”おおいどの”と読む。
この歌詞は冒頭は大炊殿なのだが、その後は大炊き殿に関係ないのではないか?
豊かしく
腕こそ強く
なりにけり
千歳重ねん
朝な夕なに
朝晩の食事の支度で腕力がついたということかな?
Memo about inline skates, bicycle, programing, study of japanese ancient music, ancient music of chinese tang dynasty
”おおいどの”と読む。
この歌詞は冒頭は大炊殿なのだが、その後は大炊き殿に関係ないのではないか?
豊かしく
腕こそ強く
なりにけり
千歳重ねん
朝な夕なに
朝晩の食事の支度で腕力がついたということかな?
”ひとふたうた” ?
神道の祝詞として用いられているらしい。大和舞歌譜に載っていたので読んだ。
この歌の歌詞は”1〜10 百千万”とこれだけのことなのだが、日本書紀に似た歌があるとかで祝詞として使っているらしい。歌詞は本当にこれだけしかないので、単に数を覚えるための歌に過ぎない。
短に数を覚えるための歌にしては、歌の方が凝っている。この譜には和琴の譜が一部書き込まれている。おそらくこれは伴奏パターンで、このパターンを繰り替えして演奏し、それにのせて旋律を歌うのだろう。
譜の読み方は他の大和歌と同じだった。
この頃読んでいる大和舞歌譜は日本書紀、続日本書紀、古語拾遺などにある歌が用いられている。神道の呪術を歴史書、歌集にある和歌を引用して作っていたことがわかる。
大和舞歌譜というのがあったので、読んでいる。ほとんどが和歌に旋律をつけたもの。なので57調。
この奇数の字数が設定されているところがポイントで、2/4拍子で歌った時に1拍余る。例えば5字の節なら2/4拍子3小節分で、1文字を1拍に割り当てて、1拍休符。
現代でも和歌や俳句を読む時に、それぞれの節で間を置く。これによって詩の単語が聞き取り易くなり、理解する時間も得られる。
この方針で考えると和琴の伴奏パターンは2/4拍子3小節のものと4小節のものがあれば、曲全体を演奏できる。4小節の前1小節を省いて5字の節に割り当てるのも可。
虚見津。タイトルの下に上拍子と書かれている。これは速いテンポの意味。延の2倍速いこともある。
御饌
これらの曲の歌詞は続日本紀や日本書紀、古語拾遺にあったりする。先の和舞、田舞を参考にして1文字1拍で読んでいる。
現代に伝承されているのは室町、江戸時代に復元されたもの。
譜面を読むと●が歌詞の一文字を表しているらしい。
歌詞は国文学資料館の明治撰定譜にある。明治撰定譜 田舞
75調が当てはまるようになっている。旋律の方に余裕がある。
譜は笛の譜字で音程が書かれている。篳篥は古くから伴奏していただろうか?
倭琴は神楽歌の例では旋律を全く弾いていないので、復元するのは困難。
75調というのは偶数拍子(2/4)で歌った時、区切りでブレスを取るためか?神楽では奇数拍子が多い。さらに変拍子だったりすることもある。大陸の雅楽等は一定の拍子である。
日本的なのは奇数拍子や変拍子で、大陸的なのは偶数拍子なのではないか。
田舞が2種類あったので、テンポの緩いものを破として、テンポの速いものを急としたのか?
