16 Aug 2019

出雲、通典

参照先
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/masakisi/amater25.html

http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/soushi/frame/soushi_frame_yomi.htm

宋史 日本国伝
楽に国中・高麗の二部有り。

984 の時点で国振りと中華曲、高麗楽に分けられていた。

王を姓としていた。この時点までで64代。
古事記の神々は王てして九州在住 筑紫日向宮 だった。
約23代 初代 天御中主、2代目以後は名た尊をつける。略 伊弉諾尊、素戔烏尊、天照大神尊
男神と考えると天照にも奥さんいたか?天照に大が付くから国譲り(ゆすり?)っぽいことしたのか?

神武から大和州橿原(奈良)へ引越した。橿原は大規模稲作ができた。移民受入地だったのでは?移民のリーダーからスタートしたのかも。高貴じゃなかった。欠史八代はこれといって何もしてない下級クラスだったのでは。

仲衰、神功、応神は扱いが異なる。
鎮国香椎大神、太奈良良姫大神、ハ蕃菩薩とされた。足姫は開化の孫とある。次が大臣紀武内。大王じやない人が書かれてる。

欽明又は天国排開広庭。11に百済より仏教伝わった。

用明の子が聖徳太子。ここから出てくるのか。隋に遣いを出した。法華経欲しかった。物部、蘇我は九州王朝の大臣だったのか。仏典を求めたことが書かれている大王が散見する。天智、天武についてはコメント無。聖武の女が孝明と野姫。
北陸、関東~九州までまとまって日本国と言えるようになったのは984頃の事か。

東大寺の話でてくる。

通典
参照先
http://home.p07.itscom.net/strmdrf/kyusyu_ref01.htm

樂有五絃・琴・笛。
多利思比古辺りの話。600頃。五絃は五弦琵琶か。

裴世清が行った筑紫の東の秦王国とは?
鳴鼓角來迎。太鼓と角笛?

多利思比古が対等を主張する手紙を書いたのは仏法を学んでいたからで、それ故皇帝だからといって遠慮しなかった。仏陀は王の家来ではないし、身分に貴賤なし。もちろん国際情勢を読んでいた。
仏教を学ぶことで科学的見方ができるようになった多利思比古の功績を日本側がぱくった。仏教側から見れば、仏教を布教し仏教国家に染め上げ、僧の優位な国を作る(かつてインドで仏教が衰退したし、インドでは対抗宗教が多かった。)という大乗仏教(宗教化した仏教)の仏教国樹立作戦に倭がかかったわけである。中央アジア、中国西域、中華、朝鮮と仏教教化は進行していた。日本は仏教の目覚ましい効果に注目し、仏教を取り入れ学ぼうとした。これを進めたのが蘇我氏で、対立したのが物部氏。言い換えると日本中華化をしようとしていた蘇我対保守物部。日本は新羅の文化を主に取り入れていた。
仏教を信奉した者が成した功積を宣伝するため聖徳太子という超人伝説が作り上げられた。記紀ではあからさまに仏教の功績を書かず、実際には権力者を取り込んでいた。藤原氏には興福寺があり、神道を従えるために春日大社もあった。
百済系仏教の鎌足の戦略は新羅系仏教の蘇我氏から権力を奮い天智に組して百済を救うことだったが白村江で大敗した。
中央権力から外されたが、仏教系の疲来の家なので中国語を学び、中華の国作りを学べる環境にあった。古事記は国史のたたき台であり、完成後、不比等監修の元皇子逹の協力を経て完成させた。
目的は、日本の大王の権威の正当性を作り上げ、王権を奮うための争いを亡くし、その功績で仏教国家化を進め、地位、生活を安定させることにあった。そのため全国の伝承を集め、組み合わせ、中華に対抗できるものを作った。
倭には史書があったが、中華国との国交の歴史は隷属の関係なので消したかった。中華皇帝の天命の概念を踏えるため、九州王朝を天界の話にすることにした。
日本の方の史書は初期はハッキリ書かれてなかった。欠史八代。
まあ繁いだ。
天皇家を万世ー系に見せることが中華国より優れた正統性を示すことにつながった。
つまり天智以後の天皇は血筋が繁るがそれより前は繁げた。既存の仏教勢力を切り離すため京を移した。
神武が築紫王朝の直系かは分からないし、天照が天御中主の直系か分からない。親せきかもしれない。
天皇を男系に限ることで外国人や民間人を天皇にならなくなる。これによって国民の日本国への帰属意識を強め、国家を近隣他国から守るため民主国家における合法的な世論統一が容易、確実、になる。
実際には国家防衛意識が薄く、社会的公正さの乏しい多数の国民が主権を持っているので、教育して教えるよりマインドコントロールした方が現実的だというところだろう。戦前、戦後でも国民が主権者として充分成長するまでは仕方がない。国家防衛は直ちに必要だからだ。

