大国主は敗け、ほろ穴に入れられ殺された。
ミナカタは信濃まで逃げて分国を作った。
ホヒは奈良も占領。
しばらく平和だった。
九州伊都国の神武を長門で迎え討つ。だまし討が得意だった。渡来人を味方につけていた。
ヒミコより後か。動物を味方にいいたので、扶余系か。
ヤマトをおさめていたナガスネヒコは敗退。
新羅からヒボコが朝鮮から侵攻。撃退した。但波へ逃げた。 若狭、近江を経てヤマト(奈良)へ入る。倭漢氏(葛城)(後漢霊帝の子孫)と結ぶ。
鉄を求めて吉備(岡山~広島)へ侵攻。出雲は抵抗するが、愛媛、淡路の百済人がヒボコに味方したため敗戦。
久米川から鉄を採り、陶器も焼いた。
天孫とヒボコが組んで、出雲を攻撃し、熊野大社から勾玉を奪った。
祭祀を停止した。各地で反乱。天孫族はヒボコを動かし、祭祀を行うよう賴んできたが応じなかった。ホヒが代行したが、内乱激化。天孫族の間でも争いが生じた。
ヒボコ族から王妃が出た。オキナガタラシヒメ。ヒボコは天の姓に加えられた。
数百年後、天孫族の間で争いがあり全滅した。朝鮮系の有力者は出雲に天皇になるよう賴んだ。古志のオホトが継体帝(507-531)となった。安閑(子)、宣化(子)までは出雲系。