30 Sept 2020

伎楽の笛

612伝来の伎楽の笛はどんなだったか?
田楽に使われる指穴7孔の笛か6孔の笛か?三重県北勢地域の獅子舞は指穴7孔の笛で第7孔はDのEnding holeで最低音はCである。Baroque fluteでは第7音はD#/EbのEnding holeで最低音がD。これらは指穴7孔の笛であるが、基本的な違いがある。
古譜から読み取れる当時の龍笛は最低音がD。この場合第7孔はD#/EbのEnding holeとして用いられたとしか考えられない。現代の龍笛は最低音がC#やCでEより下は用いないので古譜を演奏できない笛なのである。また高麗笛と神楽笛の間のピッチなのに神楽笛より太い内径もおかしい。おそらく江戸時代初期の宮中の雅楽復興の折に間違えたまま現代まで数百年を経ていると思われる。鎌倉時代にはすでに笛に糸を巻いて漆を塗り固める手法があった。これは笛の材料となる篠竹が簡単に手に入らなかったので、既にあった古いピッチの低い田楽笛の音孔を広げて龍笛として用いるための改造技術の一つではなかったのだろうか?

伎楽の師子は宮廷の雅楽に取り込まれた。そこでは龍笛を使っていた。

教訓抄に"狛笛、又伎横笛、又崙。"とある。つまり伎楽の横笛は高麗笛指穴6子孔ではないか?高麗楽は全音高いので、正倉院の所蔵の笛の内最短の笛が伎楽笛と思れれる。その笛は指穴が7孔。仏教系の曲のための笛は7孔だったのでは。

28 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:新羅陵王 破 急 沙蛇調


新羅陵王 破 沙蛇調

拍子8

教訓抄

舞いは絶えた。近来天王寺では倍臚の破に用いる。


仁智要録の説明では3回繰り返す。終帖に拍子を加える。

南宮笛譜では

3回目に三度拍子


三五要録の綿譜説は仁智要録に合わない。

龍笛と篳篥の破の譜がない。


陵王の入破の笛と似ているところがあるが、同時に演奏させると大半がテーマから遠すぎることがわかる。なので似ている箇所のある別の曲。


新羅陵王 急 沙蛇調

拍子16

伏865の太鼓の百の欠落を鷹593で修正。

六調子並高麗曲譜 伏872の小拍子の欠落は仁智要録の旋律と対応させて補った。


お気楽極楽調の曲に聞こえる。沙蛇調はD Lydianなのでこれで正しいと思われる。龍王がご機嫌でおもしろおかしく舞うという印象。

繰り返し箇所の反付は六調子並高麗曲譜伏872に従った。


教会旋法に限って考えると明るい調はLydianとIonian、Mixolydianであとは暗い調(b 3rd)になり、暗い調の方が多い。人間の心は暗い方へ惹かれるのかもしれない。

沙蛇調が壱越調に吸収されたのはどうしてなのか?やはり管楽器の技術レベルが低くなってしまって沙蛇調に出てくるG#やC#を自在に出せなくなってしまったのか?

現在の龍笛は楽家録のサイズに近い。龍笛より低い神楽笛より太いのでおかしい。求められるピッチに合うようなサイズで作れば、古譜に出てくるように最低音がDで指穴が小さい笛になるのではなかろうか?これならトリッキーな演奏も可能と思う。


双調へ移調したものを復元している演奏。


双調へ渡された版の演奏は格調高く聞こえる。箏は聞けるが笛は。。。。。

沙蛇調が壱越調へ吸収されたのは格調高く聞こえるからだろうか?


参考文献

  • 仁智要録 宮内庁書陵部 伏865
  • 仁智要録 宮内調書陵部 鷹593
  • 三五要録 宮内調書陵部 伏931
  • 六調子及高麗曲譜 宮内庁書陵部 伏808
  • 竜笛要録譜 宮内調書陵部 鷹609
  • 大家竜笛要録譜 宮内調書陵部 伏893
  • 六調子並高麗曲譜 宮内調書陵部 伏872

27 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:陵王 入破 沙蛇調

 


林邑八楽の一つ。沙蛇調はLydianなので教会旋法中最も明るい音階と言える。その音階で作られた曲がご機嫌に響くのが当たり前。


京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センターによる復元の演奏。序のゆったりとした雰囲気を破るような曲調のはずなのだが。このテンポでは入破の意味わかってないように聞こえる。

沙蛇調が壱越調に吸収されたのは笛吹きのレベルが下がって、沙蛇調に出てくる派生音を吹けなくなったからではないか?笛が音孔が大きすぎてクロスフィンガリングを用いても派生音を正確に鳴らせない性能になってしまったからでは?

演奏は話しにならないのだが、知識や説明の方は学ぶところが多い!!知識はあっても体現できない演奏の腕前、そんなレベルが大学の研究センターという現実には非常に残念。研究自体はおもしろいのだから、その知的レベルに相応する演奏の腕前で発表してほしい。

仁智要録をそのまま演奏すればご機嫌に響くはずなのだが?調をあらかじめ想定しておけば笛の譜字を沙蛇調の音に鳴らせるのではないか?

