3 Jul 2023

秦氏

秦氏は、古代中華帝国秦の血を引く人達で283に百済から日本に渡来してきたと考えられている。辰韓諸国を統治する王は百済の月支国の王族が務めていた。辰韓には秦からの亡命者が住んでいた。半島東側は元々養蚕が行われていた。

古代朝鮮南部に辰国があった。

隋書に「筑紫の東に秦王国があり、その習俗が中華と同じ」と書かれている。
この秦王国は紀記では言及されていない。

653 遣唐使として隋へ行った粟田真人は、学があって、態度も良かった。
倭より小国だった日本が倭を併合し、文化レベルを当時の大国に比肩する位まで高めることができたのは、秦王国の影響があるからでは?

秦氏は稲荷神社を創健。ここでも御霊会が行われている。
氏神は木島坐天照御魂神社。天神を祭るのは半島の習俗。支配者は天界の神が地下に降りてきた子孫と考えるのはツングース系。

上宮王家は聖徳太子の系統。ここに仕えていたらしい。山背大兄王子で絶えたので、それ以前から日本に居たことになる。

冠位12階は聖徳太子の偉業になっているが、隋と接触していた倭国にあった。その都は筑紫。

邪馬台国は伊都国に一大率を置いて九州北部を治めさせていた。この大率は百済の役職。つまり邪馬台国は百済の影響下にあった。
百済の王族は高句麗の系統で、元は扶余の系統。

日本の支配層は後代に渡来した大陸人では?
出雲は天孫族より前からいるが、これも黒龍江辺りからの渡来。継体帝から日本の天皇やってる。天孫族は互いに争って王と王子が絶えたらしい。とすると今の天皇は天孫族ではない人達。そして苗字がない。新羅では一般人には苗字がなかった。今の天皇とは国家という船の持衰として担がれた人の系統なのでは?

蝦夷とは、国譲りで敗戦したタケミナカタが諏訪に逃げて建てた第2出雲王朝の系統ではないか。だから大和から攻撃され続けたのでは?

天孫族は他国を侵略する人達。出雲系は民に推されて統治者となった人達。
古代半島で言うと、温和な扶余と攻撃的な高句麗というところか。