2 Jun 2023

日本古代史の勉強

 Youtubeに興味深いチャンネルがある。

現在偽書とされている古史古伝を紹介しているチャンネル

動画の内容がnoteに書かれている。

九州王朝説を提唱している福永晋三さんのチャンネル


福永さんは著作もある。
ここに福永さんの長年の研究による説がまとめられている。主に日本国内事情なので、渡来人達に対する説はない。


えりえなの出雲神族口伝や邪馬壱国の動画には偽書とされている古史古伝に書かれた日本の古代の姿や朝鮮半島の古代史が紹介されている。

これらの情報が嘘としても読んでおいた方がおもしろいだろうと思って読んでみた。

出雲口伝では出雲族は4000年前にクナト王を中心として南西して出雲に到り、鉄の採集方法や布の生産、農耕を伝えたとある。蛇を信仰している。

ロシアの沿海地方はb.c. 1000頃に鉄器製造が起こっていた地域。アジアでは早い。近くにアムール川があり、中国語で黒竜江。沿海地方のすぐ下に黒竜江省がある。おそらくこの辺りに住んでいた鉄器を使っていた集団が出雲族ではないか。

b.c. 1000より後、出雲族がサハリン経由で日本列島を南下し、出雲で定住。各地に分国をつくる。
スサノオが馬を連れて、砂鉄を求めてやって来た。越のツングース系のオロチョン族の攻撃に対抗した。その後民から支持され、クナト族の娘と結婚。これがスサノオをヤマタノオロチ退治の話と思う。

スサノオは牛をトーテムとするので扶余の役人か。

鉄器製造はb.c. 1400のヒッタイト。黒海と地中海に挟まれた地域でメソポタミア文明の地域。b.c. 1190の海の民の攻撃以後、鉄の製造技術が伝搬した。ここから沿海地方までの伝搬についてはわからない。

日本の鉄器製造は3世紀中頃から7世紀頃に確立された。それまでは鉄器を輸入していたと考えられている。

出雲神族が日本列島に入る前に先住していたのは、古史古伝から濊族と思われる。それはこの民族の性格が大人しく、窃盗略奪がなく、夜でも門戸に鍵をかけないから。

出雲は本州各地に分国を作った。東魚是国として九州王朝とは別に中華帝国南朝に朝貢していた。

この濊族と共通言語を持っていた古代の国が扶余。この祖先は殷の王族の箕子朝鮮らしい。
扶余から高句麗ができた。
扶余は農耕や養蚕が得意で略奪しない。高句麗は農耕では充分に食料がまかなえず、略奪を行っていた。

漢の時代に公孫子が遼東半島で独立し、公孫氏と扶余は婚姻関係を以って同盟した。
  • 扶余は伯済を建国(後の百済。王族は扶余)
  • 公孫氏は帯方郡を建てた。

こうして半島に住む倭人を支配。九州に移住して建国する。伊都国はイワレヒコ(神武)の領地。卑弥呼は公孫氏と扶余の同盟のために嫁いだ公孫氏の宗女。

以後朝鮮系の武闘派によって、出雲が攻められ、奈良も奪られた。出雲の王族と皇子は全て殺され、祭祀が行われなくなったので、農業が止まった。おそらく反抗の意志を示したのでは。

食料が確保できないと話にならないので、祭祀を再開するために継体天皇を擁した。