15 Apr 2020

王族リンチ

王族というのは子供の時から皇太子を長とする組織に追跡されている。
彼らは皇太子に下るように暴力を以って脅迫されていた。その中の一人が数回のリンチを相手方も無傷でかいくぐり、当時の少林寺拳法連盟の管長にも勝った話しは先のブログにある通り。

この人物Aは高校中退も担任に認められなかったので、休学して落第し、退学させられるという経緯をたどった。その間喫茶店でアルバイトしたりしていた。その喫茶店シュナップスの経営者は藤原えいじ。三重県四日市の水商売の業界では知られていたらしい。彼はAが少林寺拳法を習っていたと知ると知り合いのプロボクサーを喫茶店に来させ、Aと対戦させた。Aは仕方なく戦い投げ抑えて警察を呼ぶよう求めたが、藤原えいじは拒んだ。数度訴えてようやく警察を読ぶよう説得したのだが、これによってこの件が藤原えいじが仕込んだものであることが発覚した。プロボクサーが一般人に手を出した=攻撃した場合、ライセンスが剥奪され、プロとしては全く活動できなくなってしまうルールになっている。先のボクサーも警察に連行されたので当然そうなるのだったが、Aは無傷で取り押さえてしまっていたし、ボクサーのパンチに才を見たので暴行の一件を握り潰してしまうことにした。
後日ボクサーが喫茶店を訪ねてきてAに礼を言ったという。Aはボクシング協会に今回の件を話して、協会全体として対策してもらうようにとアドバイスした。Aが中学の時、Aを目の敵にしていた同級生神代研がボクシング部の知り合い、や喧嘩っ早い不良にAを襲わせた事件があった。Aはボクシングをしている人達が騙されて、ライセンス剥奪の危険や試合に出れない可能性を隠して悪だくみに引き込まれるのを気にかけていたのであった。

Aが高校生の頃、皇太子からの命令で行われた王族リンチの1回目に関わっていたのは大東流合気道の大東姓の同級生だった。他にも重松という少林寺拳法の拳士等数名が関わっていた。この大東あつこは大東流が少林寺の源流の一つなのを知ってか非常に高慢な態度をAに取っていた。そして下級生の少林寺の拳士を使ってAと戦わせたりした。そうして観察してからAに5人がかりで挑んだのだが、全員無傷で行動不能の状態に追い込まれてしまった。大東は懲りなかったので再戦したのだが、今度は少林寺の幻の技でまたもや無傷で行動不能にされた。合気道の対武術家に対する実践性はたいへん疑わしい。今もって家元制度がしかれているが、その本家の者が10秒足らずで無傷で拿捕される始末、しかも2回連続で。それが現実だったりする。
最も技とその原理には学ぶところが多くあるので、わざわざ習わなくてもよくよく観察して、道場破りでもすれば技を盗めると思う。腕に自信があるならば合気道や古流柔術を道場破りして伝書を奪ってしまうのが良いと思う。

Aにかけられた二度めの王族リンチは上級生が主なメンバーであった。やはりAによって無傷で拿捕されてしまった。Aは別件でその後すぐ職員室を訪れた。Aの数学の教師が、Aを見て「お前、暴力事件なかったか?」と言って自分の口を抑えた。彼は二度めのリンチを知っていたにも関わらず、Aを守ろうともしなかった。細見というこの数学教師は2000年に閏年に関する問題をテストにだしたのだが、勉強不足で間違った解答を正解としていた。最も国の役所もヨーロッパの役所もツメがあまかったので誤っていたのだが。Aはこれに気づいて指摘したのだが、それによって細見に恨みをかってしまった。これが高校数学教師細見の人間性なのだった。

柔道の教師はAをなんとか柔道部に率いれようと策を練った。少林寺拳法の源流の一つである不遷流柔術の絵図を入手してAに見せ、研究したいというのでAからアドバイスをもらった。Aは少林寺の技を門外に教えることは禁止されているルールは知っていたので、少林寺の技自体は教えなかったが、その源流の技に対する私見を述べたのであった。
この高校教師はAの所属する道院へ連絡し、道院長へAが少林寺の技を他者に教えたことを通告した。道院長はAに正したが、Aは源流の技について私見を述べたが、少林寺については述べなかったと言って、罠をかいくぐった。しかし道院長はAにかけられた罠については全く気づきもせず、Aに悪感情を抱いていった。

