9 Jun 2025

大木神社 石薬師

 神社検索 延喜式神社調査より


《主》天照大神 ー> 神明信仰 お伊勢さん

《配》大国主命 ー> 金比羅権現 or 出雲信仰 or 大黒さま

瀬織津姫神 ー> 祓い清めの神 鈴鹿権現

日本武尊 ー> 大鳥信仰

《合》須佐之男命 ー> 牛頭天王

天児屋根命 ー> 春日信仰 藤原氏の祖神

大鷦鷯命 ー> 若宮八幡

火迦具土 ー> 秋葉信仰

保食神 ー> 神明信仰 お伊勢さん

玉幸稲荷神社 ー> 稲荷信仰

大山砥神 ー> 山の神

蒲冠者範頼 ー> 御曹子神社 源頼朝の弟、武道、学問の願望成就

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1615-1624(元和)河曲郡高富村字船塚から一村が移住し、1624-1644(寛永)に神社も遷座した。

以下延喜式神社調査より

江戸時代は「大日」と称していた。

境内社に稻荷社・賽神・山神がある。

本来は大木を信仰対象としていただろう。

8 Jun 2025

ピアノ練習:ショパン エチュード25-5

冒頭からはペダル無しで、1拍毎切れ気味に弾く。
冒頭のテーマに戻ってからは、旋律線をテヌート気味に弾く。小指の連続でもらしく聞こえる。中間部はペダルをより少なく踏む。
冒頭のテーマに戻ってからはペダル無し。

6 Jun 2025

亀山の獅子舞 三寺

 亀山市史 民俗編 三寺町の獅子舞

田茂町の獅子舞は三寺から習ったということである。

本(半)濫觴という曲がある。おそらく「だんちょ」のことだろう。

お湯立ては「籾種の発芽を促す浸水の湯」ということになっており、山本流、稲生流、箕田流のお湯立てとは異なる様である。

田植えの演目がある。

高砂という燃料用に松の落ち葉を集める演目がある。

鉄砲撃ちという演目はトリモチで鳥を獲る内容である。

獅子頭は椿神社の椿の木から作られた「伊勢の十二唐(頭)」の1頭であると伝えられている。

三寺から田茂町と坂下に伝承された。


万治年間(一六五八~一六六一)の縁起に奄芸郡稲生社の三年に一度の大祭に昼生、三寺の石神社より獅子頭を出すと伝えている。

江戸時代前半に稲生の大祭に参加していたらしい。

 古い獅子頭は、漆が塗られず白木のままで、鎌倉時代以前のものと伝えられている。

鎌倉時代は、箕田流が立ち上げられた時期らしい。

鉾が先導するので御霊会の獅子舞だろう。

獅子頭には角があり、雄とされている。角のある獅子頭は伊奈冨神社にも保存されている。

刀の舞は郡山流にある。

「だんじょ」という曲があるが 濫觴と同じ曲ではないか。


亀山の獅子舞 田茂町

亀山市史民俗 祭礼・芸能 獅子舞で獅子舞について書かれている。

興味深いのは田茂町の田植えの演目。

口取りが1斗升に入った水に笹の葉を浸して回りに水をまく「水浴び」という演目がある。

これは御湯立てが変化したものではないか。

田植えは稲生流に残っている。

田仕事をまねた所作をする場面もある。後舞と口取の二人が手拭いを頭にかぶり、野道具を使って、筵の上で行う。鍬を持って田に向かい、田をおこす作業。キセルに火をつけて向かい合っての休憩。田植えには苗に見立てた松葉を束にして使う。田植えが終わるとサナブリの祝いで、口取がまな板に載った鯛(木製の作り物)を人数分指折り数えて切って振舞う。草取りや田の見回りなどが行われた後、後舞が一人で小さな獅子を回す。次は後舞の鳥打ちで、松の木が傍らに立てられ、鳥に扮した後舞が筵の上を飛び回る。棒で鳥を追いたて、太鼓の音に合わせて鳥を撃ち取る。最後に稲刈りが行われる。

稲生流には子獅子と鳥打ちが無い。

山本流には鳥差しがあり、田茂町の鳥打ちと同じと思われる。

箕田流には田植えを伝承している地域は無い。子獅子は庄野にある。


獅子舞行事も終盤を迎える頃、集落中央の辻で、ダンジョの舞が行われる。この辻は以前、灯籠(ヤトウさん)が立っていたところで、七つの場所(春日八幡神社跡、亀山神社、鶏足山、冨士山さん、伊勢神宮、シャクト山、セタ山)に向かって、礼をする。御先さんも、それぞれの方向に鉾をたてる。 神楽のときには、口取、後舞は、ちゃんぎりを鳴らす。衣付の舞、納めの舞には口取は猿田彦面を付ける。

「ダンジョ」という曲名は稲生流、箕田流に多く使用されている。鉾を用いるのは御霊会の獅子舞だからと考えられる。神楽でチャンギリ(銅拍子)が用いられるのは、箕田流と同じ。

