日本の天狗の源流は、チベットの羌族じゃないかという話。
古代中華帝国:唐の宴会用の舞楽を描いた「信西古楽図」という本がある。国会図書館デジタルコレクションで見れる。
その中に「案弓字」という絵がある。
象の鼻を引っ掛けるところが上下逆にして、長い柄を取り付ければ案弓字の持っている武器になる。
Ankusを持っている兵士に「案弓字」という字を当てたのではないだろうか。
この「案弓字」の舞人は、古代中華帝国:唐の立部伎の「安楽」の舞人ではないだろうか。旧唐書には次の様に書かれている。
旧唐書巻29 志第9 音楽2
《安樂》者,後周武帝平齊所作也。行列方正,象城郭,周世謂之城舞。舞者八十人。刻木為面,狗喙獸耳,以金飾之,垂線為發,畫猰皮帽。舞蹈姿制,猶作羌胡狀。《太平樂》,亦謂之五方師子舞。師子鷙獸,出於西南夷天竺、師子等國。綴毛為之,人居其中,像其俯仰馴狎之容。二人持繩秉拂,為習弄之狀。五師子各立其方色。百四十人歌《太平樂》,舞以足,持繩者服飾作昆侖象。
北周の武帝(在位560-578)が作らせたのが「安楽」という曲である。これは北周が北斉を攻めて勝利したので、作らせたと説明されているが、その戦争よりも前に吐谷渾を攻めて勝利した時に作られたものだろう。平定された側の音楽文化を取り込んで、宴会用の舞楽を作るのが、古代中華帝国のやり方だから。
吐谷渾は、北周と同じ鮮卑系の国だが、王族が鮮卑系なだけで、民衆は羌族だった。その羌族は、鼻が高く彫りが深く、赤ら顔(高山地帯の特徴)であった。その高地に象は生息していないが、仏教の影響は早くからうけており、Ankusが武器として伝わっていたと思われる。案弓字は、吐谷渾の羌族の兵士達だっただろう。
古代のチベット系の民族には、顔を赤く塗るという習慣があった。これは高山地帯のスキンケアだったと思われる。土着の宗教であるボン教に取り込まれて、鬼を払うための化粧とされた。これが後期密教にも取り込まれ、ブータンやチベットの仏教の祭りで進行役を努めるアツァラ(Atsara)が、大きな鼻を持つ朱色の仮面を付けるようになったのだろう。日本の獅子舞の獅子頭が朱色をしているのも、この古代チベット系民族のスキンケアのための化粧がボン教に取り込まれ、仏教にも取り込まれた結果だろう。
現在のチベットにはスノーライオンの獅子舞があるが、その全身毛だらけの姿と、音楽の特徴から、古代中華帝国:唐の時代の獅子舞を逆輸入したものと思う。
日本神道の国津神の代表である猿田彦は、天狗の容貌で描かれている。これは720年に成立した日本書紀の天孫降臨の場面で、猿田彦が天狗の姿で描かれているからである。712年に成立した古事記では、太陽神の様に描かれており、天狗の姿をしていない。これらが成立したのは612年に百済から仏教系仮面音楽劇:の伎楽が、伝来し、大寺院に伝承されて供養会で舞われ、盛況だった時代に成立した。その伎楽の行道(舞台までの練り歩き)は、鼻の長い朱色の面をつけたインド人仏教僧役の治道によって先導されていた。これに擬えて日本書紀の天孫降臨が描かれ、猿田彦が治道(天狗)の容貌で描かれたのである。天武天皇が仏教を政治の先導役にすることを正当化するため、暗に仄めかすためにそう描かせたのかもしれないし、インド人仏教僧によって皇室が導かれたことから、皇統の正当化を補強したのかもしれない。
猿田彦が天狗の容貌で描かれるようになったのは、720年の日本書紀以降だろう。元々は天狗じゃない。天狗の源流は612年伝来の伎楽のインド人仏教僧の治道だから、天狗は仏教が世相を批判する時のキャラクターとしても使われた。
地元の獅子舞の研究を始めてから、鼻高面をつける役:口取りの源流をインド人仏教僧の治道としてきた。その長い鼻の特徴は、アーリア系インド人の高い鼻が由来かと思っていたが、実は羌族の特徴かもしれない。
地元の獅子舞には、道化舞というのがあって、「ちゃり」と呼ばれる役が登場する。これは阿闍梨の略で密教の僧である。獅子舞の本拠地である神社の神宮寺や別当寺は、真言宗系と天台宗系に分けられ、密教の影響が強かったことがわかる。日本に伝来していたのは中期密教であるが、密教の僧である阿闍梨がおもしろおかしいことをするのは、中期密教にもあった伝統なのかもしれない。チベット仏教は後期密教であり、ブータンのアツァラはおもしろおかしく演じられる。

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