この柔道教師はAを柔道との組手にしつこく誘った。Aは所属道院に内緒にすること、組手の間は道場を閉めきることを条件に組手を行った。結果初段の同級生には3本先取、その後の教師との対戦では1本をとったもののそこで体力の限界に達し、負けで良いのでと言ってそれ以上の組手を断った。
その教師はAの所属の道院長へまた連絡をとってAが他流と勝負したことをタレこんだ。道院長はAに確認した。Aは事実を認めた。また勝ったことも認めた。しかしルール違反をしたのは道院長には許せないことだったらしい。結局Aは破門になったが、それですっきりしたらしい。その頃のAは少林寺拳法の実践で使えないと考えられていた2つの幻の技を両方完成させていた。また古文書に残っている押さえ込みの図から、その技のかけ方を編み出したり、対少林寺拳法用の新しい拳を生み出して、所属道院に寄与していた。
Aは道院長の理不尽な態度に対して、それが正義だと思うのなら拳で押し通してみろと言ったことがあり、道院長は怒り心頭して不意打ち同然でかかっていったのだが、10秒足らずで行動不能の状態の陥れられた。これも無傷。道院長の奥さんが一方的にAを責めた。Aは自分に非が無いことを示して、帰った。次の練習では道院長は再びかかってくることはなかった。Aは破門になっていたが、それに構うことなく練習に参加していた。

この後Aは大人の拳士や子だるま道院の拳士達と組手をして腕を急速に磨きあげていった。そして王族リンチのラスボスの少林寺拳法連盟管長にも勝ったのだった。

子だるま道院は四日市では強い拳士が集まる道院として知られていた。龍王道院へ出張して組手をしに来てもらった。その時のメンバーに後にキックボクサーに転身した吉川さんがいた。Aはグローブをハメた剛法では彼に全く手も足もでなかった。後ろ回し蹴りがあまりにすばやいので隙につけこむこともできなかった。その乱取りでは剛法を限定していたわけではなかったので、Aは柔法を使った。子だるまの道院長須藤先生はそれを反則としていたが、事前に剛法だけとルールをセットしていなかったこと、少林寺は剛柔一体というAの主張が通り、柔法も使用可能のルールで乱取りが続けられた。Aは勝ち負けには全く関心がなかったので、一度も勝ち名乗りを受けなかった。結果吉川さんの回し蹴りでもらった最初の一本以外は、柔法で取ってしまったのだった。Aは乱取り後に時間をもらって乱取りを子だるまの拳士と一緒に振り返りながら、相手の良いところを評価したり、自分がどこに気づいて、どう工夫して勝ちを拾ったかを説明して、楽しく過ごした。須藤先生は遊びにこいといったので、翌週Aは子だるま道院へ遊びに行ったのであった。

子だるまへ遊びに行ったAは事前に電話で他人を装い見学希望者として時間と場所を確認していた。もちろん道着を持って来訪した。これはこういう遊びを演出していたのだった。
子だるま側は何も知らなかったので、驚いていたが、道着を持っていることを確認したら、すぐ乱取りをしてもらえた。1対1では話にならなかったので、1対複数も行ったがやはり話にならなかった。須藤先生は道場破りと勘違いしていたようだった。看板持っていけと言っていたが、Aは時間をもらってまたもや対戦した拳士と見学していた拳士と一緒に対戦を振り返って説明して楽しく過ごした。
その後須藤先生は道場破りの話しを別室でAにしたが、Aは悟ってもいないのに坊主の資格を持っていることを問題にした。しかしそれを捨てろとは言わず、お考えくださいと言ったのみだった。
その後須藤先生はその場にいない自分の弟子たちにAが道場破りしたことを吹き込み、弟子たちをAと対戦させようと仕込みつづけた。これは10年以上に渡って行われ、Aが名古屋や東京で勤務した時もその誤解が元で組手を挑まれたりしていた。須藤先生は弟子だけでなく、近所の精神科医と警察を巻き込んでAを悪者として捕まえようとしていたが、結局Aが事実を証言したことで、それまで長く行われていた素行の悪さが露見したのであった。

四日市道院の柳川瀬道院長も心根の良くない人物で、龍王道院が三滝武道館を使用できなくなった理由をWGIPの冊子を配布して社会貢献していたからとAに説明してAの責任と思い込ませようとした。Aはその説明だけで判断することはせずに、後日他者からも聞き取って確認しますと言ったところ、柳川瀬さんは困った表情をしていた。龍王の現道院長によると三滝武道館を使用できなくなった理由は少林寺拳法が再宗教化したからであった。このように四日市の少林寺拳法の道院長には人を騙してコントロールするというのが悪という正義感が欠けている例が見られる。昨今学校の授業で武術が取り入れられているが、少林寺拳法の拳士の頭の悪さ、ずる賢さ、性格の悪さが子供たちに伝染しないように重々注意を払う必要があると思う。