この曲に限った事ではないが、龍笛自体が最低音がDでないものが用いられている現在の状態では古譜を忠実に再現できるとは思えない。江戸時代初頭の宮中雅楽復興の時点から間違っていると思う。

源氏物語の音楽 ─平安・鎌倉時代の雅楽はこんな曲!?─

長秋卿竹譜にこの曲は載っていないので単純に比較できないが、最も古い譜は込み入って書かれてはいない。

各楽器がシンプルな旋律に装飾を加えて弾いたのは、ソロがあてがわれていたからではないのか?大家龍笛要録譜が込み入って書かれているのは、それを基本にして合奏したからとは考えられない。あまりに複雑過ぎて他のパートが真似できないからだ。

24 Sept 2020

Usb wifi adapter on Puppy linux Xenial

以前にアンテナが伸びているusb wifi adapterをセットした方法はこちら

 MT7601Usta wifi driver 設定 Puppy linux Xenial(Ubuntu16) 日本語版

そのアンテナの根元を壊してしまったので、Aliexpressでアンテナが伸びていないものを購入した。MT7601のドライバで動く物を購入した。

起動前にusbに接続して起動したらあっさり動いた。

格安!! ワイヤレスミニ usb 無線 lan アダプタ 802.11N 150 150mbps USB2.0 受信機ドングル MT7601 ネットワークカードノート pc の windows mac


SpecificationにChip MT7601とある。

使用しているPuppy linux は有志が日本語化したものカーネルは4.4.95。

23 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:倍臚 平調

 


三五要録では拍子12、天王寺は拍子6を用いる。林邑八楽の一つとある。

教訓抄に詳しい説明がある。現代語で抜粋。

拍子13とあり、急として演奏する。破は新蘭陵王の破を用いる。拍子12を奈良様、拍子4を天王寺とする2説がある。2回繰り返して1帖。舞い人12人が輪を作る。当曲を馬頭の拍子で3回吹く。1回繰り返した後拍子を上げる。演奏は3回繰り返して舞いは1回。盾を持ちながら剣を抜いて舞う。

秦王楽に粗く似る。

建仁3年東大寺の供養で忠拍子で舞った。楽拍子でやりたかったが、笛吹きが楽拍子の説を知らなかった。

p.178 に笛譜に太鼓をつけたものが掲載されているが、龍笛要録譜とは異なる。音符の並びから冒頭の部分であろうと思われる。繰り返して演奏されるこの曲の冒頭は初めの1回目しか演奏されない。そこに太鼓が書かれているということは拍子が上がってからは馬頭の拍子を当てるべきなのか?


仁智要録に2つの版が収録されているが、どちらも楽拍子ではないように聞こえる。仁智要録が編纂された時には2通りの演奏が伝わっていたのだろう。

三五要録、には1つの版しか収録されていない。

三五要録の倍鱸太鼓の6拍目の譜字は林謙三の琵琶譜新考(p.78)によると親指を用いることを示している。第1弦2柱のGを親指で押さえることと思われる。

懐中譜よりも六調子及高麗曲譜の方が小拍子の位置が明確にわかるのでこちらを採用した。”ノ”の譜字は同じ音を示すと思われる。


教訓抄p.178の太鼓は繰り返した際に拍子を上げた時のものか?それにしては冒頭の旋律に太鼓が付いているのはおかしい。今回の音源には完全ではないがなるべく合わせた。

前回の弄槍とこの倍臚は両方とも魅力的ではない。

弄槍は棍、倍臚は剣を用いる武術系の舞いでおもしろいのはないだろうか?

参考文献

  • 仁智要録 宮内庁書陵部 伏865
  • 三五要録 宮内庁書陵部 伏931
  •  六調子及高麗曲譜 宮内庁書陵部 伏808
  • 竜笛要録譜 宮内調書陵部 鷹609
  • 教訓抄 日本思想体系 岩波書店
  • 琵琶譜新考 林謙三 1964

22 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:弄槍 沙蛇調

 

沙蛇調はインド伝来の調と考えられている。現在は壱越調に組み込まれ本来の調性を失っている。

この曲の龍笛はとてもトリッキーで元と思われる箏の旋律からかけ離れている。

後に作られた十天楽がこの曲の代わりに用いられた。

特に良い曲というわけではない。時間をかけて楽譜を読んで残念だった感がある。

信西古楽図に弄槍の絵がある。4人で棒を持って踊っている。


参考文献

  • 仁智要録 宮内庁書陵部 伏865

  • 三五要録 宮内庁書陵部 伏931

  • 懐中譜 東京国立博物館 QA-1368

  • 大家竜笛要録譜 宮内調書陵部 伏893

  • 教訓抄 日本思想体系 岩波書店

18 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:伎楽

 

