧が弟子5、6人と来た。官庁制度表、王年代記を献上。
日本国は麦に適していない。売買に銅銭を用いる。音楽は中華と高麗の2部がある。国王の姓は王。
天皇の系譜あり。

応神の時、百済から文字が伝わる。
552 百済から仏教が伝わる。
用明の子が聖徳太子。600に隋に使者を出したのは彼。
白雉4=653

1026 太宰府から朝貢しにくるが政府の上表文を持っていないので、帰した。
1176 日本船が明州に着き、100人以上が飢えていた。保護して日本に帰した。
1183、1193、1200にも流れついた。