この譜は文字を芯にして音を当てはめていく読み方だった。歌譜の場合、百や小拍子が無い時はこの様に読むものだろうか?ならば朗詠も違った曲になるはず。
今のところ朗詠は会心の出来には至っていない。
朝方とか昼間でも天気が悪くて寒い時とか通信速度が顕著に落ちたので、当初は分からなかったが、この現象が生じたのが2.4GHzキーボード導入後なので、隣同士に差してたUSB adapterを離してみたら、問題解消した。
”いまよう”
平安中期から鎌倉時代に流行した歌謡。
歌詞は残っているし、楽譜も一応ある。それが本当に平安期のものかわからないが。
雅楽や催馬楽がばっちり譜で残っているので、今様が採譜できなかったということなかったと思う。
音程が書かれている譜を読んでみた。朗詠と異なるところはスケールの第5音以外でも装飾音が付く所。
この譜は神楽歌でも用いられている書式のもの。歌詞の左に線が書かれていてそこに音程が書き込まれている。百と小拍子が書かれていないと各音程をどれくらいの長さで歌うのかさっぱりわからない。
この音価がはっきりしない書き方は音取や調子の書き方。
歌詞が”や”から始まる。これは神楽歌にある早歌というものとそっくり。譜を比べてみたが、今様の譜に書かれている線とは全く一致しなかった。
早歌は延と早の2種類の旋律で構成される。
"一声”という曲がちょっとおもしろかった。
”あかつき”というところが早口。これは他の曲には見られない。時々漢字の読みの初めの仮名が抜け落ちているところがある。この場合、譜に書かれている次の音程を当てはめて仮名を当てているのだが、これで正解かどうかはよくわからない。
この曲は数小節置きに同音反復が行われている。これは一定の拍子に基づいていない。
今回は拍子は一定の拍子にした。元々はどのように演奏していたのか?早々に現代の様なハッタリ演奏法が成立したのか?楽家録には朗詠について書かれていない。
Wikipediaによると朗詠に類似の歌い方が中国にあるらしい。吟誦(ぎんしょう)。
オペラの台詞の箇所みたいな感じか。
他の例。
こちらは詩を読んでるのに近い。
日本の伝統文化が中華の文化の影響を受けているのは当然と思う。しかし吟誦と朗詠は差があり過ぎるように聞こえる。
譜にある朗詠は全て読んだのだが、全く納得いかない。覚えにくい。レパートリーが膨大にあったようなので、覚えにくいはずはないと思う。一定の拍子は無かったのだろうが、覚えやすいフレーズはあったように思う。多家秘書の中の秘譜に朗詠の譜があったので読んでみた。
朗詠について書かれた論文が幾つかある。外国人によって書かれたものがあるのが興味深い。
これまでの例に習って現在の演奏習慣をとっぱらって譜を読んでいる。Dr. Pickenの唐楽の研究にあるように日本の現在の雅楽は古譜の4-12倍遅いテンポで演奏されており、また演奏技術を簡易にするために高度な奏法は排除しているので、原曲の曲想を味わうことができない有様だから。
朗詠の音程はPentatonic scaleのみで”宮商角微羽”(12356)で書かれているのだが、朗詠案譜によると(12456)らしい。現代の歌唱法では譜に波線で表されているところに独特の符点のリズムが用いられる。譜には波線なのでその独特のリズムが書かれているかどうか全くわからない。基本的に音程の書かれた譜字を1拍とした。
まずは嘉辰令月。この歌は3回目の繰り返しの時のみ、合唱になる。音源動画では女性の声を加えている。
ここまで数曲、どれも同じに聞こえて退屈してきた。飽きない遊び方、演奏の仕方があったはず。
江戸時代には百人一首を引用して、歌を作る遊びとか百人一首をおもしろく解釈する講釈本とか流行っていた。
東遊歌の求女子(もとめご)には各神社用の歌詞が多数用意されていて、もともと諸神社用に旋律を変更して歌う歌だったことが分かる。
ではその歌詞を変更して遊べないか?というのが今回の試み。
求女子という曲には岩清水八幡宮用と思われる歌詞が元々ついている。その初めの歌詞は”君が代に”。同じ歌詞で始まる有名な歌に日本国国歌の”君が世”がある。この詩を当てはめるために、求女子の前半部分を繰り返した。
”君”の意味は幾つかある。主君だったり、妻だったり。江戸時代には結婚式によく歌われたらしい。また古代には大君は王でその妻は君だったと考えられる。魏志倭人伝だったか。ここでは嫁としている。
