17 Aug 2021

聖徳太子は何者か

 この聖徳太子の詔によって仏教の供養に舞楽が用いられた。その舞楽が伎楽と思われる。

Wikipedia:多利思比孤

隋書に記されている。記紀には出てこない。

600と607に遣隋使を初めて送ったのは、倭国王阿毎多利思比狐で、その親書が”日出處天子致書日沒處天子無恙云云”。仏教に熱心。

冠位12階を定めたのも多利子比孤の業績。兄弟で統治していた。やまとに住んでいて、噴火している阿蘇山があって筑紫の東には秦王国(中華人と同じ)があった。筑紫から東は全て倭。筑紫までは倭じゃないのか?

新唐書では多利思比孤を用明帝としている。


Wikipedia: 欽明天皇(539-571)用明の父。和名:天国排開広庭(あめくにおしはらきひろにわ)

Wikipedia: 敏達天皇(572-585)廃仏派。

Wikipedia: 用明天皇(585-587)和名:橘豊日天皇

用明帝は仏教を重んじて仏教隆盛の元を作った。2年しか在位していない。遣隋使は用明の在位中ではないので多利思比孤は用明ではない。(新唐書は誤り)子供は男子が4人いた(聖徳太子 和名:豊聡耳(574-622)を含む)。

Wikipedia: 崇峻天皇(587-592)蘇我馬子に擁立されるが、後に東漢磐井の子東漢駒(やまとのあやのこま)に殺される。東漢氏渡来系。倭漢氏とも書く。後漢霊帝の子孫(?)を標榜。

Wikipedia: 推古天皇(593-628)多利思比孤が遣隋使を送った年代に合う天皇。女性。和名が豊御食炊屋姫尊。外宮の祭神?豊浦の宮に住む。これは北九州が目と鼻の先の本州側。浦は入江だから奈良ではない。小墾田宮(橿原神宮近く)を造営して居を移した。これが遷都の始まりで、多利思比孤も奈良へ移ったか?

Wikipedia: 倭の六県:馬子が推古から貰い受けようと要求した奈良盆地の大王直轄地。

多利思比孤は倭国王なのだが、推古帝の摂政の聖徳太子として書かれている。九州王朝の王だったが王族としての身分を保証することを条件に本州の王朝に合流したのでは。こうして倭国の政治体制の近代化がなされたか。

Wikipedia: 遣隋使 600-618 日本という名称が使用されるのは遣唐使(630-894)からなので倭国として行っている。推古帝は倭国の女王か。

620 聖徳太子と馬子が『天皇記』『国記』を編纂し献上。

622 太子49歳で死去(574-622)

626 馬子死去(551-626)

Wikipedia:舒明天皇(629-641)和名:息長足日広額 蝦夷によって擁立

Wikipedia:皇極天皇(642-645)和名:天豊財重日足姫 次の天皇が決まらなかったので舒明の皇后が続投。

蘇我氏の傍流が山背大兄を擁立したが、本流の入鹿は蘇我系の古人大兄皇子を擁立し、皇位継承において邪魔になる山背大兄とその一族の住む斑鳩宮を攻めた。結果山背大兄とその一族は自決(643)。

645 乙巳の変 中大兄皇子 (和名:天命開別)らが入鹿を殺害。蝦夷自害。

Wikipedia:孝徳天皇(645-654)(和名:天万豊日) 中大兄(妻は倭姫王)が擁立。自身が皇太子となって有力勢力を一掃。

654 孝徳病死

Wikipedia:斉明天皇(655-661)

661 斉明死亡

663 百済復興のため筑紫に移り白村江で戦うが敗戦。

667 近江大津宮へ遷都

672 病死?

壬申の乱で大海人が勝利し、即位。

Wikipedia:天武天皇(673-686)和名:天渟中原瀛真人 飛鳥浄御原宮造営。記紀の編纂。

国号を日本に変更。天皇号を使用し始めた。


近畿の朝廷を大和朝廷と読んだり、邪馬台国があったりするのは首都を”やまと”と呼ぶ倭人の習慣ではないのか。


大王が近畿と九州を行き来きしているのがおもしろい。


天皇の万世一系は嘘ではないか。倭の諸国が連合し、それぞれの国から適格者を大王として擁立していたのでは。卑弥呼もかつて九州倭国30国の王として擁立された。

天皇皇后の和風諡号には出身母体のヒントが残っている場合があり、豊の字が入っているのは九州王朝なのではないか?天地と天武は自分で和風諡号を変えたのではないか?

