2 Jun 2023

日本古代史勉強2

出雲の王スサノオの後、大国主になってから天孫族のホヒが九州から出雲にやってきて結婚。天孫族を引き入れ、戦となる。

大国主は敗け、ほろ穴に入れられ殺された。
ミナカタは信濃まで逃げて分国を作った。

ホヒは奈良も占領。

しばらく平和だった。

九州伊都国の神武を長門で迎え討つ。だまし討が得意だった。渡来人を味方につけていた。
ヒミコより後か。動物を味方にいいたので、扶余系か。
ヤマトをおさめていたナガスネヒコは敗退。

新羅からヒボコが朝鮮から侵攻。撃退した。但波へ逃げた。 若狭、近江を経てヤマト(奈良)へ入る。倭漢氏(葛城)(後漢霊帝の子孫)と結ぶ。
鉄を求めて吉備(岡山~広島)へ侵攻。出雲は抵抗するが、愛媛、淡路の百済人がヒボコに味方したため敗戦。
久米川から鉄を採り、陶器も焼いた。

天孫とヒボコが組んで、出雲を攻撃し、熊野大社から勾玉を奪った。
祭祀を停止した。各地で反乱。天孫族はヒボコを動かし、祭祀を行うよう賴んできたが応じなかった。ホヒが代行したが、内乱激化。天孫族の間でも争いが生じた。

ヒボコ族から王妃が出た。オキナガタラシヒメ。ヒボコは天の姓に加えられた。

数百年後、天孫族の間で争いがあり全滅した。朝鮮系の有力者は出雲に天皇になるよう賴んだ。古志のオホトが継体帝(507-531)となった。安閑(子)、宣化(子)までは出雲系。