3 Sept 2020

日本の女帝と伊勢神宮の祭神

 伊勢神宮のweb siteより引用

"伊勢市の中心部、高倉山を背にして鎮まります豊受大神宮とようけだいじんぐうは、豊受大御神とようけのおおみかみをお祀りしています。豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神みけつかみであり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。"

これに対応する日本の女性天皇はいるのか?

Wikipediaで順に見ていくといきなりぴったりの人物が見つかった。

554-628 推古 額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと、『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命という)。炊屋姫尊とも称される。

摂政に聖徳太子をおいた。

伊勢神宮内宮のweb siteの説明では天照が祭神で日本書紀の天孫降臨の話しが出てくる。
高天原から瓊瓊杵をつかわせた。朝鮮半島にあった高天原を引き払って九州へ移住する話し思える。

朝鮮半島にあった倭国の領土は任那(- 562)、加羅(414-)

三国史の魏書東夷伝倭人条では倭国の北限が狗邪韓国とある。この国が加羅では?広開土王の碑では391に倭が朝鮮を攻め、百済新羅を臣民としていたことがある。加羅は鉄の産出地だった。

5c、倭の五王が中華帝国宋に対して朝鮮半島の武力統治権を認めてももらおうとしていた。(宋書)

神宮皇后の三韓征伐を考えると内宮は神宮皇后を祭っているか?しかし彼女の和名 気長足姫(おきながたらしひめ)からは天照を連想できない。
彼女と当時の天皇の子の応仁天皇は筑紫で生まれた。

Wikipediaによると”応神天皇は後に男系断絶した仁徳天皇皇統と現在まで続く継体天皇皇統の共通の男系祖先である。そのため後世に皇祖神として奉られることになった。”とある。和名は誉田天皇で”天皇”が用いられているのが変。

王年代記というのが宋へ献上されたと宋史にある。楽に国中高麗の2つがあったとある。これは左方楽右方楽か。

天之御中主から23代は筑紫の日向宮に居た。19代目が天照。18代目が素戔烏、17代目が伊弉諾。神武が大和州橿原宮に移ったのが周代の設定なので古さは今の皇紀。
殷は長らく伝説と思われていたので周にしたか?中華帝国と同じ位長い歴史があると設定したかったか?

卑弥呼の話しは出てこない。

元々は宮中で祭っていたものを伊勢神宮へ移した。崇神が恐れを抱いたからという。

日本書紀では御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)とも書かれていて、初代天皇とも受け取れる。3世紀頃の実在性がある。即位して万世一系を謳った。じゃこれ以前は?


参考資料