多利思比孤は九州王朝”倭”の王で本州勢力に加わったのだが、次の代には一族が滅ぼされた。

中大兄皇子は九州倭国に対してその王の一族を滅ぼしてしまったことを償うため、入鹿を討ち、豊の字を持つ孝徳を皇位につけ、自身は皇太子の地位に身を置いて政務をこなしたのでは?

天武は九州側と本州側の皇位争いに決別して中華的に武力によって皇位についた。中華狂いだったのでは。彼の作った歴史書が今も用いられて影響力を発揮している。


九州北部の寺が移築されたという説。

九州災害履歴情報データベース

679 福岡熊本長崎 地震

684 大分 地震

742 鹿児島 地震

744 肥後 地震

746 鹿児島宮崎 洪水

766 鹿児島 地震

788 鹿児島 噴火地震

867 熊本 噴火地震

870 熊本 地震

874 鹿児島 噴火

887 宮崎 地震津波

1172 長崎県 土砂災害

1271 熊本 地震 火山

16 Aug 2021

雅楽の古譜を読む:阿夜岐利 高麗壱越調 2

 ”あやぎり”と読む。

日本の雅楽の右方楽に分類されている曲。

以前に記事に書いた。

雅楽の古譜を読む:阿夜岐利 高麗壱越調

Youtubeでアルファベットで検索してみたらインドの音楽が引っかかってきた。

AyagiriとかAigiriとか綴っている。

”Ayagiri Nandini”と歌い始まるこの曲。

踊りがついているのもある。


これとは別の動画で冒頭が拍子のない序奏のように奏でられているのもあった。

雅楽の阿夜岐利は女面をつけて舞う。右方楽には仏教系の舞曲と思われるものが幾つもある。左方楽にもあってそれらは林邑楽といってヴェトナム辺りにあったチャンパという国からもたらされた。752の大仏開眼供養で演奏された。

阿夜伎利は能の女舞の面に引き継がれ、さらにはおかめひょっとこのおかめの面になったと考えられている。
その元がヴィシュヌ神を讃えるインドのラップ(声明)だったとは。。確定ではないが。

ヴィシュヌ神は仏教を守護する神とされているらしい。原始仏典では見たことない名前だ。

聖徳太子が”諸仏の供養に楽を用いよ”と詔したのは、インドの宗教の習慣の影響なのか。

現代のインド映画でもダンスは欠かせない要素らしい。

実におもしろい。

Youtubeに現代の雅楽の綾切があった。

2倍速再生にしてもまだまだ遅いと思う。少なくとも4倍必要なのでは。現代の雅楽は明治にアレンジされたもの。テンポは政府が再三にわたってゆっくり演奏するよう要請したため超遅い。荘厳に聞こえるようにして国の権威を上げたかったらしい。

そんなハッタリ止めてほしい。科学教育やってるのに国家財政でまかなわれてる雅楽がハッタリってどういうことだ!!

僕が古譜を読んで適当なテンポを設定したもの。


オリジナルと思われるインドのとは随分違っている。ずっと旋律が音楽的。

雅楽の古譜を読む:柳花苑 双調

 ”りゅうかえん”と読む。

鎌倉時代に書かれた音楽書教訓抄によると元は”柳花怨”と書いていたとある。この曲をG Ionianで演奏すると呪っているような感じがしないでもない。


笙という楽器は1つの音毎に対応する管がある。つまり出せる音があらかじめ決まっている。

笙で出せる音にはFがない。したがって双調というGを主音にする調の音階はG IonianかG Lydianになる。
2021年9月6日 G Mixolydianも可能性がある。笙でF#を使わないという手もある。明るい調だろうから、G Dorianはない。

現代の長調短調のように明るい音階と暗い音階が雅楽にもある。それらは西洋音楽の教会旋法と同じ音階構成なので、それを用いて表すことができる。
  • 明るい調:MixolydianとLydian
  • 暗い調:はDorian
Mixolydianは長調の音階の第7音が半音下がっている。Gを主音とすればFが用いられていることになる。
笙にはFはないが、F#はある。そこでG MixolydianのFをF#に変更するとG Ionianになる。これは現在の長調の音階と同じ。しかしながら雅楽の理論には長調の音階はない。Gを主音としてF#を持っている調を検討するとG Lydianになる。
これはG major scale = Ionianの第4音を半音上げた音階。Natural CがC#になる。笙はこの音を持っている。したがって双調はG Lydianと想定できる。

