7 Jul 2025

俗楽問答 下 第二 楽

 江戸時代の老中:松平定信(1759-1829)が、当時の雅楽について書いた「俗学問答」という著作がある。国会図書館のデジタルコレクションにある楽翁公遺書 中巻に含まれている。

当時の雅楽の有り様が批判されている。当時の雅楽についての描写が現代の雅楽と同じなのがおもしろい。

現代の雅楽は豊臣秀吉の頃から復興されたものが伝承されている。この復興してからの雅楽の演奏が、「楽本来の意義を失わせ、無用のものにしてしまったのです。」と批判されている。

俗楽問答 下から第二 楽の大意をGoogleのAI:Geminiに現代語訳してもらった。

第二 楽の大意

音楽(楽)の根本的な意味については、今さら改めて言うまでもないことです。

冒頭でも述べましたが、今の楽は「俗楽」というべきものであり、尊重すべきものである以上、たとえ「俗調」であっても今の俗調と同じだと考えてはなりません。実際、人々の心を和ませ、善い心を起こさせる効果は少なくありません。

しかし、その楽の本来の意義に人々が疎いため、楽というものは、身分の高い人が好むもので、俗っぽい人々は嫌うものだと心得ている連中が多く、それは嘆かわしいことです。

そう言う考えから、楽を「尊いもの」にしようとして、節奏を無視してただ単に引き伸ばしたり吹いたりし、鞨鼓(かっこ)や太鼓、舞までもが拍子に合うのを「野暮だ」とし、箏(こと)なども左手を用いることでこそ本来の音に合うはずなのに、今ではそれも省いて、いかにも面白くないものを「高尚で古風だ」と心得ているため、俗っぽい人々はただ眠くなるばかりです。器楽を、暇な人が楽しむものとして、このようにしてしまったのは、高く評価しようとした結果、かえって楽本来の意義を失わせ、無用のものにしてしまったのです。

これらはすべて、世の中が堕落した時代になり、管弦音楽をひたすら専門的なものと扱うようになってしまったことの弊害です。

かの俗楽は、本来、民間や町中でも、祭りや行事の際に人々が集まって演奏すべきものでした。実際に昔は、神官や社人(しゃじん)がいるような神社には、楽器がすべて備えられていて、舞い演奏されていたのです。

人々を鼓舞し、善い心を呼び起こして、邪悪な心を遠ざけるのが本来の目的であるはずなのに、今のように雲の上の高尚な楽器とばかりなり、伶人(れいじん、演奏者)たちが(世間から)遠ざかったようになってしまったのも、楽が衰退した証であり、無益なものだと言われても仕方ありません。

さて、また今の人は、「昔のこと」といえば、とても退屈で味気なく、面白くないものを「昔風」だと思う者がいます。それは一体何から来ているのでしょう。もしかして、あの太古の穴居時代のことなどを指して言っているのでしょうか。

昔、文化が開けていた時代は、今の世の中のようではありませんでした。物を作る技術の巧妙さに至るまで、精緻さを極めており、今の職人の技が到底及ぶものではありませんでした。

晋や唐の時代に書かれた書道の、詳しくて(洗練された)書法が、宋の時代以降になると、(以前の)法則を破って粗雑になったのと同じように、織物なども、今の織物師が計画しても到底及ばないようなものを作り残していたのです。

また、何も知らない者が仏像などを見て、刀の痕がそのまま残っていて粗く削って作ったものを「非常に高尚で古風なものだ」などと言うことがあります。

かの鳥絵師(仏像や絵画などを制作する職人)たちが作ったものは、あくまでも一生の力を一つの仏像に込めて刻んだとしても、その肉の部分には土を塗って形を整え、その上に布を貼って固め、箔(はく)を置いたものもよく見られます。その精神性から、物事すべてに生涯の力を込めて行ったので、**不思議な感応(奇跡的な出来事や霊的な力)**も起こったのです。

音楽が拍子にうまく合っていて、何も知らない人でも面白く思えるように舞を披露すると、今の時代の人はそれを見て「(洗練されていない)俗っぽい、技巧に凝りすぎた舞だ」と言う。

俗楽であれば、元々手の込んだ、技巧的なものであるはずなのに、今の横笛などの旋律が細やかであるのは、昔からの伝統であるので、誰も特に気づきませんが、これら(現代の音楽)は非常に技巧的で、昔の俗楽が伝えてきたものであるはずです。それなのに、打楽器や舞などが退屈で、拍子に合わないようにするのは、昔の事情を知らず、太古の穴居時代を「昔」と指すような、とんでもない考えから来ているのでしょう。

