”このとの”
同じ旋律からできている曲の一群。元ネタは西王楽の破らしい。
4曲ある。
此殿之
此殿奥
鷹山
此殿
どれも些細な違いしかない。それらの差も書き漏らしかもしれない程度。
Memo about inline skates, bicycle, programing, study of japanese ancient music, ancient music of chinese tang dynasty
”いもがかど”と読む。
妹之門、青之馬、浅緑、蓆田は同じ旋律からできている。その元は夏引楽 破らしいが、器楽曲としては笛譜があるだけで、まだ復元していない。
この曲達のように同じ旋律からできていて、詩だけ異なる歌の群が催馬楽には他にもある。
まず蓆田(むしろだ)
”なんばのうみ”
大阪湾から筑紫津神社辺りまで淀川を船で上ることを歌っていると思われる。
筑紫津神社は高槻市にある。山崎は大阪市北区の山崎町か?梅田に近い。川を船で上るというのは相当大変だと思う。人力なのか風を利用したのか。
曲はかなりおもしろい。もっと大阪人のぎらぎらこてこての訛りの歌かと思いきやとても軽快。
こういうのを楽しんでいたのが平安貴族だったと知られるのはそんなに都合がわるいのか?
明治以来の公家の復権した状態を維持するために平安時代の貴族の文化を芸術的なものに見せたいのか?
”さくらびと”
催馬楽の一曲。名古屋市の指定無形文化財に登録されている。
それがこの動画。一部しか収録されていない。
同じ古譜を元にしているなら結果はもっと似るものと思う。全く異なる曲に聞こえるというのはどういうことなのか?
僕の音源は古譜に書かれているものをそのまま音にしている。器楽の部分は。歌は器楽の譜に書かれた歌詞から作っている。雅楽ではすべての旋律楽器はユニゾンで演奏するように書かれている。現在でもJazzの歌の譜はピアノの右手がその旋律を弾くように書かれている。
そこで催馬楽もユニゾンの旋律ではないかと仮定して歌の旋律を作っている。フレーズの長さは歌譜を参照している。しかしながら、歌譜と仁智、三五に書かれたフレーズの音を延ばす箇所が異なっていたりする。歌譜と仁智、三五は完全にリンクしているのだろうか?と言う疑問がある。
現代の雅楽は本当に古代に演奏されていたものを再現しているようには思えない。古譜にある音楽とは全く違うから。現代の雅楽の演奏家達はどう考えているのだろうか?宮内庁雅楽部もどう考えているのか?
現代の雅楽は明治に西洋の音楽の基本構造を取り入れて編曲されているもののように聞こえる。古譜には旋律楽器はすべてユニゾンで演奏されているのだが、現代の雅楽はそうではない。皇室ゆかりの古代からの伝統音楽を以って西洋列強に並ぶ日本の威信を示したかったのだろうか?それとも国内の一般人に開放された雅楽(江戸時代までは一般人は学ぶことはできなかった)を荘厳なものとして受け留めさせたかったのか?