今回読んだ曲の琵琶譜はG Lydianで書かれている。しかし途中に短いがNatural Cが用いられている。
一方で笙の譜はG Ionianで書かれている。

残りの笛たちは音程を操作できるし、箏も左手で弦を押したり、摘んで浮かせたりして音程を操作できる。のでこれらの譜から双調の音階を正確に想定できない。よって音階を正確に推定できるのは琵琶譜と笙譜からだけである。
その2つの譜が異なる調性で書かれている。
それぞれを聞き比べてみるために作ったのが次の動画。


まず琵琶譜通りにG Lydianベースの音階で。
次に笙譜通りにG Ionianの音階で。

次に楽拍子バージョンで。

G Ionianでの演奏は暗い感じがする。これが”柳花怨”と書いた理由だろうか?
G Lydianでの演奏は終始明るい感じがする。

この曲には舞がついており、女性が舞う。国会図書館のデジタルコレクションに信西古楽図があり、その14ページに絵が掲載されている。その絵からは”怨”を表すようには見えない。


双調には他にもう1曲ある。春庭楽。この曲についても以前に記事を書いた。


この記事では双調をG Ionianではないかと考えている。
そして今回の記事ではG Lydianではないかと。しかし春庭楽をLydianで聞いてみるとおかしい。

双調はCとC#をどちらも含んでいる調なのか。


結局のところ琵琶譜の音階がしっくりくる。

横笛や篳篥はNatural CをC#、GをG#にすることを示す記号がない。
これは箏も同じで深く押して全音上げることを示す記号がない。

テンポはDr. Laurence Pickenの研究に従って、現在よりも少なくとも4倍速く設定している。
アンサンブルを精密にするために四分音符を4分割してカウントするという手法が、雅楽では歴史的に勘違いされて、少なくとも4倍遅いテンポになってしまったように見える。

演奏のセンスがあれば、すぐ気づくと思うのだが、少なくとも明治以降このテンポの問題が改善されないまま続いている。バカだね。

15 Aug 2021

獲加多支鹵大王と彫り込まれている鉄剣

 Youtubeの妄想歴史探索で興味深い点があった。

【ゆっくり解説】空白の150年 倭の五王の正体とは⁉


埼玉県の稲荷山古墳から出土したもの鉄剣に文字が彫り込まれていた。その文字の中に”獲加多支鹵大王”とあった。

熊本県玉名郡和水町江田船山古墳から出土した鉄剣にも同じ文字があった。

これをワカタケル大王と読んで雄略天皇に比定する説が有力。

5世紀後半にワカタケル大王の権力が九州から東国まで及んでいたと考えられている。


上の動画では、8:46百済の蓋鹵王(455-475)ではないかと言っている。見慣れない漢字は当てはまる。

この王を最後に高句麗に攻められていったん百済は滅亡したと考えられている。


倭の五王によると武の外交記録は478-502で蓋鹵王が死んだ後。これでは当人とは言えない。

この時代の倭王が漢字一文字の名を使っているのがおもしろい。中華名でも国王の名を漢字一文字で表すことがあるのだろうか?

大陸から移住してきた団体が集団で反乱するということがしばしばあったらしい。それでそれらの団体を分割して地方にバラバラに住まわせるということをした。

この鉄剣を持つ百済系のグループは分割されて、九州と埼玉に住まわされたのではないか。他国の人とはいえ、高貴な身分だったので武器を奪わなかったとか。


九州王朝説が興味深いので動画を見ている。考古学的事実として九州北部に古い寺の跡(基礎)がたくさんあるが、建物が発掘されていない。これらの建物が近畿へ移されたという説。

これの変なところは九州から大規模に近畿へ移住したのだが、記紀にはそれが書かれていないところ。


邪馬台国の刺青文化と南方の中華国呉の刺青の習慣がおもしろい。また卑弥呼の墓は殉葬されたらしい。鬼道は当時の大陸にもあった。

稲作は6000年前に岡山で行われていたらしい。

水稲は1100年前から始まった。

長江下流の河姆渡文化(5000-4500)では水稲を栽培してた。ここから出土する土笛が弥生時代末期の北九州ー出雲ー能登あたりから100個位出土している。

長江下流の呉はB.C.585-B.C.473。倭人はこの国の太伯の子孫と言っている。全身に刺青。

越B.C.600-B.C.306。銅の精錬技術高い。上半身刺青。

倭人の絵が残っている。職貢図という。6世紀に描かれた。倭人の服装は肌の露出多いし、貫頭衣じゃない。説明文は魏志倭人伝のそれらしい。

九州王朝は中華人を含んでいたのではないか。だから漢字一文字の中華っぽい名前を使うグループもいた。一方で卑弥呼とか倭名を使うグループもいた。邪馬台国は倭人の小国を30国ほどまとめた連合国だったわけだから、考えられる。

