30 May 2024

皇室はD系の縄文人だが、

日本、倭という国に成長していくために登用された人達は主に渡来人らしい。
DNAの分析から四国畿内を中心に渡来系が濃いことが分かっている。天皇の一族は、渡来人を頼り、その手腕を借りて国を富まし、拡大していったのだろう。渡来人のDNAの農い範囲が広いので、極わずかな渡来人を迎えて活用したのではなさそう。かなり多人数で渡ってきたか。それでも周王朝のN系は極わずかしか現存していないので彼らからは歴史をパクっただけか。
隋書に秦王国が筑紫の東にあったとあり、これは600年代には豊国にあり、すぐに四国へ移されたのではないか。四国は渡来系を住まわせるための隔離された島だったので、日本の歴史にはその中状について書かれなかっなのだろう。四国が繁栄してきたので、それを分断して全国に分けて住まわされ、それぞれの土地で産業の育成に努めさせられた。そうして地方が発展しだしてから、天皇に許可をもらって再び一族が集まって住み始めた。その土地と規模はどこか?