楽曲構成とかは以前のブログ記事に書いた。
仏教系音楽劇の伎楽は612年に日本へ伝来し、広められた。それから150年位は大人気だったらしい。
伎楽譜は幾つか残っているが、飛鳥時代の譜面ではない。
上記の動画は仁智要録という箏の楽譜を集めたものを音源化した。
現在の雅楽の手法では元のテンポの4~16倍の遅さで演奏する。これは明治以降の日本政府が国の威信を高めるため荘厳に聞こえるようにゆっくり演奏するよう宮内庁雅楽部に要請した結果らしい。この遅すぎるテンポによって雅楽の原曲の印象が伝わらなくなっているのが非常に残念で馬鹿らしい。日本政府(これを支持している国民)の音楽に対する理解の低さを表している。
伎楽譜は林謙三によって研究されているが上記の雅楽手法で読まれている例もあっておかしな印象を感じていた。それ故自分で読んでみることにした。
各曲は結構短い。繰り返して演奏されていたのか?配役の登場毎にジングルの様に演奏されたのかはわからない。伎楽譜は幾つかあるが中身が同じ曲とは思えない程異なるものもある。伎楽に含まれている獅子でも平安時代末期にはすでに宮中と天王寺住吉大社のとはかなり違っていた。(教訓抄)

東京国立博物館のデジタルアーカイブに伎楽で用いられた面がある。
だいたい面毎に音楽がついている。
飛鳥時代の面を見てみる。
お寺の門にある金剛力士像。実は金剛と力士は別人。
その力士がこちら。
多分口髭があった。
金剛はこちら。

こちらも口髭顎髭があったと思われる。微妙だが口が開いている方が金剛らしい。
金剛力士像には短い棒を持っているものがある。その棒は太極棒という名称で売られている。武闘派仏教というのがある。古代には深く結びついていたと思われる。キリスト教もイスラム教も破壊活動やテロ活動をした。日本でもオーム真理教が地下鉄サリン事件起こしたし。怖い側面がある。公明党の母体の創価学会も武力集団持っている。その人達をつかって強迫することもあるから質悪い。大学のゼミや同好会等で罠をはって入信させる例がある。名古屋大学古楽研究会で行われていたが、大学側に抗議しても消極的な対応しかされなかったので、後に暴力事件に発展した。名古屋大学や古楽研究会はこの件を口外されたくないらしいが、国立大学内で行われている不正な宗教勧誘の実態を隠すことは社会不正義だからあちこちで話題にし続けている。

音楽のついていない面もある。それが治道。

鼻が長い。これが当時のインド人を特徴的に表している要素らしい。良く見ると黒髪?が描かれている。坊主じゃない。日本では天狗として今に伝わる。古事記や日本書紀では天孫降臨の際、天之受女にたらし込まれて道案内をしている猿太彦がこの容貌で描かれている。これら史書は伎楽伝来から100年後に書かれていて、当時はまだ伎楽が人気だった。それをモチーフにして描いたと考えられる。天孫降臨自体怪しい話しだが、よりでっちあげ感高まる。御霊会の行列を先導する散手も鼻高面を被っている。為政者は神道系の呪術では効果がなかったので仏教系の呪術をたよった。

この面に似ているのが婆羅門。カースト制を作ったバラモン教のバラモン。

鬚があったらしい。鼻や耳の特徴が治道と同じ。

動画の2曲目に呉公がある。その面がこれ。

鼻の特徴が異なる。舞台では笛を吹いたらしい。江戸時代に宮中の雅楽が復興された。
また異なる民族的特徴を示す面がある。崑崙。
これはアフリカ系黒人奴隷と思われる。アフリカ系黒人奴隷はアメリカで用いられるよりもずっと前に東南アジアで用いられていた。ずっと時代が下るが織田信長の家来に黒人がいた。この崑崙が用いるアイテムがマカケ。ブータンの仏教系の祭りでは僧がマカケを持って若い女性に性教育する。

17 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:抜頭 乞食調



2/4拍子。林邑八楽の一つ。教訓抄ではインド由来となっている。林邑は今のカンボジアとベトナム辺り。僧仏哲によって伝えられたと考えられる。東大寺の大仏開眼式で演奏されたか?

アニメ攻殻機動隊の登場人物バトーのモデルとなっている。アニメ中でバトーは自分の名をバトー仏哲と名乗っている。

短い小品。三五要録の説明によると舞いに従って繰り返して弾くとある。繰り返し回数があらかじめ決まっていない。

仁智要録では乞食調に分類されている。

パーカッションは教訓抄(岩波書店)のp.118にあるものを使用。教訓抄の笛譜と竜笛要録譜は若干の違いがある。譜字の下の”動”は何を意味するのか?フラッタータンギングではないか?

