30 Aug 2023

筋トレ:ブルガリアンスクワットで膝がむくむ

ブルガリアンスクワットを30kgのダンベルを持って10回位4セットしたら、膝がむくみ、脚の裏側が痛くて、筋トレが続けられなくなっている。

2日空けて再開を繰り返しているが、膝のむくみは少し軽くなったが、脚の裏側の痛みは変わらない。

今回は脚を前後により開いて、後ろ足にも体重を預けて、3セットにしてみた。様子をみながら続けるつもり。

ふともも前のために1セット、尻のために2セットとかしてみるか。

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ダンベルを20kgにして前後に足を広く開き、膝を90度以下には曲げないで浅めに、カカト重心で行うと膝がむくまない。しかし軽く膝の痛みは残る。ウェイトが軽い分回数多くなる20回前後。

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膝のむくみがなくなってきたので、ウェイトを30kgにした。これでも問題ない。セットあたりの回数は10回程度。3セットで様子を見ている。

30 Jul 2023

三ヶ島ペダルFD-7

総金属製の折り畳みペダル。
剛性が高く、まるで通常のペダルの様。

折り畳み機構もしっかりしてる。

ただ回転は期待した程ではなかった。でもかなり回転する。乗ってみると超スムーズで、不安定さは全くない。シマノの安いビンディングペダルの比じゃない。

20年使った金属+プラ製を交換した。

25 Jul 2023

読書感想文:太平洋戦争の大嘘

国際政治学者:藤井厳喜氏の著作。
江戸末期から戦後までの日米関係について分かり易く書かれている。戦後に教育、メディアで流布されている歴史とは異っている。

日米関係が元々は悪くなかったこと。
フランクリン・ルーズベルトが共産主義者で、日本を追い詰めて戦争させたこと。
日本側から和平案が出されても無条件降伏を要求して戦争が継続されたこと。
原爆を使わなくても米は勝っていたこと。
原爆は国際法上違法な大量虐殺だったこと。
ソ連に和平の中介を求めたが、ソ連は英米と通じていて、中价に応じなかったこと。

フーヴァー元大統領が書いた書籍が50年の時を経て出版された。その中から日本に関係ある個所が抜枠されている。戦争時の事実、現在知られる歴史の嘘が分かってきた。

日米は共に共産主義の中国と戦うべきと結ばれている。

陸軍の中に戦後に社会主義革命を起こそうとしている人達が居て、近衛上奏文でそれを阻止しようとしていたらしい。
林千勝氏の著作では、近衛も共産主義者を使って日本を戦争に追い込んでいたが、社会主義革命ではなく自身が統治する団体主義を考えていたらしく、共産主義者に裏切られて、殺された。

共産主義はユダヤ系国際金融資本が資金を出し、その親族のマルクスが英国で骨子を完成させ、共産主義国家を暴力革命によって樹立し、民主主義国家と対立させ、戦争させ、武器を売って稼ぐというマッチポンプ式の構造が作られた。共産主義では経済が発展しないので、東西冷戦後の東欧が西側よりはるかにおとっていたことが露見した。
中国は90年代から開放市場経済になり、急速に発展した。米は中国の市場の利権が欲しくて日本と戦争したが、中国が共産主義になったため、それを穫得できなかった。

共産主義の大国中国は、霸権国家になろうとあらゆる手段で他国を侵略している。米中は深刻な対立状態にあり、米の将軍は2025に戦争になると予想している。

米国全体が悪いのではなく、共産主義者たちが問題。米の場合、民主党。1950年代に左傾化がひどくなり、赤狩りが行われた。

LGBT法案は自民内で賛否が割れていたにも関わらず、首相によって強硬に主導された。この法案は左翼的なもので、首相が民主的でなく、強硬に推進したところが最早左傾化していると言える。日本も赤狩りすべきか。

22 Jul 2023

読書感想文: 日本とナチス独逸

海軍大将 末次信正著
支那事変の最中に書かれたもの。
GHQ梵書らしい。

日独伊三国盟、世界戦争、大東亜共栄圏についてその意義を説明している。

この時代の文官は近衛秀麻呂。林千勝氏の著作で支那事変を長引かせ、英米との戦争に導いたことが解説されている。

軍部主導の方が真当な国になるのではと思う。

旧秩序とは欧米によるアジアの支配、新秩序とは、欧州、北南米、アジア、ソビエトの地域毎の自立した経済圏の樹立を言う。

ピアノ練習:ブラームス51のエクササイズ

 ブラームスの51のエクササイズをやっている。これを自然なフォームで演奏するためには椅子の高さを上げる必要がある。

現在白鍵まで72cm、椅子54cm。

椅子を上げると力を使って弾かなくても音がでる。鍵盤には自然に腕の重さが乗っているように弾くので、頭の位置が下がらないように良い姿勢を維持して、頭や体の重さが鍵盤にかからないように気を使っている。むしろ鍵盤を押した時点から以下に放すかに気を使う。シュットもやりやすくなる。全曲を通して拍子をカウントして、拍子の頭にシュットするように弾くと奏法がまとまってくる。