どちらにしろ、マインドコントロールしようとしたのだろうし、現在もしているのだろう。日本という国家のやり口にも不誠実なところがある。それが現在の雅楽なのだ。
国会図書館のレファレンスで桜人について調査されていた。
名古屋市指定無形文化財である催馬楽「桜人」について知ることのできる資料はないか。
学者二人が既に他界しているので当事者にインタビューできない。清書した譜は市へ提供された。桜人保存会も譜を持っていて演奏団体へ貸出しているらしい。動画で演奏を聞いた限り明らかに仁智と三五にある譜とは異なるし、編曲されている節もある。
昭和30(1955)に名古屋で桜人譜の発見というのは事実なのか、捏造ではないのか?この曲は名古屋市の指定文化財となっているのだが、その認定の経緯ははっきりしていない。
2022/08/11 羽塚堅子氏の著作桜人考に書かれていた。
国文学研究資料館のDBでは桜人の譜が単独ではひっかっかてこない。名古屋市鶴舞図書館には2017年製作のDVDがある。
ブログに桜人について書かれたのがあった。そのコメントに新たな情報が書かれていた。
引用
「昭和になって名古屋市で譜面が発見された」というのは事実と違うようです。名古屋市文化財叢書によれば、信州野尻在の平出久雄氏が収蔵されていた源家古譜を元に、小林橘川市長の指示で羽塚堅子氏が復元されました。
また、歌詞の「とまち」は「十町」です。
ここまで
源家の古譜は三五要録(伏931)には載っていない。仁智は藤とも源とも書かれていないのが1曲だけ掲載されている。
”むしろだ”
竹馬の友という内容か。男性の合唱が合うかも。
この曲は現代の雅楽で演奏されている。
博雅会の演奏。博雅会だけではなく雅楽演奏団体はほとんど明治選定譜で演奏していると思う。読譜も4-12倍遅い現代雅楽の伝統的なやり方で。
この手法で原曲を素晴らしくアレンジしているのなら何も言うことはないのだが、原曲の良さを破壊してしまっているのは大問題と思う。個人の作品なら愚か者がいるな位の問題だが、国家規模でやっているのは病みが大き過ぎる。現代雅楽を支持している人達は一般国民を洗脳しようとしていると思う。古代中華帝国の宴会の音楽だったり、コミカルな仏教音楽劇だったり、大陸の国家の舞踏の曲だったり、大道芸のBGMだったり、原曲はどれも耳に馴染みやすい旋律を持っていると考えられる。
実際雅楽については平安末期に成立した古譜の写本、仁智要録と三五要録を全曲読んでみたが、そこには生き生きとした音楽が書かれていた。
それを知って現代雅楽を聞くとうんざりする。あまりにも愚か過ぎる。基本的に支配者は古代の音楽などどうでも良いのだろう。自分たちの立場や権益を守るために一般国民を洗脳する道具程度にしか考えていないのだろう。
”みのやま”
催馬楽は一度は演奏されなくなり、伝承が途絶えたが、江戸時代初めに数曲が復興された。
現在は明治になって雅楽が一般庶民も習えるようになった折に編曲されたもの(明治選定譜)を演奏している。
1970年代英国の音楽学者Dr. Pickenによって日本に現存する雅楽の古譜に古代中華帝国唐の宴会の曲が残っていることが発見された。そして現代の雅楽が演奏されるテンポは元の4倍から12倍遅いことがわかった。
このことは唐楽以外の雅楽曲、右方楽についても同様だった。催馬楽はまだ調査を始めたばかりだが、古譜にある曲は現在演奏されている曲とは全く違う。良くアレンジされているのではなくて全く異なるものになっている。むしろ西洋音楽を真似して劣化している。
逆に考えれば、無能な国民に政治の主導権を渡して支配階級が壊されないようにするための洗脳支配なのだろうか。一般大衆が無能であることには同意するが、国民主権の今、これやってたらダメでしょ。国民には真実を知らせないと正しく判断できないでしょ。科学的思考が育たないでしょ。
篳篥の譜には”備前悠紀風俗”と書かれている。雅楽の器楽曲には”悠紀の作物”という曲がある。その悠紀さんによるものだろうか?
歌譜からはフレーズの長さをしることができるが音程はわからない。歌の音程は器楽曲の譜に添え書きしてある歌詞から取って作っている。
この歌は現代の民謡につながっていくように聞こえる。
”おいねずみ”
芝祐泰氏が昭和5年に復曲したらしい。その楽譜を使った演奏がこちら。
”いしかわ”
三段で構成される催馬楽。催馬楽とは雅楽で伴奏された日本の歌。当時既にあった雅楽の曲や民謡等から作られたらしい。
石河の詩は知られている方と思う。帯に”綿が入っている”と”仲が絶える”をかけて歌にしている。この催馬楽は二人の台詞のやりとりで成立している。今回の読譜では女性と男性の声で再現してみた。
雅楽には石川という曲がある。こちらは読みは”せっせー”。
”ころもがえ”
現代の雅楽で演奏しているものと古譜に書かれているものはかなり異なる。
僕の音源は箏と琵琶は平安時代末期に成立した譜、篳篥と笛はそれより後に成立したと思われるものを読んで作っている。
現代のバージョンを幾つか。
雅音会
遅い。それに歌の変な揺れ、これは他の催馬楽でも共通して見られる。歌詞は”流行の最先端の布で作られた衣服に衣更えしましょう!”っていう内容なのに葬式ですな。
博雅会
こちらも雅楽の演奏団体としては上手い方だと思うけど、やっぱり葬式音楽になってる。明治選定譜に収録されている譜を使っているのだろうけど、明治選定譜が如何に粗悪品かわかってないらしい。粗悪な音楽を強制することに慣れてしまって(洗脳されて)ぶっ壊れた人間になってしまっているように見える。
では古譜にあるのをそのまま音にしたもの。
これは律歌で暗い調の曲なんだけど、うきうきの感じ!
