亀山市史民俗 祭礼・芸能 獅子舞で獅子舞について書かれている。
興味深いのは田茂町の田植えの演目。
口取りが1斗升に入った水に笹の葉を浸して回りに水をまく「水浴び」という演目がある。
これは御湯立てが変化したものではないか。
田植えは稲生流に残っている。
田仕事をまねた所作をする場面もある。後舞と口取の二人が手拭いを頭にかぶり、野道具を使って、筵の上で行う。鍬を持って田に向かい、田をおこす作業。キセルに火をつけて向かい合っての休憩。田植えには苗に見立てた松葉を束にして使う。田植えが終わるとサナブリの祝いで、口取がまな板に載った鯛(木製の作り物)を人数分指折り数えて切って振舞う。草取りや田の見回りなどが行われた後、後舞が一人で小さな獅子を回す。次は後舞の鳥打ちで、松の木が傍らに立てられ、鳥に扮した後舞が筵の上を飛び回る。棒で鳥を追いたて、太鼓の音に合わせて鳥を撃ち取る。最後に稲刈りが行われる。
稲生流には子獅子と鳥打ちが無い。
山本流には鳥差しがあり、田茂町の鳥打ちと同じと思われる。
箕田流には田植えを伝承している地域は無い。子獅子は庄野にある。
獅子舞行事も終盤を迎える頃、集落中央の辻で、ダンジョの舞が行われる。この辻は以前、灯籠(ヤトウさん)が立っていたところで、七つの場所(春日八幡神社跡、亀山神社、鶏足山、冨士山さん、伊勢神宮、シャクト山、セタ山)に向かって、礼をする。御先さんも、それぞれの方向に鉾をたてる。 神楽のときには、口取、後舞は、ちゃんぎりを鳴らす。衣付の舞、納めの舞には口取は猿田彦面を付ける。
「ダンジョ」という曲名は稲生流、箕田流に多く使用されている。鉾を用いるのは御霊会の獅子舞だからと考えられる。神楽でチャンギリ(銅拍子)が用いられるのは、箕田流と同じ。
口取りが付ける面を猿田彦としているのは、主に稲生流と山本流である。
由来は1880(明治13)からとされており、箕田又は、三寺の獅子舞と関係があるものと思われる。