これに対して、鈴鹿の長太で獅子舞をしている糸魚流の空手家や四日市で市議会議員をしている剛柔流の空手家はまっすぐで正義感あふれる好青年達だったりする。
少林寺は柔術の系譜を引き継ぎ、実践性の高い武術かもしれないが、実際のところ、実力が怪しく、不正直な指導者によって指導されているのが大きな問題と思う。

Aにかけられた王族リンチはAが社会人になってからもあった。舞台は名古屋大学大学病院。少林寺拳法の前管長の嫁が看護師で、そこへ勤めたことがあった。Aの元へ元看護婦長からその嫁についてクレームが入った。 Aと元看護婦長は遠い親戚。
Aは前管長と友人だったので、その嫁を紹介したのであった。Aは苦情を聞いた後、現場へ電話をいれて、電話に出た看護師に話しを聞いてみると全く異なる情報が出てきた。何かが仕込まれているらしい。Aは前管長と話した後、現場を確認しに出かけてみることにした。すると看護師達がナイフを持って遅いかかってきた。数名の看護師達を無傷で取り押さえて110した後、元看護婦長へ電話したら、既に戦闘の事を知っていた。Aはそれを問いただすと、元看護婦長は気絶してしまったようだった。この時かけつけた警察官で女性の方はAに襲いかかったので、やはり無傷で拿捕され、もう一人の警察官の手錠で拘束された。
Aが大学病院に行くことをその日を話したのは前管長だけだったので、どうもそこから情報が漏れたらしい。この件については皇太子の側近というか皇族の嫁をもらったNTTの社員永島が知っていてAに連絡を取った。Aはその親戚の元看護婦長の見舞いを装って、トドメを刺しにいくという話しをした。
その日、Aは行かなかった。もちろんそんなことする気は初めからなかった。永島が手配して大学病院では張り込みが行われていたらしい。Aは前管長との電話で、また明日行くと言ってやはり行かなかった。行くK行く詐欺LOLの手口で永島の手配した警察隊の張り込みは徒労に終わった。この件はNTTシスコムの課長で警察がらみの人も参加していて、Aと永島との電話を聞いていた。永島の不誠実な態度を見抜いて批判した正義感の持ち主だった。

実はこの課長、Aとの対戦経験があった。キリスト教系のカルト宗教に洗脳されていた彼は一生そのカルトから抜けられないと暗示にかけられ、精神を拘束されていた。Aは彼に一度でも死ねば解放されるのかと尋ねたら、彼はそうだと答えた。Aは無傷で彼の心臓の鼓動を止め、隣の席の社員に脈が無いことを確認させ、直ぐに鼓動を再開させた。その課長は自分に何が起こったかわからないようであったが、Aは彼が一度死んだこと、それは客観的事実で隣の席の上司も確認したことを話して、カルトから解放されたことを告げた。Aはその課長にその技を教えた。そうして彼によってNTTシスコム内のキリスト教系カルト信者は次々と解放された。
これを苦々しく思っていたのが永島で皇室とカルト宗教、キリスト教系、創価と協定が裏で結ばれており、それら宗教の不正な活動(罠をかけて入信させるなど)の取り締まりが警察でも積極的にできない状況になってのだった。それをAによって覆されていったのでなんとかAの行動を抑えようとした。
Aは永島の罠によってその技を愛知県警長官に披露することになった。Aには何も知らされず、Aは突然の組手に対処して、技を見せた。そしてAの技は愛知県警の幹部には知られることになり、その技を使用してはいけないと通告された。Aは社会を離れ、永島に情報を探られないように身を隠して生活を続けた。

Aはhigh teenの頃よりずっと社会に潜む皇室の隠し権力、学校教師の生徒に対して行う高圧的に服従を強いる態度、創価の奴隷と化した警察、民主党等の反社会的政治組織、マスメディアと戦っている。 特に昨今は教育の現場に対して関心があるらしい。暴力教師を捕縛し、警察に引き渡す等軽々とやってのける。

Aはもはや皇室によって歯止めがかけられる存在ではなくなってしまったようで、日本から出ていくように通告されていたりする。しかしながら、彼は居座りつづけて、次のターゲットがボロを出すのを待っている。彼は皇室の敵ではないが、不誠実、不正義には断固として対峙する。それが王であれ、国であれ、個人であれ、男でも女でも子供でも犬でも関係ないらしい。