7 Mar 2019

Explanation of lion dance 6


後書き

楽曲分析から笛が楽曲に適していないことがわかった。第7孔がDのために開けられ、Ebをクロスフィンガリングやハーフホールで出していては曲の要求している演奏はできない。
龍笛の指使いで最低音をD、第7孔をEbのために開けたも笛で、1全音高く移調して演奏すれば、より良く演奏できると考えられる。もとの調のままで演奏するのならばソプラノリコーダーで演奏するのが安価で合理的だろう。この場合実音は1全音程高くなる。
曲には雅楽の形式(序破急)の影響が見られる。楽曲を書き採り、分析して、繰り返し箇所をまとめていくと、ビデオの混沌とした演奏の中には到底無いと思われた科学的傾向を見ることができる。
作曲された当初は龍笛の系列の笛を使用し、1全音高く移調してD lydian scale(雅楽の沙蛇調)で演奏していたのではないか。そうであれば正しい音程で演奏でき、且つ合理的である。龍笛とヨーロッパのバロックフルートは同系統の音孔の配置である。笛の第7孔がEb/D#のために開けられることによってほぼ完全に半音階を演奏することができ、EbEFF#の吹き分けが容易になる。雅楽で用いられる笛の製作方法は江戸時代には秘匿されていたので民間では作れなかった。従って調律の整っていない笛で演奏する他なかった。それが現在まで伝承されているのであろう。
調律されていない笛とレベルの低い演奏が混沌を生み出し、振り蒔き、楽曲の真の姿とその価値を覆い隠している。前の世代の演奏を鵜呑みに学んで同じように演奏すれば良いというものではない。それは次の世代の知的発達を妨げる社会的悪である。楽曲を分析し理解して教え伝え、次の世代がより高い科学性を獲得するのが文化伝承のあるべき姿であろう。現実には先の世代の虚栄心が次の世代の科学性の発達を損ない、足を引っ張っている。
今回採譜、校訂した楠の獅子舞の楽曲は歴史的音楽資料として興味深い。次世代の音楽性を育み、それを破壊しないためには従来の非合理的伝承方法を廃し、笛は楽曲を十分に演奏可能でで、且つ調律されたものに変更すべきである。獅子舞を擁する神道も、かつて獅子舞を要した仏教も、神事と称して混沌を振りまく人々も、社会に不条理を生み出す人々も人間の科学的発達を阻害するので社会から退場すべきである。
三重県には獅子舞を行なう地域が多数ある。それら楽曲を神道の神事から切り離し、誰でもそれを研究できるよう公的文化遺産としてまとめておけば、地域に伝承された音楽の研究に役立つであろう。特に箕田流の獅子舞は広く伝承されており、標本数は比較的多く研究し易い。