18 Jul 2023

DNAでルーツを調べる

Haplo3.0というY遺伝子も調べるサービスを購入した。14900円。

2023/07/18 今日届いたので、今日サンプルを送った。
サンプルはだ液。

1ヶ月程で結果が分かるとのこと。

2023/07/24 検査試料受領のメールが届いた。

2023/08/09 メールで検査完了のお知らせが届いた。

97% 日本人
3% カンボジア人

ヤポネシア人のゲノム解析 斎藤成也 図3にカンボジア人の集合がある。カンボジア人の方がヤマト人より縄文人に近いとのこと。縄文人の出自に東南アジアを考慮すべきとある。

母方B4b1南方系 日本人に占める割合は9.1%。現在では、特に東京と宮崎で多く検出される。台湾、フィリピン、太平洋島嶼を中心に分布している。ハワイの先住民の9割以上はこの系統(Wikipediaより)

父方D1a2 日本人の約32%[4] - 39%[5]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[6]もこれに属する。ハプログループD1a2aは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている。
日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や沖縄に多い。

青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%
アイヌ:87.5%

(Wikipediaより)

縄文人の遺伝子型はGeneLifeの平均より63%少い。ネアンデルタール人の方は21%少い。

遺伝子から見つかった遺伝的つながりのある人は3人。いずれも近隣の県なので父方ではないと思われる。

14900円でわかったことはほとんど全く役に立たない。



先々月から戸籍を取り寄せて、家系を調べている。曾祖父は私生児だった。つまりそこから僕まで苗字とは異なるY染色体が受け継がれているということが分かった。今となっては曾祖父の父を探す手がかりが無い。
曾祖父の母の苗字を名乗っているので、その苗字を調べたところ、戸籍で逆昇れたのは山形県飽海那遊佐町比子青塚140番地だった。現在はない。
この近くに秋田県湯沢市柳田があり、鎌倉〜江戸まで柳田氏の居城があった。仙北小野寺氏の重臣であった。小野寺氏は鎌倉初期に賴朝から湯沢一帯を任せられ、栃木県栃木市から出てきた。
①栃木県には柳田氏が多いので、湯沢の柳田城主は栃木から小野寺氏に付いていったのかもしれない。それ故重臣であったか。
②西馬音内城は小野寺氏摘流の三男が城主になり、西馬音内茂道と名乗っていた。湯沢柳田の地名の由来は田園地帯の中心に大きな柳があり村名の柳田となったとある。つまり柳田城主は苗字を村名に合わせて書いたか?
1600柳田城主治平道定は最上勢の侵攻により自決したらしい。領民男子は城に入り応援隊となっていた。最上勢10,000に対し、柳田軍500人の内486人殺された。城内の女子供は家臣の妻と子と思われる。これも虐殺された。殱滅戦だった。領民の女子供と老人は、域に入らず、領地へ避難していた。領主の息子2人は吉祥完に隠まわれ、京都へ逃げた。弟は出家し、兄は名を変えて江戸で仕官した。柳田軍の兵は遊佐町比子青塚まで逃げ、そこで定住した。この子孫が明治に北海道へ渡りり、私生児を産んで僕までつながっている。
遊佐町青塚の現地伝承ではそこの柳田姓は先の戦いから落ち延びた人の血筋とのこと。半農半漁で極貧だったと現地の人から聞いた。家紋は丸に三つ柏。江戸期に多くの庶民も使いだした紋。栃木の柳田姓は家紋が異なる。