曲想は明るい。とても猛獣を恨んで復習するという内容には思えない。馬が蛇を退治する内容であるという説もある。笑いの要素を含んでいたのではないだろうか?昔話が吹き込まれたレコードとかCDのBGMっぽい。

この曲でも古譜にある音を同じに演奏すると綺麗に聞こえない。其々ソロで演奏させると分かり良い。琵琶は単独で演奏しても元の旋律を想定できる位分り易い変奏(即興?)に聞こえる。

これは現在の雅楽の抜頭の演奏。いつも通り全然違う。コミカルでは全くないし、格式高い感じになっている。
この格式高さ自体が嘘ハッタリかもしれない。国民を騙しているのは新聞TV等の左派メディアだけではない。
明治以来政府が宮内庁雅楽部に荘厳に聞こえるようにテンポを落として演奏することを要請しつづけた結果が今の雅楽。原曲の印象さっぱり感じ取れない。
秀吉から家光の頃に復興した雅楽が今の雅楽に続いているのだが、それ以前の宮中の雅楽は廃れてしまい、どのように演奏されていたか誰も知らない状況になっていた。
そんな状況で箏の旋律をベースにして新たに構成されたのではないか?
言い換えれば、拙い腕前でも演奏できるように変奏、即興部分を排除してアレンジし直したのでは。。そういうわけで古譜をそのまま再現した演奏と全然違ったりするわけだろう。

僕は古譜の雅楽はジャズコンボの様にテーマと変奏(または即興)で構成されていたと考えている。
京都市立大学日本伝統音楽研究センターでも古譜に基づいて再現しているが、奏者の腕が拙すぎておもしろくない演奏になっている。研究する前に前提となる演奏の腕前が怪しい。

”雅楽の古譜を読む”では
  1. 古譜にある旋律をそのままDTMで音源化してどんな音楽が書かれているのか聞いてみる。
  2. 同時に演奏するとどうなるか?
  3. 各楽器のソロで演奏するとどうなるか?
  4. 箏の旋律をユニゾンで演奏したらどうなるか?
  5. どんなテンポが心地よく聞けるか?
を見当している。その音源を公開することで楽譜が読めなくても古譜にどんな音楽が書かれているか聞いて知ることができる。その上で研究者達による再現を聞いてみるとおもしろいと思う。
元がどんななのか?どこを直しているのか?変奏、即興は古譜に基づいているか?
研究者の腕前は確かなのか?LOL

構成

  1.  テーマ(箏の旋律をユニゾン)
  2.  篳篥(古譜にある通り。琵琶の箏の旋律)
  3. 竜笛(古譜にある通り。琵琶は箏の旋律)
  4. 琵琶(古譜にある通り)
  5. 合奏(古譜にある通りの音を同じに演奏)
  6. テーマ(箏の旋律をユニゾン)


参考文献

  •  仁智要録@宮内庁書陵部 伏865
  • 三五要録@宮内庁書陵部 伏931
  • 懐中譜@東京国立博物館 和1368
  • 竜笛要録譜@宮内庁書陵部 鷹609
  •  教訓抄 日本思想体系 岩波書店

16 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:蘇芳菲 乞食調

現在の宮中の雅楽にはない廃絶曲。

信西古楽図に絵が載っている。獅子舞など二人の舞い手で1弾きの4足獣を演じる子馬形の一つ。雅楽には他に獅子、狛犬、狛竜があった。獅子は伎楽から独立して残ったものと思われる。

神社にある狛犬は社に向かって左が狛犬で右が獅子。狛犬は本来頭に一本角があった。現在では獅子と狛犬のが混ざって分からなくなってしまい、獅子の石像を狛犬と呼んでいる。

仁智要録と三五要録には2つのバージョンが収録されており、前者は4拍子で只拍子と思われる。後者は楽拍子と説明がある。平安時代末期には楽拍子の方が一般に演奏されたらしい。原曲は只拍子と思われる。楽拍子は行進曲のように一定のテンポを刻みつづける。メロディはそれに合うように工夫され、元の滑らかな旋律から離れている。

竜笛要録譜と懐中譜には8拍子の楽拍子の楽譜のみ掲載されている。

竜笛の譜は箏の旋律から割と離れている。篳篥は箏の旋律の変奏ということが分り易い。

古譜にある旋律を同じに演奏させるとごちゃごちゃで聞けたものではない。やはり其々の楽器がソロをとって変奏を披露していた、もしくは即興していたと思われる。


パーカッションには三度拍子を用いた。延八拍子らしいがテンポをゆっくりに設定してもおもしろくない。

テーマは箏の旋律からとった。他の楽器へはユニゾンで割り当て、音域内に収まるよう適宜オクターブ上げ下げしている。

今回の構成

構成

    1. テーマ(箏の旋律をユニゾン)

    2. 箏と琵琶(古譜にある通り)

    3. 竜笛(古譜にある通り。琵琶は箏の旋律)

    4. 篳篥(古譜にある通り。琵琶の箏の旋律)

    5. テーマ

    6. 楽拍子 テーマ(箏の旋律をユニゾン)

    7. 篳篥(古譜にある通り。琵琶の箏の楽拍子の旋律)

    8. 竜笛(古譜にある通り。琵琶の箏の楽拍子の旋律)

    9. 琵琶(古譜にある通り)

    10. 合奏(古譜にある通りの音を同じに演奏)

    11. テーマ(箏の旋律をユニゾン)


