24 Jun 2023

桓檀古記

朝鮮の民族史ということになっている。内容が神話になっている。

三神五帝本紀
蘇塗の立つは、皆戒有り。忠、孝、信、勇、仁の五常の道なり。蘇塗の側に必ずけい堂を立て、未婚の子弟をして事物を講習せしむ。蓋し読書、習射、馳馬、礼節、歌楽、挙摶(金刃術の類なり)の六芸の類なるべし。






三韓管境本紀
「〜乃ち大日王、天を祭るの所なり。」
中略
熊女の君、天王の信ずる所と為り、世襲して斐西岬の王倹と為る。

桓雄天王、日本では天皇としたか。
辰韓は天王(王検)自ら為めた。

高句麗
夫餘王に世継ぎがいないので、朱蒙が養子になって高句麗が始った。

高句麗国本紀 第6
〜任那はもと対馬島の西北界に在り。北は海を阻てて治むるところ有り。国尾城と曰ラ。東西に各々墟落有りて、或いは責し、或いは叛く。後、対馬の二島、遂に任那の制する所と為る。故にこれより任那は乃ち対馬の全称となる。
古くより、仇州と対馬は乃ち三韓分治の地にして、もと倭人世居せる地に非ず。
任那又分かれて三加羅と為る。謂う所の加羅とは首邑の称なり。これより三汗相争い、歳久しく解けず。佐護加羅は新羅に属し、仁位加羅は高句麗に属し、鶏知加羅は百済に属すはこれなり。
永楽10年、三加羅尽く我に帰す。これより海陸の諸倭、悉く任那に統ず。



大震国本紀
668 唐が高句麗を滅す。669王の子が渤海に逃れ、大震国を建国。聖武帝に遣使。

「〜依羅、衆数千を率い、海を越え、遂に倭人を定めて王と為る」と。
日本旧くは伊国に有り。亦伊勢と曰い、倭と同隣す。伊都国は筑紫に在りて亦即ち日向国なり。これより以東、倭に属す。その南東は安羅に属す。安羅はもと忽本(北扶余)の人なり。
北に阿蘇山有り。安羅、後に任那に入る。高句麗と早己親を定む。
末盧国の南を大隅国と曰う。始羅郡有り。もと南沃沮人の聚る所なり。
中略
時に倭人、分かれて山島に拠り、各々百有余国有り。その中狗邪韓国最大にして、もと狗邪本国人の治むる所なり。
中略
始め一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。方400余里なるべし。又一海を渡り、千余里にして一岐国に至る。方300里なるべし。もと斯爾岐国なり。子多の諸島、皆貢ず。又一海を渡る。千余里にして末盧国に至る。もと把婁人の聚まる所なり。東南に陸行すること500里にして伊都国に至る。乃ち盤余彦の古邑なり。