社会事体狂って見えるわけだ。マインドコントロールがメディアによっても感染する。取り締まる法がないので目覚めるチャンスがない。洗脳状態なので知的成長しにくい。ひどい話だ。


アテルイは東北の王朝の話か。

15 Aug 2019

神武東征

参照先
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jimukita/jimukita.html

九州日向の豪族の若者がなんらかの問題で国払いに処され、旅をして見聞したり、仕事を憶えたりしながら、暮らしてる内に奈良で稲作の大溝作地ができ移往者が集っているという話を聞いて、移住したというところの話ではないか。
九州築紫は朝鮮と公益もあり豊かだったが日向は稲作に適した土地が少なく人口増化に耐えられなかったのかもしれない。

大阪では追払われたが、和歌山回りで奈良へ着いた。朝鮮由来の鏡、ガラス璧等を持っており、文字も読書でき各地を見聞して知繊もあったし、祭祀に祥しかったので、奈良盆地の豪族の娘と婚姻し、田植の祭祀などやってた。又社交性が高かったので中裁とかもできた。
重宝され、他の豪族とも代々婚姻し、豪Y族逹の中で祭祀、交渉を行うものとして働いた。
欠史八代はこんな感じで地元の中で婚姻関係によって豪族同志も結びつき、いつのまにか親族が広まり、祭祀者としてあがめられていった。周辺国に息子達を派遣し、祭祀を伝へ嫁をもらって大和朝延の基礎を作っていき、日本国を作っていった。
主要なメンバーの話し合いで合義していて神武の子孫もそこへ加わっていた。国の祭祀を行う役でもあった。やがてリーダー格となって大王としての地位についたが、武力で大王になったのではなく祭祀と交渉力でなった。

九州王朝倭(築紫)が白村江で大負けして国力低下したところで、近畿大和政権に加わってもらった。中国との国交権をゆずってもらい、以後日本が中国に遣いを送るようになった。

師子資料

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai4/tikugoko.html

旧唐書、新唐書、三国志記

http://kamodoku.dee.cc/kutoujo.html
ここを参照した。

CGSの小名木さんの歴史で旧唐書が紹介されてた。
https://youtu.be/1AtMji1VLQg

ハッキリ書いてある。これが偽書?

倭国は元は倭奴国。金印の国。
631 朝貢。王の姓は阿毎氏。新羅にとてもよく似ている。聖徳太子の仏教の師は新羅出身。
九州北部(倭奴国)と新羅、九州南、西部と百済が結びついてたと解説がある。藤原、天智帝はこちら側なのか?

648 新羅に書を託して後連絡なし。


日本国。倭国の別種?元は小国だったが倭国を併合して倭から名を変えた。尊大で誠実でないので怪しい。
703 粟田真人 朝貢。気に入られる。
716 阿倍仲麻呂 朝貢。以後大陸にとどまり、重用される。日本側からのスパイかな。

804 空海入唐。

839 朝貢

唐の将軍 劉仁軌 伝

白村江の戰の話。書紀の631 舒明帝の時に百済から人質とった。舒明、天智は倭国の大王か。書紀は九州の大王の歴史を継いでいる!! 書紀では170舟が出かけて、旧唐書では400舟沈んだ。日本国はどうしてたのか?舟出してたのか?


629-641 舒明 息長足日広額天皇 "おきながたらしー'' は出身を表している?
642-645 皇極 天豊財重日足姫天皇 "たらし''が入ってる。
645-654 孝徳 天万豊日天皇
648を最後に倭国からの連絡なくなる。
655-661 斉明 天豊財重日足姫天皇 2回目。
668-672 天智 天命開別天皇
672 弘文 大友皇子 明治に天皇として列せられた。
673-686 天武 天渟中原瀛真人天皇 奥さん鸕野讃良皇女うのさん。後の持統。




古代に渡羅楽というのが伝わってきたのだが詳しく分からない。耽羅国ここから来たのでは?今の済州島。朝鮮から伝わった音楽が主に右方楽に分類されたのだが、新羅楽、百済楽、高麗楽、渤海楽とあって、今の右方楽を聞いても分類できない。能の女面や翁の源型と見られる舞楽が右方楽なのが興味深い。能管は中華曲用の龍笛に似るが少し小さく運指と音程がズレる。内径の構造のせいと思われるが、雅楽に用いられる楽器は調律されており、それらは明治より前まで民衆には公開されなかった。おそらく能管はわざと調律を狂わせたものを使うことを許されたのだろう。
地下楽家がそれをにぎっていたのではないか。貴族にできたであろうか。