参考文献

    • 仁智要録@宮内庁書陵部 伏865

    • 三五要録@宮内庁書陵部 伏931

    • 懐中譜@東京国立博物館 和1368

    • 竜笛要録譜@宮内庁書陵部 鷹609

    • 教訓抄 日本思想体系 岩波書店

14 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:想夫恋 平調

 京都市立大学日本伝統音楽研究センターのyoutubeチャンネルで動画が見れる。

これは鎌倉時代のスタイル。


こんにちのスタイルでの演奏もある。

鎌倉時代のスタイルの別バージョン。

僕が読んでいる楽譜も平安末期から鎌倉辺りなので、ほぼ同じものが再現できるはず。

しかし竜笛下手過ぎる。演奏技術が未熟過ぎて話しにならない。

これが古譜を読んでそのまま音にしたもの。雅楽の伝統的奏法や各楽器特有過ぎる奏法は無ししている。
平調なのに箏にはG#、D#が出てきてDがでてこない。箏の譜はシンプルなのだが、それでも一癖あるように見える。
先の京都市立大学日本伝統音楽研究センターの再現しているものに近い。研究所のは平調の構成音だけで演奏されている。

雅楽は機能和声のない時代の音楽で旋法によって作られている。その特徴としてBlu noteがあると考えられる。箏の譜に現れている調に所属しない音はそれではないのか?

曲のタイトルと曲想を考えると研究所の方が出来が良いように聞こえる。

上海の唐代礼楽復原組というアマチュア楽団による再現はテンポが遅すぎると思う。彼らは仁智要録の譜を修正している。原曲の味わいがわからなくなってしまった日本の雅楽よりずっとマシ。

この復原組の再現では笛や琵琶の即興演奏がない。アマチュアなので難しいのか?

日本の雅楽は古譜に立ち返ってみるべきと思う。今の雅楽ではおもしろくない。政府はハッタリをかまし続けるためにさらに遅いテンポで演奏するよう要請し続けるのだろうか?

右も左もハッタリには用はない。そいつらは一掃すべき。

参考文献
  • 仁智要録@宮内庁書陵部 伏865

  • 三五要録@宮内庁書陵部 伏931

  • 懐中譜@東京国立博物館 和1368

  • 竜笛要録譜@宮内庁書陵部 鷹609

  • 教訓抄 日本思想体系 岩波書店

  • 楽家録

雅楽の古譜を読む:武徳楽 壱越調


 9/14動画差し替え。先の投稿では繰り返しを用いず、古譜のまま合奏させていたのだが、他の雅楽曲を同様の手法で合奏させるととても聞けたものではないケースが見られたのでこの動画も組み直した。武徳楽の竜笛、篳篥の変奏は箏のテーマからそう遠く離れていない。エンディングで用いられる曲なので、奏者の腕前を披露するという目的は主眼におかれていないと思われる。

この曲は伎楽の最後に演奏される曲で、この曲が演奏される間は舞いは舞われない。
エンディングに使われていると思われる。
今回は現存する雅楽の古譜を読んで、それらを洋譜に直し、それをコンピューターに打ち込んで重ね合わせて演奏させてみた。
それぞれの楽器の音域を守らせるとそれなりに聞けるように鳴った。
以前は一回の繰り返し毎に一つの楽器とが旋律を演奏し、次の繰り返しではまた別の楽器が、と続けていき、最後は全員で演奏すると考えていたのだが、Tuittiでもそこそこ聞けるのがわかった。
譜の読み方はまだ手探り中である。特に笛譜の読み方が今一わからない。

用いた楽譜のソース:  
  • flute (壱越調曲譜 伏824)
  • English horn (懐中譜@東京国立博物館 QA-1368)
  • Harp (仁智要録@宮内庁書陵部 伏865)
  • Slap Bass (三五要録@宮内庁書陵部 伏931)

読める古譜もあれば読みにくいものもある。誤字もあるし。

今回笙を使わなかった。無くても構わないと思っているが、そこまで手が回らない。曲の下の姿を知るにはこれで充分と思う。

現代の雅楽はDr. Laurence Pickenによってテンポが異常に遅く演奏されている事が指摘されている。僕は彼の主張に沿って、原曲を味わうことができる程度のテンポで古譜を読んでいる。

12 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:長慶子 太食調


源博雅作曲 主に退出用に用いられる。

加える拍子に3パターンある。この動画では三度拍子にした。

三五要録では黄鐘調弦とあるが、平調でないと他の楽器に合わない。

仁智要録では平調とあるが、実際にはD#とDが交互に用いられていたりする。2パターンの譜が収録されている。


今回は箏の2パターンを冒頭に配置して、その後に各楽器の即興?変奏(古譜)を配置した。

この古譜にある変奏を同時に演奏させるとやっぱり合わないところがある。やはり独奏のための譜ではないかと思う。

テーマは箏のメロディーから取っていて、笛と箏の独奏の時は琵琶に箏のテーマを弾かせている。

三度拍子は仁智要録に収録されている伎楽の獅子にも合うと思う。

参考文献

  • 仁智要録@宮内庁書陵部 鷹593

  • 三五要録@宮内庁書陵部 伏931

  • 懐中譜@東京国立博物館 和1368

  • 竜笛要録譜@宮内庁書陵部 鷹609

11 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:酒胡子 壱越調

 