口取りが付ける面を猿田彦としているのは、主に稲生流と山本流である。

由来は1880(明治13)からとされており、箕田又は、三寺の獅子舞と関係があるものと思われる。

4 Jun 2025

復元された古事記を国会図書館デジタルコレクションで見る

 前波仲尾著「復元された古事記」は古事記がシュメール語とテュルク語で解読できるという内容の本。

昭和17年に出版しようとしたが、不敬罪で捕まる恐れから出版しなかった。1988(昭和63)に復刻されている。

国会図書館の検索では出てくるが、デジタルコレクションで読めなかったので、遠隔コピー(pdf)を頼んでいたら、謝絶だった。しかしデジタルコレクションの個人送信サービスで読めた。

猿田彦がどのように描かれているが興味があった。

p.127から猿田彦が登場する。下記の原文の意味は漢字とは全く異なっている。

居天八街            ザチマ(薩摩)国

上光高天原        〜を煽動して

下蘆原中國            同じ族類を

                    暴略して回った


以下、該当箇所を読んで、自分なりに現代文にした。

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1つの種族が複数の都市国家を建設している蘆原中國に王を派遣し、全ての都市国家を臣下とするという天神に対し、その王の息の根をとめてやる!と猿田(Sard テュルク族)は息巻いた。

ザチマ国を煽動して、同じ種族を暴略してまわったことに土豪達は狂い立った。

天神と高木は、売春婦でもある歌舞女に命令する。

「お前は、女に飢えている男に取り入って言いなりにしてしまえる女だ。色事を仕掛けて誑し込め!」

歌舞女は出かけて行き、「ここに住み着き、我が皇子の邪魔をしに来るのは誰だ!」と問うた時、

「我は土豪の猿田(Sard)。我が國に皇子を王として下らせるという決定をしきりに聞き及ぶ。皇子を取り囲んで叩きのめすのは止めさせるから、条約を結ぼう。」

若い歌舞女は裾をはだけて、肉付きの良い性器を露わにし、まぐわうために王に近寄った。(この部分は古事記には無く、日本書紀にある)

(天神と高木)「歌舞女よ、たらし込み、攻撃を止めさせたその才能に感謝する。猿田に仕え、色事し、絞め殺せ。その後釜に、お前を領主としてやろう。そして猿女(Sarma)と名乗れ。」

それで、表向きには猿田と恋愛関係になり、同棲し、飾りの釣り紐で死力を尽くして、吊るし、死刑に処した。争い騒ぎ、鈴が音を立てて、最後に息の根を止めた。


全聴衆である「黒」に対して(歌舞女)「猿田を絞め殺した。(お前達は)移動するか、それとも殺されるか?」

「天神の皇子と呼ぶ統治者を追い出すか、(自分たちが)立ち退くか?」

多数の諸部族はその申し出に我慢し、引き下がった。「黒」は返答しなかった。

歌舞女は「黒」に言った。

「この黒は答えない」

小刀を以って、「黒」を脅迫した。

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日本語として読むよりも現実的な描写になっている。著者が使用したスメル語、テュルク語辞書とはどんなものだったのか?

「黒」がナマコ。吉川「シュメール語辞書データベース」では「nigin」に対する訳語がたくさんあり過ぎる。シュメール語には同音異義語が大量にあるらしい。

万葉仮名の当時の読み方は復元されているようなので、それに基づいてシュメール語を探すことが現在はできる。

自分の実力では全く検証できない。

Sardをアッカド帝国のサルゴン王とする説とは合わない。

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2 Jun 2025

近所のスーパーに並んでる国産原材料のみそ

米が国産のものは幾つもあるが、大豆が国産のものは1つしかなかった。値段は高め。
有機大豆(遺伝子組み換えでない)は国産とは表示していない。


30 May 2025

湯立て神楽

三重県北勢地区を中心に広く伝承されている獅子舞には御湯立て、湯の花という演目がある。
これは釜で沸かした湯に笹を突っ込み、湯を観衆にかけて、祓い清めとする呪術の類である。伊勢神宮外宮の御師の家で行われていたものが、御師によって日本全国に広められたらしい。国会図書館デジタルコレクションの伊勢参宮名所図会に神楽の絵が収録されているものがある。

その絵中の説明を読みたいのだが、完全に読めない。

他の神社のように神前弾く神楽と呼ばず、太々(だいだい)神楽と呼んでいる。

御師の家に神前を構え神楽役人を集めて行っていた。神楽職の外、かつて知られる事はなかった。両宮には伝わり、旧記には書かれていない。内待所の御神楽を模したとも言われている。
当時は太々神楽と呼ばれていた。

太神楽には伊勢太神楽と呼ばれる獅子舞が三重県にある。信長に負けた滋賀の六角左々木が落ちのびて、山本流獅子舞を習って始めたものである。獅子舞は仏教由来。

太々神楽は愛知県にあり、獅子舞ではなく、神職と巫女が舞っている。

湯立ては静岡県の高根白山神社に伝承される古代神楽では、修験道を治めた者によってのみ執り行われるものとされている。
地域によって仏教や修験道に取り込まれた様だ。
伊勢御師はこれを良しとしていたのは、獅子舞の回檀で伊勢神宮のお礼を配っていたので、ここにビジネスが成立していたからではないか。獅子舞役の代表者が、回檀の収益でお伊勢参りを送っている例が今もまだある。伊勢参りの目的は主に古市遊廓での精進下ろしだっただろう。