新唐書
参照先
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/WAandNIPPON1.htm

日本は元は倭国。
その初めの王は天御中主。32代位まで筑紫に居た。尊を名に付ける。
その子が大和州を治めた。以後大和の天皇が続けてあげられる。
600 隋の頃に初めて中国と国交を持った。師升は?卑弥呼は?台与は?用明は多利思比古。阿毎氏。倭の五王は?
親から子へ継がっていく。
孝徳、天豊財、天智、天武、総持の辺りさらっと書いてある。
文武は先帝の子と書いてない。


三国史記
参照先
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/WAandNIPPON2.htm

670以降は日本。倭が日本と名を変えた。

539-571 欽明 任那日本府は日本の支配下。百済王に働きかけた天皇は実は倭王。
景行 九州王朝の発展史。武内宿禰は倭国の配下か。

14 Aug 2019

古代日本史

日本に資料がなくて大陸のを頼るしかない。
Wikipediaを参照し、先の先の家村和幸先生の動画より妄想を加えた。

西暦57 倭(九州)の小国奴国(儺県:なのあがた)は、実は日本の一地方地治体であったが中央に密して大陸漢王朝の支配下に入って勢力をつけようとしていた。漢は日本侵略の手先にしようと優遇した。

107 倭国王 帥升と名乗るものが漢へ朝貢した。九州が統一され、漢に認められるため連絡に行った。つまり奴国は配下になった又は滅びた。生口を俸げたとあるので奴隷制があった。

147-189
結局師升の九州統一は永続きせず、卑弥呼が登場するまで荒れる。

238(239)卑弥呼が魏に朝貢し、新魏倭王になる。朝鮮半島の国々とも国交あり。

248 邪馬台国VS狗奴国
卑弥呼死ぬ。

266 台与 晋に朝貢

289-413
謎。大陸と国交なし。

413 東晋 倭王讃
略。朝鮮半島での軍事権の承認
478 宋 倭王武 使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王
502 宋 倭王武 征夷大将軍

倭の五王の宋への朝貢
倭というから九州の国とすると中央に対する反逆か?書紀に書かれていないので中央からは認めたくないことか?
筑紫大宰の前身になるものがあって丸投げしてたか?大陸の権威を借りてた事実を消したいか?

600 阿毎多利思比古随に遣使
607

多利思比古は山門郡の者。つまり日本の地の内通者。記紀に書かれていない。
608 隋からの返遣として裴世清が訪れている。筑紫に至った後東へ進んだ。筑紫より東はすべて倭としている。
日出処の天子日没処の天子...の書を送ったのはこちら。新唐書では用明帝としているので、その和歌彌多弗利(わかんどおり、和漢通利?)は聖徳太子(厩戸皇子)等の皇子と考えられる。
後宮に600-700人の女性という規模から考えると大王クラスか。用明とした時皇子6人は多いのか。用明帝とするのは正しいか。山門郡の者とすると大王が内通者となるが。これ馬子じゃない? 馬子の弟は境部摩理勢。馬子が夜担当で摩理勢が昼?
蘇我氏は武内宿禰の系統。


書紀によると聖徳太子の活躍がある。
600 新羅征討
601 斑鳩宮を建てる。
602 新羅征討 筑紫に25000の軍を集めたが攻めなかった。
603 冠位12階制定。
604 17条憲法

607 小野妹子 遣隋使
608 裴世清が国書をもって来日。経路は隋書多利思比古のところと同じように見える。


585-587? 用明 皇子6人。
587-592? 崇竣
593-628 推古 女帝 豊御食炊屋姫 飯炊姉ちゃん。この人が外宮の祭神じゃないか?
内宮は天照だが女神としてのモデルは神功皇后とか。
馬子は大王にはなれなかったが王として裴世清に会ったのでは?この件で一段と反感をかって己乙の変になった。馬子の子は蝦夷。善徳はお坊さんになった。
稲目、馬子などの世代と用明の皇太子逹が協力して国作りにかなり貢献したのだが対立勢力が育ってしまって消されたとか。

藤原氏か。。

多利思比孤とか

先の家村さんの説から妄想した。

冠位十二階を取り入れていた倭国の王阿毎多利思北孤(あめのたりしひこ)は"あめの''から大王系で大陸にたらしこんだ位の意味になるか。つまり卑弥呼と同じで中央に密して大陸と通じ、大陸による日本侵略の手先になってた。中央から見れば反逆、消したい歴史。
中央の方は東てい国として漢に認識されていた国のことか。大陸の侵略計画から見れば九州倭国を調略、手先にするのが良いように見える。戦争ゲームのようでおもしろい。


