30 Jul 2024

久留間神社 勝速日神社

神社検索、式内社の調査より



久留真神社

《主》大己貴尊 -> 大國魂神社?出雲信仰

《配》須世理姫命

漢織姫命 -> 織物の神

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雄略帝の頃に創始。
元は伊勢の森(現在の白子・御殿町一帯)で出雲の2神を祭っていた。
5世紀 雄略帝の頃に呉より機織りが導入され、その神を合祀した。
1634(寛永11)現在の場所へ移転。この時勝速日神社と分かれた。
江戸時代は「福徳天王社」「春日」「勝手明神」と称していた。
1821(文政4)『福徳天王久留眞神社』から『福徳之宮・久留眞神社』と社号を改称

大国主は福大黒さまとして親しまれ、漢織姫尊は福徳の車の女神として女性の守護神として尊ぱれた。
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元は福徳天王社なので、仏教系。
大己貴尊と須世理姫命は伊勢参宮名所図会では触れられていない。
千葉県の白子神社の祭神は大己貴尊である。
430 仁徳帝が南朝から織物の職人を呼びよせ、渡来した。

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勝速日神社

《主》正勝吾勝勝速日天忍穂耳命 -> 勝手大明神 奈良吉野の勝手神社の主神 元は愛鬘命

《合》天御蔭命 -> 御上神社
素盞嗚命,稲田姫命 -> 牛頭天王、頗梨采女
武甕槌命,経津主命,天児屋根命,天美津玉照比売命 -> 春日信仰

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八重賀岐神社では牛頭天王と頗梨采女を祭っていた。
1634 創建。福徳天王社の移転に伴い、氏子が2つに別れ、「八重垣神社」と「勝手明神」を遷して1社とし、現在の地に勝速日神社を作った。

1688-1703(元禄)勝手明神を主神とし他を椙殿の神とし、勝手大明神と称した。
1671(寛永11)紀州藩の指示によって社地を移転以降、現在地に奉祀し勝手神社と称した。
1908(明治41)春日神社他附近の小祀6社を合祀
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福徳天王社(八重垣神社)、勝手明神、春日の信仰があり、福徳天王社を移転した際に、氏子が南北に分かれ、北側の氏子が牛頭天王と勝手明神を合祀し、社殿を創建。その後春日信仰を合祀した。
八重垣神社と改称したのは神仏分離令のためではないか。

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伊勢参宮名所図会(1797)の説明文
栗真神社 白子の町と庄 式内 祭神 呉服部織姫といへども説来詳
今は勝手大明神と云う◯大宝天皇社祭神素戔嗚尊◯青龍寺高田流東願寺来る◯春日大明神社以上記召   在り   久留真庄と言ひて札の次の南なり