26 May 2020

現代人のゲノムから過去を知る。

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

東大の研究発表。

縄文〜弥生(2500年前)の変わり目に急激な人口減少とV字回復、人口增加があった。
寒冷化により食料供給できなかったからか。
弥生人がもたらした水田稲作によって回復したか。

日本人はY染色体は7系統。
1:YAP D1b 日本人のみ持つ。周辺国にない。縄文由来。韓国にもない。
2:周辺国に広く見られる。ベトナム、中国(ダイ族)に多い。
3:中華 漢民族に多く見られる。

ダイ族はタイ人ラオス人ではない。雲南辺り。前漢に敵対していた。

12500年前の縄文期にも急に人口が増え、1万年程高止まっていた。

〇稲作の始まり
①プラントオパールの分析では約6000年前に長江流域ではジャポニカ米が栽培されていた。
②鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出された。

〇陸稲栽培の可能性
岡山の朝寝鼻貝塚から約6000年前のプラントオパールが見つかった。
南溝手遺跡からは約3500年前の籾の痕がついた土器が見つかった。

〇水田稲作の可能性
近年の炭素14年代測定法により約3000年前(前10世紀後半頃)から開始された。

〇まとめ
陸稲裁培は12500年前頃から始まり、水稲裁培は2500年前頃から始った。
水稲裁培前には人口の急激な減少があった。寒冷化で食糧を確保するため激しい戦になって人口激減とも考えられる。そこへ渡来人が入り込み、水稲を裁培し、地域に根付いたのでは?

現代日本人には大陸系Y染色体も多く含まれている。一度に渡ってきた渡来人は少数だが、総数は多いのでは?渡来時期が分かれていたのでは?

長江下流の民は人口が增えて新展地を求めていたのでは?

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BC5000~BC4500 河姆渡文化 長江下流 呉越の代表的文化。最古の稲作。同型の土笛が出雲辺りからも出土している。
7000年から5000年前までは海面は低い位置で安定。5000年から3900年前には頻繁に氾濫。高床式住居あった。

BC1096~BC475 呉。倭はかつて呉の太伯の子孫と言っていた。

BC2000~BC306 越。長江下流域。

BC771~BC206 秦。北九州豊前豊後辺りに秦王国あったらしい。

ににぎ=にぎにぎしい、にぎやか