神楽歌の古譜を読むと現代の演奏とは全く違っていることがわかる。古譜には技巧的な民謡調の歌が書かれている。現代の演奏は先人から受け継いでいると言ってはいるが、古譜とは全然違う演奏がなされている。これは明治時代に神道によって国民の心をまとめようとした明治政府の国家的マインドコントロールの影響もあるだろう。古譜は江戸時代の写で、すでに遅いテンポで演奏するためと思われる各種奏法が盛り込まれて書かれている。それらを排除して元々の曲を復元すると民謡調になるわけだ。よく技巧的な民謡を譜に書き取ったものだ。それを破壊せずに下敷きにしてゆっくりなテンポの曲にアレンジするというのは現代の雅楽曲にも見られる。この手法は室町時代に盛んに行われたらしい。その頃に成立した笛譜がおそろしく込み入って書かれているので、テンポを落とさなくては演奏できない。こういうアレンジになったのは、朝廷に統治能力がなくなり、戦乱の世になって地下楽家を雇えなくなり、地下楽家は自分たちの才覚で稼がなくてはいけなくなった。そこで彼らは雅楽を権威づけるため音楽書を書いた。さらに雅楽の演奏が荘厳に聞こえるようにテンポを落として演奏に装飾を盛り込んで、ハッタリを効かせた。その影響が今も残っていて雅楽は原曲の曲想がわからない位ゆっくり演奏されている。政府からは荘厳に聞こえるようテンポを落とすよう要請があったらしい。
元々宗教など科学や経済が充分に発達していなかった時代に民をまとめ、集団としての力を発揮するためのハッタリ手法に過ぎない。神道は中華帝国の道教の日本版に過ぎず、男系継承も五斗米道など古代道教から導入されたものだろう。建物を建てる時に土を盛ってお祓いするのは中華の土公だし、邪を払うという行事などは方相氏や鬼神からくるものだろう。祭礼で宮司が神を呼び出す時に”おおおおー”と言うのも道教にある。これは神楽歌にも表れていた、阿知女の作法では、芸能の神である天之受女を降ろした巫女に呼びかける声として用いられている。
平安時代末期から江戸時代の終わりまで天皇は政治の中心である江戸から離れた京都に取り残されていた。統治能力は無くしているくせに権威だけでも保ちたいのでウザかったから遠ざけられたのだろう。明治からは江戸幕府を打倒するために担ぎ上げられた天皇であるが、実際のところは神輿であって統治者として手腕を振るえるような実力は無かったのではなかろうか?今の天皇はまさにそれで権威の元で育まれ、厳しく躾けられてこなかったので君主っぽい振りができるだけで、中身は腑抜けで根性なしで旧皇族の子供で嫌いな奴は数十年にも渡っていじめ抜くような頭のおかしい奴に育ってしまっている。それを右派のバカどもは担ぎ続けようとするのだから、日本の知的層もクズだとしか思えない状態である。
皇族は国文学の研究の分野にも影響力を及ぼし、憲法で保証されている学問の自由を蔑ろにして、自由な研究を阻んでいる。僕の雅楽の古譜を読む研究にも圧力がかかっており、三重県四日市市楠町本郷の楠村神社に伝承されていて、伝承が途絶えた笛太鼓による神楽曲を復活させた功績があるにも関わらず、その神社での演奏ができない状態に追い込まれている。自治会長は圧力に負けて僕に演奏させないのである。天皇もバカだが、その理不尽に従う国民もバカに過ぎない。こんなクズどもの国の力になろうという賢人など国外へ出て行ってしまっているだろう。前例通りに即位した天皇だが、愚か者を天皇にしたために今後も独立できない日本国のまま時間が経過していくのである。
ほんと今の日本人は愚か者。
代々神楽を受け継いできた楽家に多家がある。その家に受け継がれている多家秘書が誰でも自由にネットで読める。その中に神楽歌の譜がある。
この譜は江戸時代に書かれている。先の僕の読譜による神楽歌譜よりも民謡的傾向が少ないが、影響はたっぷりある。
神道の祭礼で用いられる神楽歌の古譜を読んで音源を作った。
読んだ古譜は神楽歌和琴合譜、江戸時代の写。この時代には既に遅いテンポに後代に成立した奏法を和琴に盛り込んで演奏していたと考えられる。今回の読譜ではそれらを排除して、元々の神楽歌を復元しようと努めた。
まずは神迎え
天之受女を巫女に降ろして踊らせると思われる。歌い続けるために歌い手は2つのグループに分かれて交互に歌う。そのための本方と末方か。韓神というのは朝鮮半島にあった国々の神のことだが、スサノオの子孫を指すらしい。朝鮮半島からの有力な氏族達を移民として多数受け入れたことから、彼らの神も祀って反乱を起こさせず、統治に協力させるためのアイデアか。
次は神遊び
どの歌も民謡調なのが興味深い。現代の神楽では民謡調には聞こえない。最後の早歌は短い歌の応酬でおもしろい。
テンポはゆっくりな部分がM.M.=70-75、速い部分がM.M.=140-150位で倍異なると考えられる。その方が演奏がスムーズにできる。
歌はかなり高度に聞こえる。現在の雅楽の歌い手では到底歌えないのではないだろうか。民謡の達人なら歌えそう。雅楽の楽家は自分たちの技量では到底演奏できない古い曲をテンポをさげて、後々生み出した適当な技術で装飾し、荘厳さと芸術性の高さを装って、自分たちの楽家としての命脈を保ち続けているというところではないか。クズっだね、はっきり言って。そんな奴等に国の伝統音楽やらせてるのはおかしいと思う。現代の奏者でも凄腕になるまで腕磨いて本来の演奏して欲しい。