前世紀、英国の音楽学者Dr. Laurence Pickenによって日本の雅楽が本来のテンポの4-16倍遅く演奏されているという指摘が行われた。


例えばこの動画では東京芸大の小泉文夫教授の模範演奏を16倍の速さに再生することで本来の楽曲の旋律を聞くことができている。これは非常におもしろい。

宮中の雅楽は平安時代末期に戦乱の世になり、廃れてしまった。秀吉がその復興を支援し始め、家光の頃に完成したものが現在も続いている雅楽である。しかしながら復興に際しては奈良、大阪、京都から楽人を呼び寄せても誰一人として楽曲の元の姿を知る者がおらず、復曲は分担して、それぞれに伝承されているものをつぎはぎして行われたようである。

おそらくこの折りに古譜は読まれたであろうが、同時に演奏してもそろって綺麗に聞こえないし、譜面通りに演奏しようとしても竜笛などは高い演奏能力が必要なのでできなかったかもしれない。

そこで技術がつたない楽人でも演奏できるように古譜をベースにしつつも高い演奏能力を必要としないオーケストレーションが考え出されたということではないだろうか。

ここのところ古譜を読んでいてDTMでそれを再現させている。古譜にある通りに演奏させ、それを合奏させてもたいしておもしろくない。箏の譜面は簡素で美しい。これをユニゾンで演奏する方がまだ楽しめる。即興演奏ができた奏者の演奏で、聴衆も耳が肥えた人達ならば即興演奏が組み込まれていた方が断然おもしろい。


明治以降、政府は宮内庁の雅楽の演奏を権威を感じさせるように荘厳に響かそうとテンポを遅くすることを度々要請していたらしい。

原曲の味わいを感じられず、楽しくもない音楽と演奏の保存に税金がつぎ込まれているのである。まったくもってバカバカしい。

雅楽曲は中華風歌謡曲やインドの仏教系楽劇の曲、東南アジアから伝わったり、朝鮮半島の国々の音楽、そして日本で作られた曲の集成である。現在の大陸の国家は中国であるが、文化大革命によって古い伝統を遺す書籍は焼かれてしまった。雅楽は残っていない。

日本には古譜がたくさん残っている。古譜には雅楽の生き生きとした姿を見ることができる。現行のおかしな雅楽は改めるべきと思う。


参考文献

  • 仁智要録@宮内庁書陵部 鷹593

  • 三五要録@宮内庁書陵部 伏931

  • 懐中譜@東京国立博物館 和1368

  • 壱越調曲譜@宮内庁書陵部 伏824

10 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:扶南 平調

 

詳しい説明は研楽庵にある。

房中楽。

短い作品なので繰り返しを多くした。琵琶、笛、篳篥の古譜には即興、もしくは変奏の例が書かれている様子。箏は旋律の原型が書かれている様子。

平調、E dorianであるが、箏の左手の技法で派生音が作り出されている。雅楽の時代は機能和声がなかったので旋法に基づいた変奏、味わいがあったのだろう。機能和声に慣れた耳と頭には分かりづらい。

Source

  • 仁智要録@宮内庁書陵部 鷹593
  • 三五要録@宮内庁書陵部 伏931
  • 懐中譜@東京国立博物館 和1368
  • 竜笛要録譜@宮内庁書陵部 鷹609

9 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:還城楽(見蛇楽)乞食調

 


譜面の記号の読み違えに気づいたので修正して再アップロードした。

伎楽の迦楼羅の代曲として用いられた。

Eを主音とする調には平調、太食調、乞食調がある。平調はDorian、太食調、乞食調はMixolydian。

パーカッション以外のパートは全て古譜に基づいている。テーマは箏の譜から取っている。テーマは派生音を用いてメロディが構成されている箇所もあり、おもしろい。先の承和楽といい、先人たちは派生音を用いるブルース的な感覚を楽しんだのであろうか?

独奏部分は即興演奏として構成している。動画のなかで全ての即興演奏が同じに演奏されている箇所を設けているが、それだけ聞いていても何となくテーマを推測できる程度で混雑していて聞いていても楽しくない。

Jazzのコンボのように構成したので、最後に再びテーマが演奏される。古譜の説明によると7回繰り返して演奏されたとある。この動画でも7回繰り返している。

古代に大乗仏教が隆盛し、仏教布教のための音楽劇が作られ、大陸で流行した。その中の一曲がこれではないかという説がある。

参考文献

  • 仁智要録@宮内庁書陵部 鷹593

  • 三五要録@宮内庁書陵部 伏931

  • 懐中譜@東京国立博物館 和1368

  • 竜笛要録譜@宮内庁書陵部 鷹609

  • 楽家録

7 Sept 2020

雅楽の古譜を読む:承和楽 壱越調

 


834-847承和年間に日本人によって作曲された雅楽曲。

伎楽の酔胡の代曲として用いられるとある。その際は笛と打楽器だけで演奏されると思う。

仁智要録と三五要録には2曲づつ収録されている。それらはペアになっている様子。

仁智要録の旋律が原型と思われる。この動画ではそれをテーマとして他の楽器でもユニゾンで演奏している。もちろん其々の楽器の音域に合わせて上げ下げした。

各楽器の独奏の部分は其々の古譜に基づいている。この内最も読み難いのが竜笛譜だった。用いた龍笛譜には拍が付されていなかったし、譜字の量が多く、旋律が単純に変形、装飾されたものには見えなかった。篳篥もそうだが同音反復が幾つも見られるのでタンギングが用いられていたと思う。龍笛には前打音もあり、由のテンポは琵琶より倍速いと思われる。かなりの技量が必要とされたことがわかる。即興演奏を記録したものでFree Jazzのように元のメロディーを頭の中で鳴らしながら、自由に即興するという手法に見える。当然機能和声に基づいていない。