大陸のような国同士の戦争が日本でも行われていたのは当然と思う。中華人が移住してきていたのだから。

飛鳥ー奈良時代の遷都

古代の歴史に興味がある。612 or 620に伎楽が伝来している。これに獅子舞が含まれている。その頃の情勢がどんなものだったか。

古田武彦氏の九州王朝説がなかなかおもしろい。この系統の福永晋三氏の説もおもしろい。

日本の天皇が万世一系で直系男子にだけ受け継がれてきたものではない可能性を指摘している。王年代記に”神功天皇”とあったり、紀氏がでてくるのもおもしろい。

平安京以降は明治の東京遷都まで変わらないのだが、それ以前の遷都がめまぐるしいのを思い出した。

遷都変遷年表

ネットに年表あった。飛鳥ー奈良時代の遷都が半端ない。国政に関わる人もたくさんいただろうから、勤務する場所は大きかっただろうし、その近くに住んでいただろう。

頻繁に都市が移っていて国政などまともにできるのだろうか?

平安京以後は福原京程度。平清盛が実権を握っていた時のもの。こういう感じで実権を握ったものが自分の本拠地を築いて遷都していたのではないのか。

宮都の変遷

古代都市の地図でみてみると飛鳥諸宮と藤原京、平安京と長岡京、難波宮と3つに分かれているように見える。平城京はそれらから等距離にある。


九州王朝から近畿王朝へ代わったところがよくわからない。九州で疫病が流行ったという記事が書いてあるらしいが、その後北九州の仏閣が移築されたところが書かれていない。

10 Aug 2021

雅楽の古譜を読む:皇帝破陣楽 壱越調

 ”おうだいはじんらく”と読む。

”こうてい”は漢音で”おうだい”が呉音らしい。しかし呉程古くないらしい。


団乱旋がNatural Cの代わりにC#を使っていたので、これも純な壱越調ではないかと勘ぐっていたが、純な壱越調でした。


以外にご機嫌な曲。しかし変則的に拍子が代わる箇所がある。”皇帝”とタイトルに付くからといって荘厳な曲想という感じがない。


これは他の曲においても同じ。
皇帝の威厳を高めるとかそんな感じがほとんどない。

日本は明治に雅楽を改造して、政府がテンポを落として荘厳に聞こえるようにと何度も要請して今みたいなつまらない音楽になってしまった。退屈で聞いてられない。

日本には幸いにして古い楽譜が残っている。江戸時代に写されたものがある。それらを読んで明治の編曲以前の雅楽の姿がどんなものだったのかを知るのがこのプロジェクトである。

読めそうな楽譜はだいたい読んだ。

現状のつまらない雅楽を止めて、ご機嫌だった頃の雅楽に戻ってはどうか。

実力のない空威張りの空虚な響きなど、屑過ぎて聞いていられない。そんなものに何の魅力があるだろうか。


7 Aug 2021

雅楽の古譜を読む:団乱旋

 ”とらんでん”

この曲は序が数回繰り替えされる。その序が一定の拍子がある部分+一定の拍子がない部分(通常の序)で構成されているのが珍しい。

この曲は壱越調に属している。その調で読んで音源にしたのが下の動画。

D Mixolydian / 壱越調

以前に読んだ時は琵琶の譜の調性に合わせていたのでD Lydianだった。

今回は笙の譜面を読んだ。それはD Mixolydianで書かれていた。

壱越調はD Mixolydian。この曲はその調に属するのでD Mixolydianで演奏されるハズ。

今回の動画ではD Mixolydianで演奏させている。冒頭と入破が特におかしいと思う。Natural Cに違和感がある。旋律旋がスムーズでないし。

C#に変更すると聞きやすくなる。特に入破の前半部分。CとC#を交互に使いわける曲なのではないだろうか?

そういった例として喜春楽がある。


CとC#を使い分けたりして実験してみた結果、C#を専ら使ってD Ionianで演奏させると明るい曲調が全体的に維持されることがわかった。

D Ionian


この曲を最初に読んだ時は、琵琶がD Lydian / 沙陀調で書かれていたので、D Lydianで音源を作っていた。

D Lydian

この団乱旋という曲は元は中華曲ではないのでは?
タイトルも中華曲っぽくないし。仕立て直したものか?
壱越調の大曲の2曲目が壱越調から外れているのは意外だった。日本の雅楽の調性は中華の学理にのっとっているが、伝来して残存し、まとめられるまで残った楽曲はその中華の学理で作られたものだけではなかったということか。