田茂町の獅子舞は三寺から習ったということである。
本(半)濫觴という曲がある。おそらく「だんちょ」のことだろう。
お湯立ては「籾種の発芽を促す浸水の湯」ということになっており、山本流、稲生流、箕田流のお湯立てとは異なる様である。
田植えの演目がある。
高砂という燃料用に松の落ち葉を集める演目がある。
鉄砲撃ちという演目はトリモチで鳥を獲る内容である。
獅子頭は椿神社の椿の木から作られた「伊勢の十二唐(頭)」の1頭であると伝えられている。
三寺から田茂町と坂下に伝承された。
万治年間(一六五八~一六六一)の縁起に奄芸郡稲生社の三年に一度の大祭に昼生、三寺の石神社より獅子頭を出すと伝えている。
江戸時代前半に稲生の大祭に参加していたらしい。
古い獅子頭は、漆が塗られず白木のままで、鎌倉時代以前のものと伝えられている。
鎌倉時代は、箕田流が立ち上げられた時期らしい。
鉾が先導するので御霊会の獅子舞だろう。
獅子頭には角があり、雄とされている。角のある獅子頭は伊奈冨神社にも保存されている。
刀の舞は郡山流にある。
「だんじょ」という曲があるが 濫觴と同じ曲ではないか。