雅楽は古代中華帝国 唐の宴会用の曲がたくさんあってそれらも含めて全ての曲が古譜の4-12倍遅いテンポで演奏されている。これは1970年代にイギリスのDr. Laurence Pickenが指摘している。彼の著書には40曲程が分析されている。唐楽以外の雅楽曲も調べてみたら全ての曲が極端に遅く演奏されている。
楽譜は漢字、片仮名等で書かれているが、その一文字を4拍に数えるのが現代の手法らしい。これは古い音楽書に書いてあるそうだ。Dr. Pickenは一文字を四分音符1拍に数えている。僕もこれに倣っている。四分音符1拍を細分化して4拍カウントするとアンサンブルがきちっとそろう。これは西洋のクラシックでは基本なのだが、日本の雅楽の演奏家はさっぱり気づかないらしい。気づいても何らかの圧力(政府や皇族?)によって直せないのか。宮内庁雅楽部は国家機関なのだからいい加減なことをしてもらっては困る。
”はしりい”
催馬楽の一つ。
Youtubeで独唱で歌っている人がいたので、どの位古譜に基づいているのか調べるついでに古譜にを音源化した。
まず独唱の。
古譜を読んでみるとおもしろいことに気がついた。この曲には同曲として別のバージョンも譜に記載されている。この歌はE Dorianで単調系なのだが、同曲の方は最後に長三度を歌って長調系で終わるように聞こえる。これってピカデリー三度。
同曲のバージョンも起こして置いた。
先の独唱版は芝祐靖氏の復曲。彼の仕事は明治以降の雅楽の路線を踏襲したものになっている。必ずしも古譜を再現しているわけではないので、古譜をそのままに音にしている僕の動画とは異なってしまうわけ。こういう人の仕事が世の中で真っ当に通ってしまってるって本当におかしい。
”いせのうみ”
催馬楽の律歌。催馬楽とは管弦伴奏付の歌。律歌とは平調の歌。
歌の部分をどのように音にするか問題だったが、NEUTRINOがフリーで使えるのでなんとかなった。
楽譜は箏琵琶は仁智と三五があるので信頼できるが、管は江戸時代になってから作られた復元譜かもしれない。全曲分ないし。それらは音価がはっきりしないので、弦の譜を参考にして音価を設定してく必要がある。
歌の譜は音程が書かれていない。歌は弦楽器のメロディーを参考にして作った。幸い譜には歌詞が書かれている。
この曲は日本伝統音楽研究センターも復元している。
現代版。不出来な編曲でつまらない音楽になっちゃってる。こんな程度のものを宮内庁雅楽部が演奏しているのはとても残念。自分たちで自浄的に改善できないのは話にならないと思う。それをさせない日本の権威はもっと残念。中身無い。
オンライン版を動かしてみようとしているが、エラー多発だった。サイトの説明によると空ディレクトリがアップロードされない環境があるとのこと。これが原因だった。
セットアップの2でのNEUTRINOのパスは左のペインから該当ディレクトリを探し右クリックでパスをコピーしたものを使う。
scoreの下にディレクトリを用意しておかないとサンプルファイルが作成されない。
label/full/
label/mono/
label/timing/
NEUTRINOの下にoutputディレクトリも必要。
説明しているサイトによるとオンライン版はローカルのLinuxでも稼働するとある。
Puppy Linuxなのでdevパッケージを導入した。NEUTRINOディレクトリに入って、NEUTRINO.ipynbに書かれているコマンド(オンライン版のコマンド)の3番を実行するだけ。
実行はmusicxmlファイルをscore/musicxmlに入れて、NEUTRINO/Run.shをテキストで開きファイル名を修正して実行する。
Run.sh内のNSFを実行する箇所はコメントアウトできる。
