3 Jun 2023

日本古代史勉強3

記紀から離れてアウトラインを考えてみる。
DNAの研究を取り込む。

D系統はバイカル湖湖畔から南下し、漢民族に押されて融合し、ツングース系になり、日本海まで移動。
元々アイヌ系が日本の人口の90%だった。

O系統は長江下流域で南方からのマレー系と融合し、稲作を発展させた。漢民族に押し出された。半島と日本列島に逃げた。

bc4000 陸稲裁培

bc2200~2000 寒冷
ツング一ス系が南下し、日本列島に流入した。太陽信仰とシャーマニズムがあった。

ツングース系はモンゴル+中華系。日本の人口の30%に至った。

黒龍江(アム一ル川)から扶余系部族(シウカラ)が、南下し、半島を通って出雲まで進み、各地に分国を作った。出雲王国建国。トコヨミカド系クナ卜王。畑作、養蚕、穀物裁培を広めた。

半島付近はモンゴル+マレー系。
マレー系は稲作民族。
日本人の高身長化が進んだ。背の高い民族は扶余系。

bc1500~1200 寒冷
沿海地方から鉄の武器を得たオロチョン族が出雲へ進撃してきた。シウスサカの族長スサノオが返り撃ちにした。以後スサノオが支持された。
後に東魚是国として呉に朝貢し、交易していた。

bc1000 水稲裁培

bc400〜200年間、北九州、出雲、丹後から土笛が発堀される。長江下流域の河海渡文化の系統が渡ってきて、稲作が行われていた。

九州には南から進出してきた沖縄人や大陸南部、半島から逃れてきた部族たちが入り込み、住んでいた。

ad57 倭奴国が漢に使いを送った。倭奴国は高句麗系の国。

扶余の仇台が公孫度(150~200)から嫁をもらって同盟し、伯済を建てその王族になった。公孫氏は帯分郡を設置し、半島の倭人と韓人を従属させた。

九州の倭人達は、7、80年間争い合った。扶余と公孫氏をバックにしたヒミコ(在位:239~247)が共立されて争いが止んだ。魏に朝貢した。この公孫氏の系統が天孫族。兵法が確立していたので謀略が得意。
九州南部の狗奴国(扶余系役人)との戦に勝ち、トヨが即位。後に任那に移動し、鉄を確保した。

筑紫の東側に弓月君の一郡が定住し、秦王国ができた。弓月君は馬韓の月支国の王子で辰韓を統治する王家だった。新羅から技術者が抜けるので新羅は抵抗した。筑紫から援軍を出して来朝させた。

筑紫と秦王国(豊国)は友好国で、各々年号を用いていた。

天孫族は出雲へホヒ(二ギハヤヒ)を送り込み、終婚させ、天孫軍を引き込み、戦った。出雲は敗戦し、事代主は入水自殺。大国主は洞窟へ閉じ込められ、飢死。ミナカタノトミノは越まで後退し、信濃で第2出雲王朝を建国。後の蝦夷となる。
大神殿を建設して、天孫系の信仰に改宗した。

ホヒは奈良の出雲の分国にも攻め入った。
前方後円墳が作られ、全国へ広がった。

新羅の王子ヒボコが出雲へ来襲。撃退され、但馬へ逃げた。そこで結婚し、若狭、近江、奈良へ入り、倭漢氏(葛城氏)に加わった。
鉄を求め、吉備へ侵攻。淡路、愛媛(伊予)の百済人部族が加勢し、吉備敗退。鉄と陶器を作る。

ヒボコと天孫族が組んで出雲に侵攻し、島根の熊野大社から勾玉を奪った。
三種の神器は3大王族の宝。
出雲:勾玉、天孫:鏡、越:鉄剣

祭祀が中断され、各地で反乱が起き、天孫族間も争い合った。
ホヒ族が祭祀を代行するも治まらず。

ヒボコ族から天孫族へ王后が出た。オキナガタラシヒメ。

数百年後、天孫族間の争いで、王と皇子が全て死亡した。天孫族のY遺伝子はここで絶滅。
朝鮮系の豪族達は出雲族に王を出すよう頼み、出雲の分国の越のオホト王が皇位に就き、以後3代が出雲オホト系。

600 隋(581-618)へ筑紫から遣使。仏教導入し、冠位12階、17条憲法を制定。蘇我氏は築紫系。

663 唐と新羅が白村江で百済に戦勝。百済が滅ぶ。築紫系の船団が壊滅。
豊国系中大兄(天智)が近江へ遷都し、九州に水城建設。中大兄は蘇我を討つので対立勢力に属する。
筑紫系大海(天武)が兵を集め、天智を討ち、兄弟統治:政祭分離統治を終らせ、王朝を一本化し、中華帝国風中央集権国家を作っていった。鬼道が整備され、神道となった。王権纂奪が起きないように万世ー系とする記紀が作られ、歴史が改竄された。

数代後、王位は豊国系に戻ったが、表向きには万世ー系。現在まで続く。

九州、四国は渡来系豪族の根城だった。
日本の支配層は朝鮮と大陸からの渡来系。
大陸のように民族交代するような虐殺はあまりなかった。
記紀の改竄はひど過ぎる。神話は話にならない。
皇室は天孫=公孫氏の系譜。同族間の争いでY遺伝子は絶滅した。なので傍系によって現在までつながっており、遺伝子は普通の日本人と思われる。

公孫氏は漢民族なのか?

藤原氏は公孫氏の配下の役人で史書制作担当。筑紫系を裏切って中大兄に協力したが、筑紫系大海が壬申の乱で勝ったので干され、一役人から再スタートした。