世の中は堕落している時代だとはいえ、安元(あんげん)の頃に、楽舎(がくしゃ)の柱に螺鈿(らでん)細工を施し、楽舎の屋根の上に白銀の鶴を作り置き、舞の装束にも玉を縫い付けていたことなど、昔には実際にあったことなのだが、あの「昔」という言葉を聞いて、太古の質素で素朴な状態を指していると思う人は、きっと驚くことだろう。

考えてみれば、もし(伝統的な楽を)現代風にしてしまうならば、それは音楽本来の趣旨から外れ、花や月を愛でる風流な心や、静かでゆったりとした振る舞いの仲立ちとなるどころか、かえって無用のものとなってしまい、尊重すべきものではなくなってしまうだろう。


以下が原文。読み易さを考慮して、漢字に置き換えられる部分は漢字に置き換えた。

原文:

第二 楽の大意

楽の大意は、今新にに言うべきにも及ばず侍るなり。

初めにも言う、今の楽は俗楽にて侍れば、尊ぶべきことなれば、俗調とても今の俗調に類すべきにあらず。

実に人心を和し、善心をおこし侍る功少なからず。

然るにその楽の本意に暗く侍れば、楽てふものはうちあがりし人の好むものにて、俗輩は嫌うものと心得る輩多く侍るぞ嘆かしき。

さなむいう心から、尊くしなさんとして、節奏なくただに引きのばし吹きなし、鞨鼓、太鼓、舞までも拍子に合うを野とし、箏なんども左手用いるにてこそ合うめれ、今はそれも省きて、いかにもおもしろからぬを、高古と心得、俗輩は只眠を生じ侍る、器物として閑逸の人の為す、この様に為したるは高くせむとして、却て楽の本意を失い、無用のものとは為しにけり。

皆くだりたる世、管弦音楽を専らとせしよりの費なりけり。

かの俗楽のことなれば、民間市井にても日まち月まちにも打ちより、楽奏すべきことにて、己に古は神官社人あるほどの社には、楽器皆備わりて舞い奏でしなり。  

鼓舞善心を興起して、邪辟の心を遠くるの本意なれば、今のごとく雲上の器とのみなりて、伶人らがもののようになりしも衰えたる印にて、無益のものとやいわまじ。

さて又今の人、古の事といえば、いと練るけて味い薄く、おもしろからぬを古の振りと思う者あり。何より出でしことにや。かの太古穴居の時なんどをさして言いけるにや。

古へ文化開けたるは今の世の類にはあらず。物の巧に至るまで精密をこめたる今の巧の及ぶべきにはあらず。

晋唐の書法の細しきを宋後に至りて法を破りて粗になしし類織物なんども、今の折師の企て及び難きことを為し置きけり。

又も何知らぬ者が仏像等見て刀痕のままにて粗く削りなしたるは、いと高古の物なり等いう。

かの鳥絵師等の作りたるは、あくまでも一生の力を一仏に込め刻みても、その肉の所には土を以って塗り付け、上へ布着せて固め、箔置きたるもままあることなり。その心柄物事にみな生涯の力を込めて為ししにぞ、感応不思議もありけり。

楽の良くものの拍子にも合いて、何知らぬ者もおもしろく思ゆる様に舞い為せば、今時の人見ては俗気の繁手のと言う。

俗楽なれば元より繁手なるべきものにて、今の横笛などの手の細やかなるは、昔よりの事にて侍れば、何とも人々心付かず侍れども、これらはいとも繁手なる物にて、古の俗楽の伝えし物なれば、打ち物舞い等ぬるけて、拍子に合い侍らざる様にと為すは、かの古の事知らで、太古穴居の頃を古とさす類の心より出でしなるべし。

下りたる世なれど、安元の頃楽のわく屋の柱を螺鈿にして、わく屋の上へ白銀の鶴を作り置き、舞いの装束にも玉を綴りし事など、昔ありしが、彼の古と言えば、太古の質朴を指せていう人は驚きぬべし。

返す返すも今様に為しては、楽の本意にもあらず、花月風流の仲立ち、閑逸の所作となれば、もと無用の物となりて、尊むべきものにあらず。