スラーの末尾の音価は短くする。また音を少し弱くする。

ここ1年程でハノンの後ろの方にあるスケールとアルペッジョは全て弾けるようになった。もう充分記憶しているのでハノンを開くこともない。

アーティキュレーションをスケールに加えるようにしている。ようやくハノンの基本的な練習にたどり着いたか。

食事改善

 筋トレが持続できるようになってきた。負荷も順調に上がっている。

鶏の胸肉は400g(たんぱく質85.2g)、玄米3カップ(たんぱく質47.61g)食べても筋トレの負荷が上がらなかった。

この肉を豚の切り落としに変更すると300gでも充分に筋トレの負荷が上がった。

肉をイワシ(190gたんぱく質22.2g)、鯖の缶詰(190gたんぱく質37.6)で玄米2カップ(たんぱく質31.74)でも納豆や補助的に魚、肉、豆腐を食べると筋トレの負荷は上がっている。

1日に摂取するたんぱく質は120g辺りになるように調整している。油をほとんどとらないが、イワシ、鯖缶に含まれているもので間に合っているというところか。

肉から魚に変えた時に大便が固くなった。便秘になりがち。これは摂取する油脂の量が変わったからか?摂取する水分量を増やしても変化はなかった。

さしみこんにゃくを食べてみた。水容性食物繊維だから。

押麦(大麦)も試してみるつもり。

どうも水分不足だったらしい。だから大便から必水分を多量に吸収していた様子。水をよく飲むようにしたところ改善されつつある。水はかなり多めに飲んでいる。多めに飲んで少用をたしに行ぐ位が良いと思う。

18 Jul 2023

DNAでルーツを調べる

Haplo3.0というY遺伝子も調べるサービスを購入した。14900円。

2023/07/18 今日届いたので、今日サンプルを送った。
サンプルはだ液。

1ヶ月程で結果が分かるとのこと。

2023/07/24 検査試料受領のメールが届いた。

2023/08/09 メールで検査完了のお知らせが届いた。

97% 日本人
3% カンボジア人

ヤポネシア人のゲノム解析 斎藤成也 図3にカンボジア人の集合がある。カンボジア人の方がヤマト人より縄文人に近いとのこと。縄文人の出自に東南アジアを考慮すべきとある。

母方B4b1南方系 日本人に占める割合は9.1%。現在では、特に東京と宮崎で多く検出される。台湾、フィリピン、太平洋島嶼を中心に分布している。ハワイの先住民の9割以上はこの系統(Wikipediaより)

父方D1a2 日本人の約32%[4] - 39%[5]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[6]もこれに属する。ハプログループD1a2aは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている。
日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や沖縄に多い。

青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%
アイヌ:87.5%

(Wikipediaより)

縄文人の遺伝子型はGeneLifeの平均より63%少い。ネアンデルタール人の方は21%少い。

遺伝子から見つかった遺伝的つながりのある人は3人。いずれも近隣の県なので父方ではないと思われる。

14900円でわかったことはほとんど全く役に立たない。



先々月から戸籍を取り寄せて、家系を調べている。曾祖父は私生児だった。つまりそこから僕まで苗字とは異なるY染色体が受け継がれているということが分かった。今となっては曾祖父の父を探す手がかりが無い。
曾祖父の母の苗字を名乗っているので、その苗字を調べたところ、戸籍で逆昇れたのは山形県飽海那遊佐町比子青塚140番地だった。現在はない。
この近くに秋田県湯沢市柳田があり、鎌倉〜江戸まで柳田氏の居城があった。仙北小野寺氏の重臣であった。小野寺氏は鎌倉初期に賴朝から湯沢一帯を任せられ、栃木県栃木市から出てきた。
①栃木県には柳田氏が多いので、湯沢の柳田城主は栃木から小野寺氏に付いていったのかもしれない。それ故重臣であったか。
②西馬音内城は小野寺氏摘流の三男が城主になり、西馬音内茂道と名乗っていた。湯沢柳田の地名の由来は田園地帯の中心に大きな柳があり村名の柳田となったとある。つまり柳田城主は苗字を村名に合わせて書いたか?
1600柳田城主治平道定は最上勢の侵攻により自決したらしい。領民男子は城に入り応援隊となっていた。最上勢10,000に対し、柳田軍500人の内486人殺された。城内の女子供は家臣の妻と子と思われる。これも虐殺された。殱滅戦だった。領民の女子供と老人は、域に入らず、領地へ避難していた。領主の息子2人は吉祥完に隠まわれ、京都へ逃げた。弟は出家し、兄は名を変えて江戸で仕官した。柳田軍の兵は遊佐町比子青塚まで逃げ、そこで定住した。この子孫が明治に北海道へ渡りり、私生児を産んで僕までつながっている。
遊佐町青塚の現地伝承ではそこの柳田姓は先の戦いから落ち延びた人の血筋とのこと。半農半漁で極貧だったと現地の人から聞いた。家紋は丸に三つ柏。江戸期に多くの庶民も使いだした紋。栃木の柳田姓は家紋が異なる。