懐中譜には拍が付されていたが、小拍子の方は位置がいい加減で正しいと仮定できなかったので箏の旋律と対象させて音を配置した。龍笛にはこの手法が通用しなかった箇所が圧倒的に多かった。

仁智要録の信頼性はすこぶる高い。三五要録もなかなか信頼できるが時に一拍子余分だったりする。

この曲は古くは6回繰り返して演奏され、平安後期には4回、略す時は2回と説明されている。今回の動画では6回繰り返しにして、最初と最後に箏の旋律をテーマとして演奏し、その間に各楽器の独奏を入れた。

Youtubeには熱田神宮の承和楽の動画があるが、全然違う。

宮中の雅楽は平安時代の後の戦乱の時代に断絶してしまい、秀吉から家光までかかって復興した。それが現代の宮内庁に続く雅楽で熱田神宮のもそうと思われる。明治以降政府が雅楽の演奏が荘厳に聞こえるようゆっくり演奏するように再三求めたので現在は4〜16倍遅く演奏されている。これはDr. Laurence Pickenによって1960年代(?)に指摘されていたのだが、今もって現代の雅楽は下の魅力が分からないほどゆっくり演奏されているわけだ。研究者の間では唐代の大陸中華圏の歌謡曲風の旋律が基本になっているのを確かめている人達がいる。

現在の雅楽のオーケストレーションには一定の法則性があり、古譜に基づいて再作曲されているようである。それ故古譜通りに演奏させたものと大きく異なる。

古代中華圏で流行った歌謡曲を基にしていてもその魅力が全く失われるようなオーケストレーションとテンポ設定で演奏されている現状の雅楽はハッタリ。そんなもの要らない。社会悪と思う。

参考文献

  • 雅楽ー古楽譜の解読 林謙三 東洋音楽選書1969
  • 仁智要録 鷹593
  • 三五要録 伏931
  • 懐中譜 和1368
  • 壱越調曲譜 伏824

4 Sept 2020

Nexus 5 のバッテリー交換2回目

 


AmazonでWL JUST STOREより2017年12月29日に購入した交換用電池。交換用の道具とセットになっていたもの。

2020年の9月4日までに突然シャットダウンするようになっていたので再び交換。電池が膨れていたので記録しておく。電池としてはもった方と思う。

Nexux 5は本体のマイクが機能しなくなってから、イヤホンマイクで使用している。OSを入れ替えて使うのがおもしろいのでalternative romがあるものを選んでいる。電池交換はネットに情報がある。

交換の際ボディーが少し割れて欠けてしまったのが残念だがケースに入れていれば大きな問題はないと思う。

3 Sept 2020

日本の女帝と伊勢神宮の祭神

 伊勢神宮のweb siteより引用

"伊勢市の中心部、高倉山を背にして鎮まります豊受大神宮とようけだいじんぐうは、豊受大御神とようけのおおみかみをお祀りしています。豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神みけつかみであり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。"

これに対応する日本の女性天皇はいるのか?

Wikipediaで順に見ていくといきなりぴったりの人物が見つかった。

554-628 推古 額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと、『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命という)。炊屋姫尊とも称される。

摂政に聖徳太子をおいた。

伊勢神宮内宮のweb siteの説明では天照が祭神で日本書紀の天孫降臨の話しが出てくる。
高天原から瓊瓊杵をつかわせた。朝鮮半島にあった高天原を引き払って九州へ移住する話し思える。

朝鮮半島にあった倭国の領土は任那(- 562)、加羅(414-)

三国史の魏書東夷伝倭人条では倭国の北限が狗邪韓国とある。この国が加羅では?広開土王の碑では391に倭が朝鮮を攻め、百済新羅を臣民としていたことがある。加羅は鉄の産出地だった。

5c、倭の五王が中華帝国宋に対して朝鮮半島の武力統治権を認めてももらおうとしていた。(宋書)

神宮皇后の三韓征伐を考えると内宮は神宮皇后を祭っているか?しかし彼女の和名 気長足姫(おきながたらしひめ)からは天照を連想できない。
彼女と当時の天皇の子の応仁天皇は筑紫で生まれた。

Wikipediaによると”応神天皇は後に男系断絶した仁徳天皇皇統と現在まで続く継体天皇皇統の共通の男系祖先である。そのため後世に皇祖神として奉られることになった。”とある。和名は誉田天皇で”天皇”が用いられているのが変。

王年代記というのが宋へ献上されたと宋史にある。楽に国中高麗の2つがあったとある。これは左方楽右方楽か。

天之御中主から23代は筑紫の日向宮に居た。19代目が天照。18代目が素戔烏、17代目が伊弉諾。神武が大和州橿原宮に移ったのが周代の設定なので古さは今の皇紀。
殷は長らく伝説と思われていたので周にしたか?中華帝国と同じ位長い歴史があると設定したかったか?