倭の五王は倭ということから九州の王で、中央ではない。とすると九州は気長足姫の卑弥呼倒伐後も裏切りが続いていたと考えられる。
中央も大陸南朝に遣使していた。倭からの遣が途だえた時に九州は再度平定されたというところか。つまり九州という地域は元は中央の大王の政権の発生の地で、大陸との行き来が容易だった。大陸と通じて力を蓄え中央に対抗する勢力に進んでなろうとする、たぶらかされやすい、たらしこまれやすい地域だった。
後に大宰府がおかれたのは地元に任せておくと大陸にたらしこまれて反逆者次々にあらわれるので、中央の管割にしたというところか。つまり九州の人々は日本を守るには使えない人々だった。
邪馬台国は九州にあった。大陸に密通して日本侵略の手先になっていた。仕方なかっただろう。それ故中央も中華化を進めたのではないか。
人間の心は弱い、マインドコントロールされやすいということを知っておくべき。そしてされないように対抗手段を学ぶべきと思う。

13 Aug 2019

邪馬台国とか

古い音楽調べるの好きなので、ついでに歴史も学んでいる。

魏志倭人伝に書かれいる卑弥呼と邪馬台国は本筋ではなかったようだ。

https://youtu.be/xmaGVBBEjXU

家村和幸さんの説が興味深い。この人の神代の話は全くもってつまらないが、戦いがからんでくると途端に明僚になるので驚く。
邪馬台国=山門郡(九州)
卑弥呼=田油津姫
と説明されている。
田油津が''たぶらかす"に音が近い。
角のある甲をかぶった渡来人を都怒我阿羅斯等(ツヌガアルヒト)と呼んだり、真人の和名のつけ方等、当時のセンスがヒントになっているのでは。
日本書紀が日本史の正史として研究されていて神功皇后が卑弥呼を倒した。両者とも孫子兵法の熟読者かどうか。。。

九州の国々は日本の統治下の郡であった。邪馬台国の卑弥呼は中央政権に密して大陸と通じ、その影響力を駆使して周辺国を配下にし勢力を伸ばしていた。つまり大陸の日本侵略攻策が九州に広まっていた。
当時の中央の大王が妻を連れて遠征に出て九州を大陸の侵略から奪環しようとしたが、敵の戦略的攻撃によって戦死した。
連いてきた妻が旗頭となって卑弥呼を倒伐。邪馬台国の反逆、大陸の侵略から日本は守られた。

大陸の謀略による規暮の大きな内部反乱であった。他地域に反乱の気配を起させないよう書紀で小さく扱った。つまり大陸側に小事と思わせつつも釘を差したいので記述したというところか。

神功皇后=気長足姫(おきながたらしひめ)の功績なのか武内宿禰の忠心なのか。夫亡き後武内をたらしこんで子をはらんで味方にしたから侵略を防げたのか、日本は守られた。
中央は大王不在の間に政権がのっとられ、足姫とその子は邪馬(じゃま)になった。暗殺者からのがれつつ、子を産み育て中央へ返り咲くという筋か。
気長(きなが)に計画して生き延び、必要があれば男をたらしこんで味方にする。分かりやすい名前。つまりここで男系天皇が武内氏のDNA Y染色体に代わった。その後どうなったのか?男系にこだわってたら直系の誰かに後に戻ったのか?

宋書にある王年代紀にあるように九州は中央政権が誕生したところだった。その歴代の王の中に天照が居て、女神とは明記されていない。
卑弥呼は反逆者の首領(今でいえば左派のリーダー 〇んほうか)なので女性の天照のモデルにはしない。気長女姫はたらしだがよくやったと思う。やっぱ彼女か。

教科書には神功皇后の話はでてこない。代わりに卑弥呼。情報操作されてる。そして歴史は用語の記憶と年号の記憶で量られ、国防の歴史のストーリーは考えもしない。長年かけて洗脳しやすい人材を洗脳して育てる。素晴らしい手口だ。コミンテルン、GHQ、WIG、日本人派、赤い人達。命がけで戦わねばならぬっ!

大王の年齢が長過ぎるのは数代いたからか?すでに大家がたくさんあって持ち回りしてたのか?大陸側に記録がないところを延ばしたのか? 神っぽくみえるように?

家村さんによると魏志は偽書。魏が漢を継ぐ正統性を示すために漢書の記述を引き継いだ。明治にはあった説らしい。