オンライン版はGPUが使えない時がある。ローカル版ではNSFは作れないがWORLDまではできる。
musicxmlファイルは歌詞を書き込む機能で歌詞を書き込まないと”エラー”がでる。
各modelの音域に合わせてmusicxmlを作らないと音が悪い場合がある。
”ちょうし”
雅楽で舞人が入退場する時に演奏される曲。対位法という技法で作曲されており、各楽器が異なる旋律を同時に演奏することで成立する。
楽家録によると管楽器は複数の奏者がこれに参加し、先の奏者に1拍遅れて演奏する退吹という手法で演奏するとある。
鞨鼓など打楽器も退り叩くらしいが。。。。
弦楽器については書いてなかった。
獅子舞の獅子。
612年に妓楽という仏教系仮面音楽劇の一部として伝来した。以後現在に至るまで舞われている。四天王寺の精霊会で舞われているものが最も古いと思われる。しかし、鎌倉時代に教訓抄によると平安時代末期の時点でオリジナルである宮中の獅子とコピーである四天王寺の獅子はすでにかなり異なっていたらしい。つまり四天王寺の獅子は宮中の獅子曲とは異なるものが受け継がれている。
妓楽の譜が3つ程現存している。単独で譜に残っている2曲とそれらを集めて動画にした。
雅楽の楽曲はそれぞれの調に属している。言い換えればその調の音階で作られている。
調子とは舞人の入退場やチューニングの代わりに演奏される対位法による曲のこと。
小学校や中学校の音楽で習う輪唱というものと同じ手法で作られている。構造はもっと複雑でルール違反が多いが。
各楽器だけで調子を演奏してみるとどれくらいの間隔を置いて輪唱すれば良いのかわかりやすい。
箏の調子から幾つかでやってみた。
双調、黄鐘調、盤識調しか現存していない笛の譜面。
この譜面は音価が明確に書かれていないし、小拍子や百の位置が仁智要録や三五要録と異なっていたりして読むのが困難である。
仁智要録や三五要録に同じ曲が収録されていれば、それを手がかりにしてこの笛譜を修正したり、音価を設定して読むことができる。音価が明瞭に示されている譜がなければ、正しく読めない。先の記事にある仁智要録の妓楽の様になってしまう。
後世の笛譜は音価を明瞭に記すようになっている。譜は進化していたらしい。
”ぎがく”
3つの楽譜を読んだ。他にもあるのかもしれないが個人的に見つけられていない。
この内の一つが関西大学のデジタルアーカイブで公開されている仁智要録巻の12にあるもの。
これは箏のための譜で、打楽器については全く書かれていない。
この譜を初めて読んだ時、菅掻きを1拍としてカウントして単音を前の菅掻きの音価に組み入れることを思いついた。というのは1文字1拍で読んでも旋律として今ひとつキャッチーでなかったからだ。
現存する雅楽の古譜のほとんどを読んで、だいたい雅楽の全貌がわかったので、再度妓楽譜を読むことに挑戦した。
まずは音取や調子、独奏曲のように一文字四分音符1拍で読んだ。それがこちら。
よくわからない旋律。つまらない。簡単過ぎる!
未だに良く分からないのは打楽器。三鼓と銅拍子を伴うのだが、リズムパターンがはっきりしない。三鼓は高麗楽に用いるのだが、そのリズムパターンを妓楽の曲につけるととてもおかしい。合わない。壱鼓のパターンは良く合う。しかし鼓と銅拍子だけで四拍子の三度拍子を打つと一泊目が空拍になる。これで良いのか?鼓は少なくとも2つのグループに分かれて、一泊目を明示するグループと三度拍子を叩くグループがあったのではないだろうか?
この妓楽譜では打楽器は倍のテンポで演奏するのかもしれない。そうでない曲ももちろんある。酔狐、大狐等。これらは序が合う。
この妓楽譜では呉公が冥土となっている。三五要録では呉公である。これらの楽譜の編集者は同一人物なのだが。