卑弥呼の話しは出てこない。

元々は宮中で祭っていたものを伊勢神宮へ移した。崇神が恐れを抱いたからという。

日本書紀では御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)とも書かれていて、初代天皇とも受け取れる。3世紀頃の実在性がある。即位して万世一系を謳った。じゃこれ以前は?


参考資料

2 Sept 2020

獅子舞は倭国の時からある。

獅子舞は伎楽に含まれていた。日本書紀では612年に百済経由で日本に入ってきたことになっている。この時代まだ日本は倭国だった。

新羅本紀と新唐書では670に日本に改めたことになっている。この時は天智が皇太子として実権を握っていた。

593-628 推古(外宮に祭られてる人?)

612 百済より伎楽伝来

629-641 舒明

642-645 皇極

645 乙巳の変(ここから天智帝が政治しきる)

645-654 孝徳

655-661 斉明(皇極の2回目)

663 白村江の戦い

668-672 天智(ここで天智が即位)

670 国号を日本に改称(新羅本紀)

673-686 天武

690-697 持統

697-707 文武

703 粟田真人が唐に朝貢(旧唐書)

707-715 元明


648に新羅の遣唐使に託けて唐に文を出した時は倭。


魏史倭人伝では日本については書かれていない。

倭は古くは100余国、交流のあるところは30国。

対海国 1000戸

一大国 3000戸

末盧国 4000戸

伊都国 1000戸

奴国 2万戸

不弥国 1000戸

投馬国 5万戸

邪馬台国 7万戸

邪馬台より北に多数の国がありそれが女王の勢力範囲とされている。刺青で貫頭衣。国々に市があって物々交換している。大倭がこれを監視している。


この市場を監視している大倭。倭を倭と書けば大和(やまと)になる。国々に市があったので国々に大倭がいたと思われる。監視する位だから武力があったはず。

対馬に1000戸妻を3人子供3人老夫妻2人とすれば1戸6人、6000人。現在の対馬は32000人。
この人口で米を作っていても足らないので米を仕入れに他国へ行く。生産量はかなり低いのか。

倭から魏には生口と呼ばれる奴隷を献上していた。これは奴隷制があったことを意味している。


旧唐書では倭国と日本の両方について述べられている。

倭国は古の倭奴国のことである。50余国が服属していた。王の姓は阿毎氏。冠位12階があった。東西5ヶ月南北3ヶ月の旅程。賎人は貫頭衣、貴人は新羅の服装に似ている。

703の遣唐使の前に日本について述べている。

  • 倭国が国号を変えた。
  • 日本は倭国の別種で古くは小国だったが倭国を併合した。
日本の使者は尊大で誠実に答えないので怪しいと書かれている。

新唐書では倭は日本にまとめられている。
日本は古の倭奴国。王の姓が阿毎氏。
600 はじめて中華帝国に通じたとある。この時の王が多利思比古で用明とされている。
670 に国名を日本とした。歴代天皇が次々と上げられていて、女帝もいる。32代までは筑紫にいて神武か大和州へ移ったとある。大和州は本州のことか。

600以前から中華帝国に通じていたはずだが。。
日本書紀は日本側の歴史を主軸にしたものか。九州一体の邪馬台国勢力を取り込んでその歴史を神話にしたか。神話にしたのは倭国が存在した記憶を消し去り、旧倭国勢力を取り込んで中央集権制を継続させるための権威を作り出すためだったか。古に小国だった日本はどのあたりにあったのだろうか?刺青の習慣がないところだったのか?

612に伝来した伎楽の一部の獅子舞が四天王寺に今もある。教訓抄によると平安時代末期にはすでに宮中の獅子舞と異なっていたものだった。このところ伎楽譜を読んでいるが、宮内庁書陵部の伏1170と仁智要録12巻ではぜんぜん違う。

参考文献


Gigaku from Tenkanraku-hoka-Gigakufu @ Kunaicho-Shoryobu


Authentically, Gigaku was played with short flute, percussion and small symbal. This one is arranged for Biwa which is traditional lute. It has some notes for flute, too.

This one was researched by Kenzo Hayashi.

It has 9 short pieces. The order is different to the other one.

  1. Shishi / 師子
    This one is Lion dance. The music is very different to local lion dance in Mie prefecture.
  2. Gokou / 呉公
    Gokou means the king of ancient Go dynasty. The dynasty had buddhism.
  3. Kongou / 金剛
    This is one of the savers of buddhism.
  4. Karura / 迦楼羅
    Bird monster.
  5. Konron / 崑崙
    Slave of african. The ancient china used slave at least in 9c.
  6. Rikishi / 力士
    This is the other of the savers of buddhism.
  7. Baramon / 婆羅門
    Brahman. In the ancient India, This religion dominated people.
  8. Taiko / 大弧
    Old man who believe buddhism
  9. Suiko / 酔胡
    Drunken King and its subbordinate in west asia.
The surviving music score belongs to Kunaicho-Shoryobu. The number is 伏1170.